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室蘭工業大学サッカー部OB会BLOG 「LOSS TIME」

持っているもの・・・それは仲間です。
汗と涙と友情と・・・。
あの熱き青春の日々を思い出せ!!
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藤の花とクマバチ

2024年04月25日 | 散策

早朝ウォーキングで何時もの農林公苑へ。桜の葉の緑が鮮やかです。

遅咲きの八重桜が残っていました。

しかし、昨日の風雨でかなり散ってしまいました。

太極拳やボールリフティングの練習をする広場もご覧の通り。。。

ベンチの上にも積もっていました。

これを踏むのは忍びないなぁ〜!

今日は場所を変えて練習しよう!

帰り道にはこんな植木鉢のディスプレイが有りました。

今週末からGW。 5月5日「端午の節句」はもうすぐです。

こちらでは藤が開花していました。

華やかです。

藤の花と云えばクマバチです。

大きな体のクマバチが一匹、花の周りを飛び回っていました。

さて、どうしてクマバチは藤の花と一緒にいるのでしょうか? 

疑問に思って調べてみました。

藤の花は固いフタに閉ざされているのでクマバチのように力がなければ蜜を吸うことが出来ないそうです。

クマバチにとって藤の花は他のライバルに取られない蜜であり、藤にとってはクマバチだけが自分の花粉を運んでもらえるので、受粉できる確率が高くなります。

藤の花とクマバチは切っても切れない関係にあります。

こういった関係は「相利共生(お互いが利益を得られる関係)」と呼ばれています。

クマバチは見た目に反して大人しい蜂で、うっかり大騒ぎをして刺激を与えなければ滅多に刺されることは無いそうです。

人も「相利共生」で花を楽しみましょう!

 

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色とりどりで

2024年04月14日 | 散策

関東地方の桜も見納めになりました。

チューリップも散り始めています。

開花したと思ったらあっという間に散ってしまう。

花の命は短いですねぇ〜!

春は色とりどりで何時もの農林公苑を散策していても気分が高揚します。

週末は天気が良くて最高でした!

こちらにも可憐な花が。

次に咲く花は何かなぁ〜!

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ホテル椿山荘東京・・・その3 庭園散策2

2024年04月10日 | 散策

ホテル椿山荘東京の庭園散策を続けます。

石焼料理「木春堂」

庭園の木立の奥にひっそりと佇む日本家屋を改築したレストラン。
東急電鉄グループの創始者五島慶太翁が神奈川県足柄上郡の中津渓谷沿いに所有していた田舎屋を、昭和28年(1953年)に譲り受け移築したもの。

「長松亭」

 昭和の電力王と呼ばれた、松永安左エ門が設計した数奇屋造りの茶室で現在は日本料理の料亭として使用されています。

「恵比寿様」

商売繁盛、豊漁をもたらすほか、釣りやセイリングなど海を楽しむ人もお守りします。

釣竿と鯛を抱える姿がほほえましい。

庭園では、約100種1000本の椿を見ることができます。

 

「十三重石塔」

戦国時代の武将で茶人でもあった織田有楽(織田信長の弟)由縁のものと伝えられる層塔(総高4メートル76センチ)。
花崗岩製で、第一層に四方仏(弥陀・弥勒・釈迦・薬師)が彫刻されています。

庭園には他にも沢山の見所がありましたが、又しても雲海が立ち込めてきました。

この雲海は30分間隔で発生するそうです。



早く抜けないと、一寸先も見えなくなってしまう・・・

庭園散策はこれ位にしてホテルへと戻ります。

まだ、続く・・・

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ホテル椿山荘東京・・・その2  庭園散策1

2024年04月09日 | 散策

雲海を観賞後に庭園を散策しました。

ホテル棟1階の庭園出入口からU字の坂を下ります。

「椿山荘の碑」

山縣有朋公爵が造営に着手し始めた当時を振り返り、明治11年に「椿山荘」と命名した際の感慨を刻んだ碑です。

「弁慶橋・ほたる沢」

元々「竹裏渓」と呼ばれ孟宗竹林の裏にあった谷に清流が流れていた場所で、現在もせせらぎを保っています。
「弁慶橋」は通称「赤橋」とも言われ、初夏の風物詩として蛍の幻想的な光も観賞できます。

「伊藤若冲 羅漢石」

江戸時代中期の画家・伊藤若冲の下絵による五百羅漢の内の約20体です。
京都南郊・伏見の石峰寺に置かれていたものと伝えられています。(像高約50cm)

「庚申塔」

寛文9年(1669年)に造られたと伝えられる、道教の庚申信仰に由来する石塔で青面金剛像が彫刻されています。

「幽翠池」

山縣有朋公爵の庭園造営当初からの池で、瓢箪型の形が特徴的です。

現存する古香井や、雲錦池とともに山縣公が「椿山荘 十勝」に選定した庭園内の景勝地の一つです。

「大黒天」

ホテル椿山荘東京の庭園には七福神が散りばめられています。
結婚や仕事で良縁をもたらす神様で、丸みがあり柔和な表情が特徴です。

「五丈滝」

岩の段差と、苔むした岩肌が水の流れに変化をつけ、夏にはその風景と水音に涼を感じられます。

国指定有形文化財 三重塔「圓通閣」

平安期の歌人として名高い参議・小野篁(おののたかむら)ゆかりの寺院。

広島県賀茂郡の篁山竹林寺(たかむらさんちくりんじ)から大正14年(1925年)に移築されました。

本尊として「聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)」が安置されています。

臨済宗相国寺派・有馬頼底管長猊下による落慶ならびに入仏開眼法要を執り行い、「圓通閣」と名乗るところとなりました。

「般若寺式石灯籠」

江戸期の茶人や造園家の間で「名物の灯籠」の一つとして人気を得ていた鎌倉後期の逸品です。

「 丸形大水鉢・車石」

京都府東山区粟田口から山科に通じる日ノ岡峠にあったもので、木食上人・養阿正禅が旅人のために造ったものと伝えられています。
荷車である牛車の轍が刻み込まれた貴重な敷石「車石」とともに保存されています。

「白玉稲荷神社」

大正13年(1924年)、京都下鴨神社にあった社殿を譲り受けて移築(平成元年に新社殿へ改修)。
翌年、伏見稲荷明神から白玉稲荷を勧請して椿山荘の守護神としました。

「庭の神」

「布袋和尚」

「無茶庵跡」

庭園のひときわ静かな緑の中に佇む室町時代から受け継がれた隠れ家です。
創業者の小川栄一が椿山荘に茶室を設けた際にこの建物に「無茶庵」と名付けました。
奈良菊水楼「うな菊」の東京第一号店として、奈良の地酒とともに江戸前うなぎが楽しめます。

「椿山」

椿が自生する景勝の地で江戸期には多くの銘ある椿を植栽した一帯。

「御神木」

樹齢約500年。ホテル椿山荘東京最古の椎の樹木。
根元の周囲は4m50cm、樹高は約20mに及びます。

見所一杯の庭園散策はまだ続きます・・・

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文京区肥後細川庭園

2024年04月07日 | 散策

肥後細川庭園にやって来ました。

幕末のころ、この地は熊本五十四万石を統治した細川家の下屋敷で、1882年(明治15年)に細川家の本邸となりました。 

1959年(昭和34年)に東京都が買収して都立公園として開園し、後に文京区に移管されました。

入口にある建物は松聲閣(しょうせいかく)と呼ばれ、もと細川家の学問所だった建物で、大正時代の建造物です。

細川家下屋敷の庭園の跡地をそのまま公園にした池泉回遊式庭園です。

大きな池を中心として、その周囲の園路を歩きながら、広がりのある池や背後の山並みなど様々な風景の移り変わりを観賞出来るように計画された庭園の様式の一つです。

池をはさんで背後の台地を山に見立てています。

広大な庭園では有りませんが無料で開放されています。

都会の真ん中にあるとは思えないほど美しく落ち着いた庭園でした。

こうして桜並木と庭園を散策した後は本来の目的地へ向かいます。 

続く・・・

 

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