あまりテレビドラマを観ないのだけれど、一話完結で進む西遊記はだいたい観た。
やはり堺正章さんの西遊記を観た世代は今回も子供と一緒に観た人多いんだろうな。
三蔵法師というのが人の名前ではないことを知ったときにはたまげた。
そして本当は妖艶な夏目雅子さんではなく純朴な深津絵里さんでもなかった。
あの孫悟空のお師匠さんの本当の名前は「玄奘(げんじょう、またはげんぞう)さん【602年-664年】。男性。
般若心経の翻訳者であった。(般若心経に出てくる「観自在菩薩」は玄奘の訳で、法華経に出てくる「観世音菩薩」の訳は鳩摩羅什【同じく漢訳者。350年ー409年頃】となる。訳の違いでもとは同じものを指す。)
んじゃぁ「三蔵法師」って何かと思ったら、調べるといろいろ出てくる。
元々「蔵」とは、仏教に関するさまざまな文献の「集大成」を意味する。
三つの蔵は、「経」「律」「論」があり、
「経」・・・お釈迦さんの教えをまとめたもの
「律」・・・戒律(規則)をまとめたもの
「論」・・・経と律に関する解説および研究をしたもの
まとめて大蔵とも呼ばれるらしい。
この3つに精通した人を三蔵法師と呼ぶそうな。
なので三蔵法師は一人ではなくて、不空金剛さんや鳩摩羅什さんも三蔵法師なわけだけど、持ってきた教典の数や翻訳や旅の功績などから玄奘さんを指すことのほうが多いそうだ。
日本では唯一「三蔵」の称号をいただいたのは、平安時代の僧の霊仙さん(近江出身)。
玄奘さんは中国の唐の貞観3年(629年)冬に天竺(インド)へ向けて長安を出発(当時27歳くらい?記事によって幅がある)。
出発時40人だった同行者も、途中の猛獣、山崩れ、急流など過酷な道のりの過程で一人減り、二人減り、2年後には玄奘ただ一人だったそうで。
「水曜どうでしょう」もびっくりな旅である。
最後は天竺(インド)にたどり着き、長安へ帰ってきたのは645年(43歳くらい?)、日本は大化の改新の時代だ。
往復行程と滞在期間を含めて約16年。片道どれだけかかるのだろう?
中国へ持って帰ってきたのは仏舎利(ぶっしゃり)150粒、仏像8体、教典657部。弘福寺に安置。
テレビドラマの山積みの教典よりももう少し多そう。
元々玄奘さんは旅好きな方のようで、あちこちの旅行記があるようだ。
それらを物語りにしたのが西遊記。著者は呉承恩さん(1584年-1582年)
ちなみに「仏舎利」とはお釈迦さんの遺骨や棺、荼毘に付した際の祭壇の灰などで、遺骨も米粒大に砕かれて皆持ち去り各国各地へ収められている。お寿司のご飯が「シャリ」と呼ばれているのはここが由来。
日本にも仏舎利塔(仏舎利を収める塔)はありますが、世界中の仏舎利全部集めると釈迦一人分ははるかに超えるようで(笑)。そのへんはお釈迦さんへの気持ちで、ということで。
(※資料によって多少違いはありますが、訂正ありましたらいつでもご一報ください。
コメントでのフォローもお待ちしてます。)
やはり堺正章さんの西遊記を観た世代は今回も子供と一緒に観た人多いんだろうな。
三蔵法師というのが人の名前ではないことを知ったときにはたまげた。
そして本当は妖艶な夏目雅子さんではなく純朴な深津絵里さんでもなかった。
あの孫悟空のお師匠さんの本当の名前は「玄奘(げんじょう、またはげんぞう)さん【602年-664年】。男性。
般若心経の翻訳者であった。(般若心経に出てくる「観自在菩薩」は玄奘の訳で、法華経に出てくる「観世音菩薩」の訳は鳩摩羅什【同じく漢訳者。350年ー409年頃】となる。訳の違いでもとは同じものを指す。)
んじゃぁ「三蔵法師」って何かと思ったら、調べるといろいろ出てくる。
元々「蔵」とは、仏教に関するさまざまな文献の「集大成」を意味する。
三つの蔵は、「経」「律」「論」があり、
「経」・・・お釈迦さんの教えをまとめたもの
「律」・・・戒律(規則)をまとめたもの
「論」・・・経と律に関する解説および研究をしたもの
まとめて大蔵とも呼ばれるらしい。
この3つに精通した人を三蔵法師と呼ぶそうな。
なので三蔵法師は一人ではなくて、不空金剛さんや鳩摩羅什さんも三蔵法師なわけだけど、持ってきた教典の数や翻訳や旅の功績などから玄奘さんを指すことのほうが多いそうだ。
日本では唯一「三蔵」の称号をいただいたのは、平安時代の僧の霊仙さん(近江出身)。
玄奘さんは中国の唐の貞観3年(629年)冬に天竺(インド)へ向けて長安を出発(当時27歳くらい?記事によって幅がある)。
出発時40人だった同行者も、途中の猛獣、山崩れ、急流など過酷な道のりの過程で一人減り、二人減り、2年後には玄奘ただ一人だったそうで。
「水曜どうでしょう」もびっくりな旅である。
最後は天竺(インド)にたどり着き、長安へ帰ってきたのは645年(43歳くらい?)、日本は大化の改新の時代だ。
往復行程と滞在期間を含めて約16年。片道どれだけかかるのだろう?
中国へ持って帰ってきたのは仏舎利(ぶっしゃり)150粒、仏像8体、教典657部。弘福寺に安置。
テレビドラマの山積みの教典よりももう少し多そう。
元々玄奘さんは旅好きな方のようで、あちこちの旅行記があるようだ。
それらを物語りにしたのが西遊記。著者は呉承恩さん(1584年-1582年)
ちなみに「仏舎利」とはお釈迦さんの遺骨や棺、荼毘に付した際の祭壇の灰などで、遺骨も米粒大に砕かれて皆持ち去り各国各地へ収められている。お寿司のご飯が「シャリ」と呼ばれているのはここが由来。
日本にも仏舎利塔(仏舎利を収める塔)はありますが、世界中の仏舎利全部集めると釈迦一人分ははるかに超えるようで(笑)。そのへんはお釈迦さんへの気持ちで、ということで。
(※資料によって多少違いはありますが、訂正ありましたらいつでもご一報ください。
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だれかサンスクリット語?から現代日本語に直訳してくれへんかなあ。
元々、玄奘さんも、当時の中国での仏教翻訳がバラバラすぎて論争になっていた為、自分で行ったみたい。
または、外国語に訳してあるんをもう一回現代日本語に訳す。どう?
全部じゃないけど。
日蓮御書はどの思想の人が訳すかによっていろんなバージョンが出来ているのが現状だろうな。すくなくとも2つに分かれる。
法華経は、サンスクリットから直接邦訳もあるらしいけれど、やっぱり用語がわかんないと読みにくいですね。
仏教用語って結構身近なものもあれば専門的なものまであるから、わかんないものは外国語並にわかんないですよね。
>上座仏教なら日本語の直訳はあるけどね。
上座部のはいろいろありそうですね。
ややこしくなったら、初心に帰るってのがいいかも。
サンスクリット語は空海さんの時代に日本に入ってきてて、日本語も結構サンスクリット語の影響受けてるみたいですね。
法華経は『大乗仏典4/5 法華経Ⅰ/Ⅱ』 中公文庫 です。
サンスクリット語訳ははじめが「オーン」(ヒンドゥー教徒等が神に祈るときに発する言葉、真言でしょうか)
ではじまるのでびっくりします。
ちなみに玄奘訳以降が新訳、玄奘以前が旧訳と呼ばれ実は羅什訳の法華経は旧訳なんです。
初期仏典のパーリ語からの翻訳は岩波文庫、中村元訳でありますね。でも、中公文庫も岩波文庫も
仏教用語は使っているですね。
わかりやすいといわれている、ひろさちや氏でも仏教用語が出てくる...
般若心経 現代語訳(ひろさちや)
http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu_/hannya-t.htm
仏教用語を使わない仏典の翻訳ってあるのだろうか(私が知らないだけでどこか新興宗教系の
団体で出しているかもしれないですが)。
サンスクリット語の日本語への影響は摩訶不思議の摩訶(マハー)しかぱっと思いつかないです...
そういえば「あいうえお」の50音表はサンスクリット語の音韻学を参考にしたとか。
言われてみると、年代がそうですね。
クマラさんの法華経訳は元経典とかなり違うそうですが、皆に浸透したようですね。
新訳法華経はよほど語呂が悪かったのでしょうか。
>サンスクリット語の日本語
「カカ」(母親をさす、または慈悲をさす)は、サンスクリット語由来みたいです。「かかさま」から「かーさん」へ。
他にもいろいろありそうですね。
仏教用語がない般若心経は、最近出た「生きて死ぬ智慧」がよかったです。
http://www.bk1.co.jp/product/2481148
お経というより、生死の価値を最新の科学で考える「詩」みたいな感じでした。きっかけにいいのではと。
わかりやすい仏教の本といえば、ホテルに聖書と一緒に置いてある仏教の本がかなり読みやすいと思いました。
とりあえず世界共通みたいですし。
わかんない言葉飛ばしても結構読めた気がします。
ついでに聖書は初めて読んだのはあれです。
ドイツ語の般若心経を持ってるので(ドイツ人にいただいたのを書写)、今度アップ出来たらします。
ガーテーガーテーの真言はやはり一緒でした。
三九郎さんに「みれいさんのところで同じようなこと言ってたよ」って紹介されました。
あったんですね~、現代語訳。
その他、いろいろ勉強になりました。
お経を漢文の音読で読んでる人ばかり見かけますが、
キリスト教のミサみたいに、
お経の内容を現代訳したものをとなえれば、
各個人でいろいろ判断出来ておもしろいのに~、
とか思ってます。
あまり出没頻度は高くないと思いますが、
よろしくお願いしますm(_ _)m
名前は存じておりますです。
>お経を漢文の音読で読んでる人ばかり見かけますが、キリスト教のミサみたいに、
お経の内容を現代訳したものをとなえれば、
各個人でいろいろ判断出来ておもしろいのに~、
とか思ってます。
いいですよね~。
経典も親しみやすくなると思います。
法華経は他の哲学的な経典と違って物語のような部分があるので、現代版になると、
宗教版ハリーポッターみたいになりそうな気もします。
いっそハリウッド映画化してほしい。
今私が読んでいるのは現代語訳法華経(三枝充悳さん著)ですが、漢訳とサンスクリット訳を両方参考にして書かれたもののようです。
書かれた時代背景とかを考慮されているのでしょうね。
それにしても本の厚み4センチくらいはまだいいほうで、すごいのだと28品の一品ずつで内容充実で一冊6センチくらいのがある。
そっちは方便品途中まで読んで断念しました。
トホホ。
いつでもお越しくださいませ~
あんまりネットで手を広げすぎると自爆する…と思って手を出さなかったのです。
でも手を出しちゃったからには前の方の記事もすご~く気になるので(笑)、
ちょっとずつですが読ませていただきます。
私は幼い頃教会と日曜学校に通っていて(母がクリスチャンゆえ)、
その時のお祈りの文句について、今でも考えることがあります。
現代語だったから、子どもなら子どもなりに、
大人になってからなら大人なりに、いつでも考えられるんだと思っています。
聖書の一部が映画化されたりすることは良くありますが、
確かに法華経も例え話のお話しが多いようですから、
映像化したらハリーポッターかもしれませんね。
法華経の始めのところの、山の上でお釈迦様の眉間からビーム(!?)が出るところなんて、ウルトラマンみたいじゃ~んって想像しておもしろがってます。
モーゼが海を割るシーン並みに、知らない人が見てもおもしろいんじゃないかなぁ。
映画から入ってお経に興味を持つって言うのも、「あり」だと思うんですけどね~。