いい天気だー。
朝は室内でも気温が0度まで下がっていたが、10時頃になるとお日さまがポカポカ暖かい。
庭の梅の花も満開になり、ふくよかな香りが辺りに漂い、スズメやウグイスが枝から枝へ飛び回っている。その下で「♪1万年と2000年前から愛してる~♪」と鼻歌を歌いながら、洗濯物を干していると、青空に吸い込まれそうだ。こんな日は天使が降りてくる。
思えば私は子供の頃から、すべてのものは固有の波動を持っていて、それが周りの物や人の心にも影響を与えていると信じて疑わなかった。その考えは今も変わっていないどころか、ますます確信を深めてきている。
例えば選挙の投票の際、誰を選ぶかという時には候補者の顔写真を見て選ぶに限る。選挙ポスターの売り文句などというものは、どれも美辞麗句を並べた有権者への媚びにしか見えず、所詮は絵に描いた餅のようなもの。そんな誠のない言葉よりも、その人の顔写真から受ける波動で判断するのが一番間違いがない。特に政治家の言葉というのはまったく当てにはならないが、人相やその波動は嘘をつかない。実物ならもっといいけど写真からでも充分波動は伝わる。
もっとも最近は顔写真で選ぶにしても、いい波動を感じる人がいなくて仕方なく白紙投票する場合があるのは、なんとも哀しい限りだ。
体質的なものもあるのだろうが、このように波動というものに少なからぬ興味を持って、重要視してきた私は、その流れで言葉の持つ波動(言霊)には特に強い関心を持ってきたのだけれど、先日親しい人から1冊の本をプレゼントされた。それは『水からの伝言』という写真集である。
著者の江本勝氏は独自の発想と視点から、じつにユニークな実験を積み重ね、水の研究を続けている人で、1999年にこの本を出版して以来、一躍世界中で評価され海外でも11ヶ国語に翻訳されている。
彼は水が「字を読む」ことを発見し、それを実証した。信じられないような話かもしれませんが、真実なのです。それは水に言葉をかけたり、文字を見せたり、あるいは音楽を聴かせると、その水の結晶つまり氷の形が、その言葉や音楽に影響されるというものだ。
中でも最もインパクトがあるのは、水に「ありがとう」という文字を見せたものは本当に美しい結晶に変化するが、同じ水に「ばかやろう」という文字を見せると結晶はバラバラに崩れ、見るも無惨な姿になっていることだ。
私はこの2枚の写真を見て思わず手を叩いた。私がずっと密かに信じてきたことを見事に実証してくれたという思いだった。
人間の体の80%は水であることを思えば、この水の反応はそのまま私たち人間の反応だと考えるのが自然ではないか。でも言葉や写真、あるいは想念や音楽が物質に影響を与えるということを実証するこの研究は、当然ながら社会の規範への挑戦であり、これまでの科学のメインドグマにひびを入れるものなので、既成の科学にしがみついていたい人たちからの、批判とバッシングも相当あるだろうことは容易に想像がつく。
何を認め、何を認めないかは信仰の自由と同じく、まったく個人の自由だ。私はただ著者の波動に対する考え方が自分とまったく同じだったので、とても感激してワクワクしながらこの写真集を眺めた。
世界は波動である。私はそう認識している。
波動とともに電気的宇宙論(プラズマ宇宙論)も非常に魅力的で、私の想像力をかきたてる。
もしも世界中の人々が憎しみ、怒り、恐怖、戦争といったネガティブな想念を捨て、代わりに「愛と感謝」の波動をいっせいに発したとしたら、世界にはいったいどんな変化が起こるだろうか。想像しただけでもゾクゾクしてしまう。
ちなみにオノ・ヨーコは2004年のクリスマスメッセージでこの本の内容を詳しく紹介し、「私たちは皆、同じ海の水なのです。私たちはもう行進する必要もなく、家の中にいながら、ただ人々が平和に暮らしているヴィジョンを鮮明にイメージする、そう、イメージするだけで、世界を変えられるのです!」と絶賛している。そして、何百人、何千人の人々がその想像の力を合わせれば山をも動かせるという信念の元に、実際に人々に呼びかけ行動に移している。さすがだ。
私たちはみんな、はるか遠い宇宙からこの地球という美しい星にやって来た地球巡礼者。
そしてこの星で様々な人と出会い、そして学び、体験し、自らの魂を磨いているのではないのか。
「ありがとう」という言葉は目を見張るような美しい結晶を作り出した。
「ありがとう」という言葉ほど人をしあわせにするものはない。
そして最も美しい結晶が「愛してる」という言葉だった。私もひとりの地球巡礼者として、いつの日かこの星を去る時には、この地球(テラ)と愛するひとに「ありがとう。愛してる」と言いたい。
光となって永遠に、ともに在りつづけることを信じて・・・。
それを維持して
感謝に溢れて街に出たなら。。。。。
この世界は一変していることだろう。。。
普段挨拶もしない人々とも出会えば、
笑顔で今日の健康と幸運を祈り合い、
不幸そうなあばら家の住人の生活を気にかけ、
金持ちは美しい自分の庭で道行く人においしいお茶を
ふるまうだろう。。。
偏見や妄想や猜疑心が落ち
互いに心配事や悩みを打ち明け合い
共感出来ることで
エゴの牢獄から開放されることだろうな。。。
そう、想像するのは愉しい。
60年代末から70年代の初め、そしてRAVEムーブメントで
その可能性を何度も体感した。
この社会で生きるには苦しいことが多くあるが、
その合間を縫って楽しみ、遊び続けたいものだね。
とっても、うれしいです。
共感できるということは、あなたとわたしは同じ魂だと
いうことです。
わたしはあなた。
あなたはわたし。
世界中の人がそう思った瞬間、「地上天国」が出現すると
信じてる私です。
大切なものはけっして目には見えない。
その見えないものを共に信じることができて、
同じユートピアを夢見ることができるって、
ほんとにしあわせ。
荒涼天使はお互い、多くを語り合わなくても
すでにわかりあってる「魂の同志」だっていう気がする。
去年の夏にもらったメールに
「おれは…旅の末、すべてを判断することを
やめようとしている。善いとか悪いとかね。
禅と瞑想で乗り越えようとしてるのさ…」とあった。
禅や瞑想こそしなかったけど、善悪の彼岸に到達すること、
悪さえも抱きまいらせていくことを目指していた私は、
あの言葉ですべてはOKだったよー。
でんでんも、アジとアユのお魚夫婦も、あーちゃんも私も、
みーんなラピスのことをすごく愛してるよ。
荒涼天使はみんな、想像の翼を持った「光の天使」。
4月には新しい詩を持っていくつもり。
また一緒に遊ぶの楽しみにしてるよー。