和尚さんに「誰しも自分が一番かわいいもんさ」
と言われ、はてそうなのかな、と思った。
自分をなにより優先させるなんて、とんでもないエゴイストじゃないのか?
自分のことより相手の立場を考える事こそが尊いことなのじゃないのか?
「例えば集合写真をとる。写真をもらってまず最初に皆がすることは、”自分を探す事”だ。
目をつむったとか、角度が悪いとか、化粧のノリが悪いとか、前の人にかくれちゃったとか、自分の写り具合を気にする。
自分の写り具合が悪かったりすると、その写真自体の価値も感じなくなってしまうこともあるだろう」
それもそうだ。
何より自分を優先させている時は、その自分に気がついていない。
なのに、「自分のことより相手の立場を」なんていっていることのほうがむしろおこがましいかも、と思った。
誰しも、わが身が一番かわいい。
そんな自分を自覚すればこそ、自然に謙虚にもなれるのだろう。
なかなか自覚できず、なかなか謙虚になれない。
そんな自分が、相手のことも考えさせていただく。
和尚さんの言いたかった事は、そういうことではないか。
キリストの十字架も、そういう自分を忘れないでおく意味があるのだと思う。