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三蔵法師

2006年03月28日 | その他
あまりテレビドラマを観ないのだけれど、一話完結で進む西遊記はだいたい観た。
やはり堺正章さんの西遊記を観た世代は今回も子供と一緒に観た人多いんだろうな。

三蔵法師というのが人の名前ではないことを知ったときにはたまげた。
そして本当は妖艶な夏目雅子さんではなく純朴な深津絵里さんでもなかった。

あの孫悟空のお師匠さんの本当の名前は「玄奘(げんじょう、またはげんぞう)さん【602年-664年】。男性。
般若心経の翻訳者であった。(般若心経に出てくる「観自在菩薩」は玄奘の訳で、法華経に出てくる「観世音菩薩」の訳は鳩摩羅什【同じく漢訳者。350年ー409年頃】となる。訳の違いでもとは同じものを指す。)

んじゃぁ「三蔵法師」って何かと思ったら、調べるといろいろ出てくる。
元々「蔵」とは、仏教に関するさまざまな文献の「集大成」を意味する。
三つの蔵は、「経」「律」「論」があり、
「経」・・・お釈迦さんの教えをまとめたもの
「律」・・・戒律(規則)をまとめたもの
「論」・・・経と律に関する解説および研究をしたもの
まとめて大蔵とも呼ばれるらしい。
この3つに精通した人を三蔵法師と呼ぶそうな。
なので三蔵法師は一人ではなくて、不空金剛さんや鳩摩羅什さんも三蔵法師なわけだけど、持ってきた教典の数や翻訳や旅の功績などから玄奘さんを指すことのほうが多いそうだ。
日本では唯一「三蔵」の称号をいただいたのは、平安時代の僧の霊仙さん(近江出身)。

玄奘さんは中国の唐の貞観3年(629年)冬に天竺(インド)へ向けて長安を出発(当時27歳くらい?記事によって幅がある)。
出発時40人だった同行者も、途中の猛獣、山崩れ、急流など過酷な道のりの過程で一人減り、二人減り、2年後には玄奘ただ一人だったそうで。
「水曜どうでしょう」もびっくりな旅である。
最後は天竺(インド)にたどり着き、長安へ帰ってきたのは645年(43歳くらい?)、日本は大化の改新の時代だ。
往復行程と滞在期間を含めて約16年。片道どれだけかかるのだろう?

中国へ持って帰ってきたのは仏舎利(ぶっしゃり)150粒、仏像8体、教典657部。弘福寺に安置。
テレビドラマの山積みの教典よりももう少し多そう。
元々玄奘さんは旅好きな方のようで、あちこちの旅行記があるようだ。
それらを物語りにしたのが西遊記。著者は呉承恩さん(1584年-1582年)

ちなみに「仏舎利」とはお釈迦さんの遺骨や棺、荼毘に付した際の祭壇の灰などで、遺骨も米粒大に砕かれて皆持ち去り各国各地へ収められている。お寿司のご飯が「シャリ」と呼ばれているのはここが由来。
日本にも仏舎利塔(仏舎利を収める塔)はありますが、世界中の仏舎利全部集めると釈迦一人分ははるかに超えるようで(笑)。そのへんはお釈迦さんへの気持ちで、ということで。


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