魔とは
第一 貪欲である
第二 不歓喜
第三 飢渇寒熱等
第四 愛着
第五 睡眠(これは普通の眠るというよりも、むしろ眠りの中に引きずり込まれるという意味)
第六 恐怖
第七 狐疑惑
第八 瞋に(怒りや憤怒)
第九 競利(名利を争う)
第十 愚痴、無知
第十一 自己を非常に高くあげる驕慢(きょうまん)
最後に 他人をそしること
番外 官能的誘惑 権力
人間の権力欲、ことに生死にかかわる恐怖は普遍的無意識の一番底にあるようなもの。
また、ユング心理学では「影」にあたると思われる。
影が出てくると、人間の意識が変わったり、人格がかわったようになる。
激怒したとき、われを忘れてむちゃくちゃやってしまうとき、言ってはならないことを言ってしまうような場合は、
「影の働きが自我の働きよりも強くなっている場合」である。
影=煩悩か、というと、非常によく似ているが、人によって現れ方、また程度や生かし方が違うので、やみくもにあてはめるものでもないようです。
われわれの影の部分というのは排除されるべきものではなくて、
変われるわけでしょう。
そのあたりも意識を広げて、影を組み込んでいって、
最終的なところにまでいたるということ、
つまり、自己の顕現にいたるということですね。
(川田洋一さん 河合隼雄さん 参考「人間の深層にひそむもの」河合隼雄著)
魔とは無意識の時にあらわれる。自分はその瞬間気がつかない。
人のそれを探すものではなく、自分の心の中にそれがないか照らし合わせるものでしょう。
難しいことです。人の欲望は、すぐ人の魔を探し出そうとします。
なかなか私もできません。
~追記(10月9日)~
「カゲ -陰と影- 」
陰は表面にでいていない部分。
自分自身と全く一身同体。
お陰様と言う。
自分だけでなく一身同体なとなってなっている
すべてのもの人、自分自身に思いをはせる。感謝の言葉。
影は自分の映し出されたもののひとつ。
光によってその姿カタチがかわる。
自分が動けばそれにあわせて影も動くが、それをどう見るか
どこから光を当てるかで全く違ったものになる。
ある光でできる影だけに満足して、別の光でできる自分の
影を直視しない。都合のいい自分しか認めない。
或いはそんな評価いらないよ、オレはオレ、
自分は自分だから他は関係ないっていう。
ピーターパンの恐ろしさだ。
影は食いちぎられたんだっけね。
あとで縫い合わせてもらってよかったね。
(
歩さん)
佐藤 康さんの
ピーターパンを読む