生かして生かされて生きる

日々感じる事 気になる言葉
宗教問わず信仰について考える
ほとんど私用メモ帳化してます

2007年08月31日 | その他
 【天才柳沢教授の生活】

一巻から楽しく読ませていただいている漫画。
巻を重ねるごとに無理な力が抜けて面白くなっている。

この表紙のおじさんが主人公の教授である。
キャラクターモデルは、作者の父親らしい。

この教授は、偏見がない。
すべての物事をとても丁寧に考える。
わからないものを無理にわかったつもりにならない。

疑問があれば、子供であろうがパンクロッカーであろうが生徒であろうが(猫にも問う時があるが、当然話すことは出来ない)、
素直に相手に問い、仮説を立て、検証する。
そして自分でもできるだけ相手に沿って体験してみる。
その様が毎回実に大真面目で面白い。

検証結果は、時に言葉であったり、言葉でないものだったり、言葉にならないものだったり、そのまま、わからないままだったりする。それがまた、とても趣がある。
そして、この教授がここのところ大事にしているのは、「家族の笑顔」だ。

今回も興味深く読ませていただいたし、相変わらず笑わせてもらった。
お題。

177話「占いの検証」
昨年のJSCPRのシンポジウム内容を読んでからこの回をみると、
オモシロさも倍増。

178話「大人ってなんでちゅか?」
「自分は大人だ」と思っていた自分の経験談。

179話「教授にとっての罪と罰」
人の持つ罪悪感と、人が与える罰について。

180話「WILD BOY」
ワイルドな生き様

181話「校庭を見ていた少年」
人間をみる洞察力。

182話「プリティな強迫」
メールコミュニケーションが生むさまざまな誤解について。


日常の中

2007年08月23日 | 心の話
 
 
結局のところ「自分は正しい」。なにがあっても、なんであっても、とにかく、わたしが正しいと決めて生きてきたのだから、正しいのだ。
……それがまあ、信仰というものかもしれませんけど。
人間とはそうしたものでしょうか。

ただ、「自分と異なる意見、考え」があったとき、それに対して軽蔑したり、憤慨したり、邪と決めつけたりするのは、苦しいなあと思いますね。

異なる意見があったとき、自分の意見が否定されたとき、自分がバカにされたと感じたとき、自分の尊敬するものが否定されたとき、そうしたときにこそ、「感情的にならずに、やりとりができる」こと。
これが、すごく大切なことと、日常の中でよく感じます。

「へええ、どうしてそんな考えになるのかなあ。どうして、そういう結論になるのかなあ」と。
その「違いというものが、どうして起こるのか」を探求してみると、とっても人生は豊かになるように思います。

しかし、これがいちばん難しいことでありますよね。
なにしろ「自分が正しい」(自分の信奉するものが正しい、自分の所属する団体が正しい、自分の信ずる教義が正しい)というところにいると、とても難しい。


【いちりん】さん



ネットを散歩していたら、いちりんさんの足跡を見つけた。
どこにいるのか知人に尋ねたら、居場所を教えてくれた。
みんなどこかでつながっているものだ。
これまで同じBBSに居ながら、直接のやりとりはほとんどないのだけど、
彼の書き込みはなぜか、何年たってもふんわりと心に残っている。

久しぶりに会えて、とても嬉しい人がまた増えた。


人とモノと自然

2007年08月21日 | その他
 モノ作りと自由を表現する人たち。ここから動画セレクション。

【日本庭園デザイナー】
枯山水のよさがわかってきた自分が年をとってきた気がする。
立禅てはじめてみました。

【ヴィレッジ・ヴァンガード】
私の好きなお店、ヴィレヴァンの原点。
ここにいるといつも時間を忘れます。

【ザ・ウィンザーホテルズインターナショナル】
最上級のサービスのありかた。
お客様は神様です。スタッフは観音様です。

【建築家】
和のビルがあるのですね。
フランク・ロイド・ライトに負けてないと思いました。





最近うならされた言葉

2007年08月20日 | 心の話
 
自分のことを一番よくわかっているのが自分であり

自分のことを一番わかっていないのが自分ですよ。

by【そううそ】さん



主よ

変えられないものを  受け容れる心の静けさと

変えられるものを  変える勇気と

その両者を見分ける英知を 我に給え

by【ラインホールド・ニーバー】


珠玉の言葉がとても身近にあるのが嬉しくて、それをふと捉えるのが楽しい。
有難し。


HERZ SUTRA

2007年08月16日 | 心の話
Maka Hannya Haramita Shin Gyo
(Sutra von der Vervollkmmnung der Weisheit des Heryens)

Bodhisattva Avalokitesvara
Inderübung der tiefen transzendenten Weisheit
Erkannte,dass alle fünf Skandas leer sind,
und überwand so alles Leiden.

Sariputra, Form ist nichts anderes als Leere,
Leere nichts anderes als Form.
Form ist wirklich Leere,Leere wirklich Form.

Das Gleiche gilt für Empfindung,Wahrnehmung,
Wollen und unterscheidendes Denken.
Sariputra, dieFormen aller Dinge sind leer,
sie entstehen nicht und vergehen nicht.
Sie sind nicht zu und nicht ab.

Daher ist in der Leere keine Form,
weder Empfindung,wahrnehmung,
wollen oder unterscheidendes Denken,
weder Auge,Ohr,Nase,Zunge oder Körper,
weder Farve,Ton,Duft oder Geschmack,
weder Berührbares noch Vorstellung,
weder ein Bereich des Denkens,
weder Unwissenheit noch Ende von Unwissenheit.

Und so gibt es weder Alter noch Tod,
noch ein Ende von Alter und Tod,
weder Leiden noch Entstehen von Leiden,
kein Anhäufen, Vernichten, Keinen Weg.
Weder Erkennen noch Erreichen,
weil es nichts zu erreichen gibt.
Ein Bodhisattva Lebt aus dieser weisheit
Ohne Hindernis im Geiste, ohne Hindernis und
Daher ohne Furcht.

Jenseits aller Illusionen ist endlich Nirvana.
Alle Buddha der Vergangenheit leben aus dieser transzendenten
Weisheit ,erreichen die höchste Evleuchtung,
Vollkommen und unübertroffen.

Wisse daher, dass die transzendenten
Weisheit das große, heilige Mantra ist,
das große, strahlende Mantra,
das unübertroffene Mantra,
das alle Leiden Nimmt.
Das ist wahr und ohne Fehl
Das ist das Mantra verkündet in der tanszendenten Weisheit.
Es lautet:GATE GATE PARAGATE PARASAMGATE BODHI SVAHA

ドイツ人のエリザベスさんがお別れに読んでくれたスートラ。
また例によって誤りありましたらご指摘ください。
画像はこちらより。