鬼子母神は、自分の愛するわ我が子の為、人間の子供をさらっては食べ、自分の子を育てていた。ある日、子供をさらわれた人間の親に相談されたお釈迦さまは、鬼子母神の500人の子供の中の、もっともかわいがっていた一番下の子を、神通力によって隠した。
鬼子母神は、狂ったように嘆き悲しみ世界中を探し回ったが見つからず、ついにお釈迦さまに助けを求めた。お釈迦さまは言った。
「命の大切さと、大事な人をなくし嘆き悲しむつらさは、
人間も鬼神も変わりはない。
今のおまえなら、それがわかるだろう。」
お釈迦さまの教えを受け、改心した鬼子母神は、仏教と子供の守り神となった。
凡夫の私の心には、鬼も仏も住んでいる。
きっかけがあれば鬼が暴れだすし、
きっかけがあれば仏も育つ。
鬼が暴れれば人も傷つける。
はては人の住処も自然も破壊する。
自分も傷つける。
『条件次第では何をするかわからない、あらゆる可能性をいだいている私です。
いい条件をそろえられたら、仏さまも顔負けするほどのこともやってのけますが、
悪い条件をそろえられたら、とても人のやることと思われないようなことさえやりかねない可能性を持っているのです。
しかし、天地いっぱいのハタラキ※の只中に一息一息生かしてもらっている命の尊さに気づいたら、仏の方向に向かずにはおれなくなります。これが大事なことなのです。
命の尊さに目覚めたら、どう生きたらいいのか、生きねばならぬのか、という命の方向づけがおのずからできるということなのでございましょう。』
『おかれている場所はどこでもよい、そこでどう生きるか』
『人生の目的は長生きすることではない、よく生きることだ』
『よく生きるとは、今がよくないと気づかせていただくことだ』
(青山俊董著 『仏のいのちを生死する』)
※天地いっぱいのハタラキ→悉有仏性のこと。
ひとつ私がわかったことがある。
自分の中の鬼は追い出そうとしないこと。
よく観察し、仲良くする。
すると、鬼も一緒に道を歩みだす。
すべては仏性のなかにあり、すべては成仏することが出来る。
そういうことと思う。
まだまだ私の鬼は、時々大暴れにつき、注意。・・・反省。
鬼子母神は、狂ったように嘆き悲しみ世界中を探し回ったが見つからず、ついにお釈迦さまに助けを求めた。お釈迦さまは言った。
「命の大切さと、大事な人をなくし嘆き悲しむつらさは、
人間も鬼神も変わりはない。
今のおまえなら、それがわかるだろう。」
お釈迦さまの教えを受け、改心した鬼子母神は、仏教と子供の守り神となった。
凡夫の私の心には、鬼も仏も住んでいる。
きっかけがあれば鬼が暴れだすし、
きっかけがあれば仏も育つ。
鬼が暴れれば人も傷つける。
はては人の住処も自然も破壊する。
自分も傷つける。
『条件次第では何をするかわからない、あらゆる可能性をいだいている私です。
いい条件をそろえられたら、仏さまも顔負けするほどのこともやってのけますが、
悪い条件をそろえられたら、とても人のやることと思われないようなことさえやりかねない可能性を持っているのです。
しかし、天地いっぱいのハタラキ※の只中に一息一息生かしてもらっている命の尊さに気づいたら、仏の方向に向かずにはおれなくなります。これが大事なことなのです。
命の尊さに目覚めたら、どう生きたらいいのか、生きねばならぬのか、という命の方向づけがおのずからできるということなのでございましょう。』
『おかれている場所はどこでもよい、そこでどう生きるか』
『人生の目的は長生きすることではない、よく生きることだ』
『よく生きるとは、今がよくないと気づかせていただくことだ』
(青山俊董著 『仏のいのちを生死する』)
※天地いっぱいのハタラキ→悉有仏性のこと。
ひとつ私がわかったことがある。
自分の中の鬼は追い出そうとしないこと。
よく観察し、仲良くする。
すると、鬼も一緒に道を歩みだす。
すべては仏性のなかにあり、すべては成仏することが出来る。
そういうことと思う。
まだまだ私の鬼は、時々大暴れにつき、注意。・・・反省。