行道は導師の正と邪とによるべきか。
機は良材の如く、師は工匠に似たり。
縦(たと)い良材たりといえども、
良工を得ざれば綺麗未だ現れず。
縦い曲木といえども、
もし好手に遭わば妙功忽(たちま)ち現る。
(中略)
正師を得ざれば学ばざるに如かず
(道元。学道用心集)
たとえ材料がすばらしくとも、
腕のない大工に出会ったら、
せっかくの良材も台無しにしてしまう。
逆に材料がどんなに節だらけで曲がっていても、
腕のある大工に出会う事が出来たら、
節を生かし曲がりを生かしてくれる。
人生も正しい師を得ることができなかったら
一生を台無しにされてしまうから
むしろ学ばないほうがいい、とおおせられる。
正師であるか否かを見分けるというのは
見分ける目を持たない学人の側にあるという点が、もう一つ問題だ。
「私は正師だ」とうそぶく人ほど近寄らないほうがいい人であり
正師と呼ぶにふさわしい人ほど
自分の至らなさを知って限りなく控えめで謙虚な人だから。」
(青山俊董老師)