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南英世の 「くろねこ日記」

徒然なるままに、思いついたことを投稿します。

城崎旅情

2022年09月30日 | 日常の風景

温泉町にはそれぞれ独特の雰囲気がある。

城崎に行ったのはこれで3度目だが、2泊もしたのは今回が初めてである。費用は全部長女が出し宿も電車も手配してくれた。

食事は最高においしかった。食べきれなかった。

2泊すると、真ん中1日が自由に歩き回れる。早朝、まだ人通りがほとんどない温泉街や木屋町通りをジョギングした。朝食後、ロープウェイに乗り城崎全体を見る。

木屋町通り

城崎には小学校・中学校しかなく、高校は豊岡まで通うという。

温泉街全体が見渡せる

その後タクシーを飛ばして玄武洞を見て回る。

(玄武洞)落石注意と書かれてもね・・・(笑)

(丸山川)

玄武洞の石は大谿川(おおたにがわ)の護岸にも使われている。

外湯の一つ「御所の湯」で汗を流す。正面に滝があった。

今回の旅の目的は二つあった。一つは単行本の原稿がほぼ完成し一段落した慰労。もう一つは10月から半年間フルタイムで働くがそのための気合の入れ直し。

留守中の猫の世話は長女がしっかりやってくれた。動物を飼っているとなかなか旅にも出られない。夫婦二人で旅行に出かけたのは2年ぶりである。

 

 


雪の後(東山魁夷)

2022年09月29日 | 日常の風景

昨日、ヤフオクで新しい絵を買った。東山魁夷の「雪の後」(10号)という作品である。この絵を見ていると、赤倉温泉スキー場の丸山ゲレンデの急斜面(35度)を思い出す。若い頃ここをよく転げ落ちながら滑った。その風景に似ている。

今、書斎にスキーの写真と並んでミレーの「晩鐘」を飾っているが、どうもアンバランスで違和感があった。ミレーの代わりに「雪の後」を飾ったらちょうどいいのではないか。

というわけで入札に参加。もちろんシルクスクリーンだからそれなりの値段はする。締め切り時間ギリギリに一番高い価格を入れる。競争相手が出てきて競り合うことになるだろうなあと思っていたが、そのまま時間がどんどん過ぎる。3分を切る。1分を切る。あと30秒・・・そのまま落札した。

後日、絵が届いたので早速飾ってみる。思ったより状態がいい。うふふ

ついでに絵の配置も変えて気分転換をする。好きな絵も毎日見ていると飽きが来る。玄関に東山魁夷と尾形光琳を飾る。うん、なかなかいいバランスかも。

 


教員の仕事国際比較

2022年09月24日 | 日常の風景

1ヵ月100時間以上も残業をしている先生がいっぱいいる。それでも残業代はゼロ。その代わりに給与月額の4%が付く。仮に月給30万円として、1か月1万2000円を支給するから100時間残業をやれと言われたら、やる人は普通はいない。

ところが世の中にはいる。教員である。文句も言わずに黙々と働く。教員はいったいどこまでお人よしなのだろうと思う。上の表を見れば、日本の教員がいかにこき使われているかがわかる。そもそも給特法が制定された1971年当時、残業は月平均8時間だった。調整手当の4%は8時間の残業をもとに割り出されたものである。

ところが、その後教員の仕事は「定額働かせ放題」となり、どんどん増えた。保護者対応に追われ、権威も社会的地位も落ちた。いまでは教員のなり手を確保するのにも苦労するありさまである。

文科省もこりゃマズイと本音では思っているのかもしれない。給特法を廃止して正規の残業手当を払ったとしても、たったの1兆円で済むと何かで読んだことがある。たったの1兆円がひねり出せないのだろうか? OECD加盟国の中で日本は教育に一番金を使わない国である。教員の権威と社会的地位をもう一度取り戻す必要がある。全国の教員が団結して血判状でも出したらどうか。


やる気が出ないとき

2022年09月24日 | 日常の風景

 
 単行本の8次原稿を出版社に送ってから20日ほどが過ぎ、昨日、その整理原稿が送られてきた。編集者の意見や表記の揺れが鉛筆でびっしり書いてある。
点検しなければいけないのだが、なんせA4で120枚もある。自分で書いておきながら、あまりの膨大さに最初の第一歩がなかなか踏み出せない。
 
大きな仕事は分割しろ!
というわけで、今日はこの部分とこの部分だけやろうとTo Doリストに書き込む。
 
するとどうだろう。すっと軌道に乗り出した。何事も第一歩を踏み出すときが一番エネルギーがいる。とりあえずちょっと手を付けてみるという方法は、すごく効果がある。10月中旬からはまたフルタイムで働く。それまでに9次原稿を仕上げたい。

ついに為替介入

2022年09月23日 | 日常の風景

2022年に入って30円も円安が進んだ。9月23日、財務省はついに為替介入に踏み切った。これ以上何も手を打たないと、国葬や統一教会問題で急落する内閣支持率がさらに下落しかねない。ここはせめて「努力しているふり」でもしておかないと・・・というわけだろう。

これによって為替レートは一気に5円ほど戻して140円台になった。しかしこれによって相場の流れが変わるとはとても思えない。

そもそも、為替介入とは政府が持つ外貨準備高1兆3000億ドル(185兆円)を売って円を買うことである。しかし、すぐに使える外貨は米国債などの20兆円であり、しかも米国債を大量に売ることはアメリカが許さない。だから、介入に使える資金量には限りがある。

現在アメリカは年率8%のインフレに見舞われている。かなり深刻である。アメリカはインフレを抑え込むために今年に入って5度も金利を引き上げてきた。一方、日本は大規模金融緩和を継続している。このため、日米の金利差が拡大し、資金を日本で運用するよりアメリカに運用した方が有利であるため、日本からアメリカへの資金移動が進み円高になった。

もし本気で相場の流れを変えようと思ったら、アメリカを巻き込んだ国際協調による介入が欠かせない。しかし、いまのところアメリカはインフレを抑えることに必死であり、ドル安は輸入インフレにつながるから、アメリカがドル安を容認するとは思えない。基本的には日本が金融緩和政策を転換しない限り円安は続くのだろう。

為替介入の司令塔は財務省であり、日銀は財務省の単なる実行部隊に過ぎない。黒田日銀総裁が円安は日本にプラスだと主張する中で、岸田首相は財務省に為替介入を指示した。黒田総裁の胸のうち如何。


笑わない数学(確率)

2022年09月22日 | 日常の風景

最近見始めた番組に「笑わない数学」(NHK総合)がある。これが実に面白い。先日は破られない暗号を考え出した数学者の話だった。で、今日見たのは確率の話。あまりに面白かったのでメモ代わりに残しておく。

17世紀、パスカルとフェルマーの間でこんなやり取りが行われた。

AとBとの間でコインを投げて裏か表を当てる5回戦のゲームをした。先に3勝したほうが勝ちで、賭けたお金を全部もらう。3回終わったところでAの2勝1敗。もしここで賭けたお金を分配するとしたら、どのように分配するのが合理的か。

この問題は次のように考える。

4回目にAの勝つ確率は2分の1。もしAが勝てばここで試合終了である。

一方、Bが4回目に勝つ確率は2分の1。さらに5回目、Bが勝つ確率は2分の1。したがってBが2回とも勝つ確率は4分の1で、4回目に勝って5回目に負ける確率も4分の1である。

したがって、Aが勝つ確率は2分の1と4分の1を合計した4分の3となる。(もちろん、1からBが2回とも勝つ確率4分の1を引いてもよい)。これを図に表すと、

となる。

続いてもう1問。

ABC3つの箱の中にお宝が一つ入っている。今、あなたがそのうちのAを選んだとする。ここで、どれにお宝が入っているかを知っているボクは、入っていない一つ(例えばB)を開けて見せる。

ここで、再度問う。もし今、あなたが「選ぶ箱を変えてもいいですよ」と言われたら、変えた方が得かそれとも変えても当たる確率は同じかという問題である。

これは数学者を巻き込んだ大論争になったというから面白い。

論より証拠、実際に実験を100回やったというからさらに面白い。NHKさんすばらしい!

結果は御覧の通り、箱を変えたほうが約2倍も得をする。

なぜか? 答えは次の図に示されている。

すなわち、箱を変えなければ当たる確率は3分の1のままであるが、箱を変えた場合の当たる確率は(3分の1)+(3分の1)=3分の2となる。

うーん、参った。見事に間違ってしまった。

現代において確率理論は精緻化されて株式取引に応用されている。コンピューターを使って100万分の1秒単位の高速で大量の売買を行ない、1000回売買して1000勝0敗の成績をあげるとも聞いた。オー、くわばらくわばら。近寄らないに限る。

興味のある人は次のサイトも参考にしてください。

 

人工知能と株式市場 - 南英世の 「くろねこ日記」

コンピュータがチェスの世界チャンピオンを破ったのが、1997年。将棋の米長邦雄を破ったのが2012年。さらに、囲碁のイ・セドル九段(韓国)を破ったのが2016年。驚異的なス...

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ウクライナ戦争とエネルギー安全保障

2022年09月21日 | 日常の風景

日本の高度経済成長は安い石油に支えられていた。1973年の石油ショックによって高度経済成長は終わり安定成長へと移行した。同時に中東に過度に依存していた石油輸入の分散化が進められ、原子力発電へと舵を切った。

その原子力政策に待ったをかけたのが2011年の福島第一原子力発電所の事故だった。すべての原発が止められ、不足分を火力発電で補った。

(NHK 「混迷の世紀」より)

 

2022年2月、ロシアのウクライナ侵攻によって世界のエネルギー問題は新たな局面を迎えた。

第一に、ロシアが原子力発電所を攻撃のターゲットにしたことである。これにより原子力発電は「戦時には攻撃ターゲットにされる」という新たなリスクを抱えることが判明した。原子力発電は長期的なエネルギー戦略としてはふさわしくないことが誰の目にも明らかになった。

第二に、ロシアが火力発電の燃料になる石油やLNG(天然ガス)を政治の駆け引きに使い始めた。

ロシアへの依存度の高いドイツが真っ先に悲鳴を上げ始めた。なぜドイツはロシアへの依存度をここまで高めたのか? 理由は第二次世界大戦でドイツはロシア人を2600万人殺したから、その罪滅ぼしもあってロシアからの購入比率を高めたのである。

しかし、プーチンはしたたかだった。ドイツがロシアへの依存度を高めれば高めるほど、ドイツはロシアの言いなりにならざるを得ない。そう踏んでいたからである。ロシアは信頼するに足るパートナーではなかった。ドイツはいま、必死に脱ロシア化を進めようとしている。

日本がロシアに依存する割合はそれほど大きくはない。しかし、自給率がわずか11%しかないため、依存度は低いが日本に与える影響は決して小さくはない。2009年から進めてきたサハリン2を、プーチンは今年になって事業主体をロシア企業に変更した。

LNGは石油に比べて二酸化炭素の排出量が約半分であり、地球温暖化防止にも良いとされる。2021年、中国が世界最大のLNG輸入国になった。ドイツも日本もロシアに変わる輸入先を求めている。今、世界でLNGの争奪戦が始まっている。そうしたなかで、水素(H2)を火力発電所の燃料に使う研究が進めれらている。

これから冬場に向かって電力供給はますます厳しさを増す。しかし、マスコミは相変わらず国葬だ、統一教会だと大騒ぎをしている。もっと大事なことがあるのにと思うが、いまのところエネルギー問題なんか放送したって視聴率取れないもんね。毎月の電気代が2~3倍に跳ね上がらないと国民は関心を示さないんだろうな。

 


もし痴漢冤罪に巻き込まれたら

2022年09月21日 | 日常の風景

以前、周防正行監督の「それでもボクはやっていない」を取り上げ、そのなかで痴漢冤罪事件で無罪判決を勝ち取ることの難しさについて書いた。

https://blog.goo.ne.jp/minami-h_1951/e/11cf14d9559118894c9f9f8c09556c2d

きょう、たまたま『絶望の裁判所』(瀬木比呂志著 講談社現代新書)を読んだら面白い話が書いてあったので紹介しておく。

著者は33年間裁判官を務め、その後明治大学の教授に転身した。最高裁事務総局や最高裁調査官の経験もあり、裁判所の実態を知り尽くした人といえる。著者曰く「裁判官とは、正義の実現より全体としての秩序維持に関心を持ち、裁判官というよりは法服をまとった官僚であり、早く、そつなく、ただひたすら事件を処理し続ける役人である」という。それは「見えない檻の中の囚人」であり「寂しい人々」である。

裁判官は好んで和解を勧めるが、和解には裁判官に次のようメリットがあるという。

① 事件を「早く」「処理」でき、いわゆる「赤字」を減らすことができる。

② 面倒な判決を書かなくて済む。

もちろん、中には良心的な裁判官もいるが、多くの裁判官はいつしかこのような考えに染まるため、結果的に裁判所は国民を支配するための道具になっていくという。とくに刑事系裁判官の判断は最初から検察官のほうに大きく傾いているため、痴漢冤罪事件に巻き込まれたら最後、ほとんどは有罪になってしまう。

万が一痴漢冤罪事件に巻き込まれたらどうするか。おススメは、相手の女性に名刺を渡してともかくその場を去ることだそうだ。その場から立ち去れば身柄の拘束には逮捕状が必要になる。「現行犯逮捕されて勾留されたらおしまい」だそうである。

ふーん、そういうものか。覚えておこう。巻き込まれないようにするのが一番だけどね。


温暖化は人間の活動のせいか?

2022年09月20日 | 日常の風景

世はあげて、地球温暖化の原因は大気中の二酸化炭素の増加が原因だという。しかし、そのことを証明できる人間は、はたして地球上に何人いるのか? 

そんな疑問に一石を投じようとしたのが『気候変動の真実』(スティーブンE.クーニン著 日経BP 2022年7月第1版第3刷発行 定価 2420円)である。

著者は元カリフォルニア工科大学の副学長を務め、アメリカでもっとも著名な科学者の一人である。これだけの経歴がありながら、あえて「気候危機説は捏造だ」と主張したのは、科学がゆがめられ、政治利用されていることに我慢がならなかったからである。

この本の原題は

”Unsettled”(決着はついていない)

である。多くの科学者の研究が、政府やマスコミによって長い伝言ゲームのように捻じ曲げられて一般市民に伝えられている。本当に地球の温暖化が人間の活動によるものなのか。気候の専門家でさえ、マスコミの報道にいくぶん困惑していると著者は書いている。

地球温暖化問題が決着していないとする理由は以下のとおりである。

第一に、地球の温暖化が進んでいるといっても、本当にそれが人間の活動によるものなのか。CO2が原因だと言われているが、海流の影響はどうなのか? 気候に影響を与える最も大きな要因は雲であるが、それについて気候モデルはどういうふうに扱っているのか?

第二に、ハリケーンや竜巻、洪水、干ばつなどというとすぐ「異常気象」と結びつけて語られるが、過去の記録は質が悪く、さかのぼれる年数も短い。本当に異常と言えるのか?

第三に、そもそも気候は自然変動が大きい。海面上昇一つ取り上げても、過去40万年のなかで現在は完新世間氷期であり、これが始まった1万2000年前から海面はすでに約120m上昇している。問題は、この海面上昇に人間の活動がどれほど影響を与えているかである。


 さらに、過去5億年の中で考えると、CO2濃度が今よりもっともっと高かった時期があり、人間の影響は小さいと考えられる。

 

要するに、科学は気候の何十年後がどうなるかを予測するレベルには達していない。これが著者の言う結論である。


イラク戦争の真実

2022年09月19日 | 日常の風景

 

2003年、アメリカはイラクにイラク戦争を仕掛けた。理由はイラクが大量破壊兵器を所有していたからとされた。イラクのような「ならず者国家」が大量破壊兵器を持っていたら、何をしでかすかわからない。だからアメリカは自国を守るためにイラクを武力攻撃したという理屈である。

結局、アメリカは勝利を収めフセイン大統領を処刑し、その後、イラク国内をくまなく探したが大量破壊兵器は見つからなかった。それでもアメリカはイラクに謝罪をしなかった。ここまでが世界に向けて発信された報道内容である。

イラク戦争を授業で扱うとき、いつも疑問に思っていた。一国の大統領を「間違って処刑し」それでいて何の謝罪もしないことに強い違和感を感じていたからである。しかし、最近『コールダー・ウォー』(マリン・カッサ著 草思社)という本をよんで初めてその疑問が解けた。

今から50年ほど前「金・ドル交換停止」がなされ、これによりドル紙幣は単なる紙切れになった。国際通貨としてのドルの地位を維持するためにはどうすればよいか。1974年、ニクソンはキッシンジャーをサウジアラビアに派遣して、今後アメリカはサウジアラビアの王家を永久に守ることと引き換えに、

①石油販売をドル建てにすること、

②サウジアラビアは受け取ったドルで米国債を購入すること

を約束させた。OPECのほかのメンバーもこれに従った。こうして世界の石油取引はドルを持っていないとできなくなり、ドルに対する需要は急速に拡大した。ドルは事実上の「石油兌換紙幣」となったのである。

こうして、アメリカはドルさえ印刷すれば「ただ同然」で石油を購入できる「ペトロダラーシステム」を確立した。石油だけではない。アメリカはドルという紙を輸出して、世界中からモノやサービスを輸入し、支払ったドルでアメリカ国債を購入させる。アメリカにとって極めて都合のいいシステムがこうしてでき上った。

ところが、このペトロダラーシステムに挑戦しようと試みたのがフセイン大統領である。フセインはユーロで石油を買えるようにし、アメリカのペトロダラーシステムを破壊しようとしたのである。こうした動きをアメリカが黙って見逃すはずがない。結局、イラクに「いちゃもん」を付けて大統領を殺してしまったというわけである。

リビアのカダフィ大佐が殺されたのも同じ理由からだったとされる。彼は新通貨ゴールド・ディナールを使用することを提唱したのである。

イラク戦争の原因が「ペトロダラーシステム」に対する挑戦であるとするこの説は極めて説得力が高い。また、大量破壊兵器がなかったにもかかわらずアメリカが謝罪しなかった理由も納得がいく。

国際政治の世界では、世界の覇権国が100年単位で交代するという理論がある。もし、ペトロダラーシステムに挑戦するのが弱小国ではなく、プーチンや習近平だとしたらこの先の国際政治はどうなるのであろうか。


50年ぶりの円安

2022年09月18日 | 日常の風景

「強い円」はどこへ行ったのか 唐鎌大輔著  日経 2022年9月8日第1刷発行 を読んだ。以下はそのダイジェストと感想である。

著者はみずほ銀行のアナリストであり、50年ぶりの円安の原因を中長期的視点から分析する。それによると、現在の円安は

①成長率、

②金利、

③需給

の三つの面から見て一定の正当性があるとする。①②については全く異論がない。面白いのは ③の需給関係についての分析である。

円はこれまで「安全資産」とされ、何か危機が起きるたびに買われてきた。財政赤字であるにもかかわらず円が「安全資産」とされた最大の理由は、日本が「世界最大の対外純資産国」だからである。いざとなれば対外資産を売ることができる。だから円は安心だとされてきた。

短期的な需給に関しては第一に、最近、証券投資より直接投資の方が上回っている点が注目される。なぜなら証券投資に比べて直接投資はすぐには売却が難しく、それがドル売りにつながらないからである。

第二に、日本の国際収支構造に変化が起きている可能性もあると著者は指摘する。これまで日本はいわゆる「成熟した債権国」であった。現在貿易黒字こそ失われてはいるものの、それを補って余りある第一次所得収支の黒字があり、こうした経常収支の黒字が円買いを支えてきた。

ところが、ここにきて変化の兆しがみられるという。すなわち、第一次所得収支は黒字であるものの、資源高から貿易赤字が膨らんで経常収支が赤字になるいわゆる「債権取り崩し国」にシフトしつつあるというのである。まだ明確に移行したとは言えないが、そうした可能性についても視野に入れておく必要があるという。

もっとも面白かったのは「キャピタルフライト」に関する分析である。現在、岸田内閣は盛んに「貯蓄から投資へ」というキャンペーンを張っている。しかし、この政策は危険がいっぱいだという。

たしかに2000兆円に及ぶ家計の金融資産が株式市場や債券市場に流れ込めば、金融市場は活況を呈する。しかし、貯蓄されたお金が日本の金融市場に流れる保証は一つもない。むしろ成長率の高い海外に流れ出す可能性が高い。

もしそうなれば二つの問題が起きる。

第一に、家計がキャピタルフライトを行えば、円安は一気に加速する。いま日本にとって一番怖いのは、家計が日本の将来について悲観的になり、一気にキャピタルフライトを起こすことである実際、私の周りにはそうした視点からドル買いをしている人が何人もいる。私自身も円で持っていることのリスクを避けるために、資産の一部はドルや金に交換している。もし同じ行動を日本の多くの人が取り始めたら、円は一気に暴落する。

第二に、「貯蓄から投資へ」が実現すると、日本国債はいったい誰が買うのかという問題が生じる。現在、国債を買っているのはほとんどが金融機関であり、その原資となっているのは国民の貯蓄である。それがなくなれば国債の買い手は不在になる。岸田首相はこの点をどう考えているのだろうか? ぜひ問うてみたい。

黒田日銀総裁は、円安は日本にとって益するところが大きいという。間違いである。円安が国益であるはずがない。そもそも円の価値には二つある。国内的な価値対外的な価値である。国内的価値とはすなわちインフレを起こさないということであり、対外的な価値とは為替レートで示される価値である。

日本に閉じこもっている間は国内的な価値だけを見ていればよいが、グローバルな視点に立てば対外的な価値を守ることも重要だ。円安にすれば輸出企業の利益が自動的に増える。自動的に増えるから努力をしなくなる。それが企業の体力を弱める。まるで麻薬と同じだ。

日銀は目先の利益にとらわれることなく、長期的な視点から通貨価値の安定を図る義務がある。政府からの独立性を失った今の日銀にそれを求めるのは無理かもしれないが。

 

 

 


「いい加減」がちょうどいい

2022年09月17日 | 日常の風景

囲碁には独特の言い回しがある。「いい加減」もその一つである。お風呂の温度が「いい加減」と同じで、白黒双方が満足する「いい加減」の分かれなどという。

しかし、一般に使われる「いい加減」という言葉はそうではない。「無責任」の同義語として悪い意味で使う。NHKの朝ドラ「ちむどんどん」に出てきた二―ニーみたいに「いい加減な男」といった意味で使う。

ただ、こうした悪い意味での「いい加減」も、度を過ごさねば私は大切な生き方の一つだと思っている。まじめすぎると不幸を招く。自分がまじめすぎると、相手に対しても同じようにまじめであることを望み、いい加減な相手を許すことができなくなる。

無責任な人の行いは、最終的には自分の身に降りかかってくる。池に「ぽちゃん」と石を投げ入れるとその波が土手にぶつかってまた返ってくるのと同じである。そう考えれば、「かわいそうに」と思うことはあっても腹が立つことはない。

「許す」という行いは、自分がいい加減な人間であり、自分の至らなさを自覚した時に初めてできることかもしれない。


長期腐敗体制(安倍政治の総括)

2022年09月16日 | 日常の風景

 

『長期腐敗体制』 白井聡著 角川新書 2022年9月10日 第6刷発行 を読んだ。

著者は第二次安倍内閣成立以降の日本の政治体制を「2012年体制」あるいは「長期腐敗体制」と呼び、この時期の安倍晋三政権は、「内政も外政もただひたすら出鱈目をやっただけであり、その結果、日本の統治は崩壊した」と結論付ける。 

確かにアベノミクスなるものも、あとで振り返ればほとんど効果が見られなかったことは下に示した経済成長率のグラフからも明らかである。

また憲法学者の意見を無視して2015年には安全保障関連法を成立させ、さらにはモリカケ問題や桜を見る会問題、不祥事のもみ消しを図った官僚が論功行賞で出世、賃金は上がらず、北方問題は一ミリも進展せず、挙句の果てには統一教会問題まで噴出してきた。これでは安倍政治が「出鱈目」であったと批判されても仕方がない。

問題は、それにもかかわらず国民はなぜ自民党政権を支持してきたかということである。一般的には「野党が弱いから」「小選挙区制がよくない」などと説明される。

しかし、著者はここで独自の見解を示す。すなわち、「政権担当能力は自民党にしかないという観念に凝り固まった有権者が多数存在し、政策の中身をよく見ないで、なんとなく自民党に入れている人が多いから」であり、「思考を停止した政治的無知が根本的原因である」と主張する。

しかもこうした状況はデモクラシーが堕落したからではなく、むしろデモクラシーの本来的な状況であると述べ、民主主義というシステムに対する強烈な危機感をあらわにする。

デモクラシーは一歩間違えれば衆愚政治となる。だから、過去には参政権の拡大に反対し制限選挙の時代が長く続いた。そうしたなかで、有権者年齢の引き下げが行われた。18歳・19歳の当事者が要求したわけでもないのに18歳に引き下げられたのはなぜか。

著者によれば、若年層は思考を停止し(某広告会社の言葉でいえばB層)、なんとなく自民党を支持している人が多いからであり、有権者年齢の引き下げが自民党に有利に働くと考えたからだったと説明する。

高校の政治・経済を担当する教員は、我が身の安全のために現実的な生臭い政治のことはほとんど扱わない。真実を語ればどんな災難が自分の身に降りかかるかわからない。だからみんな委縮している。

しかし、教育には「いいものはいい、悪いものは悪い」と批判できる自由が重要である。中立とは政権を翼賛することではないはず。もちろん野党を賛美することでもない。日本が戦前の時代に逆戻りしたり、中国やロシアのようになったりする事態だけは何としても避けなければならない。

国民の半数以上が反対している国葬を、国会の承認を取り付けることもなく閣議決定だけで強行する。これが民主主義国家のすることだろうか。考えてみれば、日本では民主主義も基本的人権も自らの力で勝ち取ったものではない。根付かせるにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 


新型コロナによる死亡率比較

2022年09月15日 | 日常の風景

新型コロナ問題が発生したのが2020年2月ごろ。あれからすでに2年半がたった。この間、マスコミは今日の感染者数がどうだとか、不要な外出は自粛をなどという報道に明け暮れている。

今日、面白いデータを見つけた。札幌医科大学が「新型コロナによる死亡者数(人口100万人当たり)」を都道府県別に比較したものである(https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/japan_death.html

 

 

 

なんと、私が住んでいる大阪が一番高いではないか。全く知らなかった。いや、報道されなかったから知る由もなかったといったほうが正しいかもしれない。

この原因はいったい何か。思い当たるのはただ一つである。2008年に橋下徹氏が知事になって以来、大阪では維新の会が公的医療機関を民営化し、行政リソースを削減してきた。その結果、新型コロナ患者に対するケアが行き届かず医療崩壊が起きたということだ。

テレビでは連日吉村知事の奮闘ぶりが報道され、ものすごく頑張っている印象を多くの府民に与えてきた。睡眠時間を削って対応にあたる知事に対して「吉村頑張れ」「吉村、寝ろ!」などという応援もネットを駆け巡った。

そうした維新の活動が連日マスコミに流された結果、維新の人気は高まり、維新の勢力はますます拡大した。前回の参議院選挙ではついに野党第一党の立憲民主党より多くの得票率を獲得した。

しかし、このデータを見てハタと思った。大阪の死亡率がダントツに高いのは、もともとは維新の医療政策の失敗が引き起こしたものではなかったのか。もしそうだとすれば、維新は自らの失敗を棚に上げ、逆にマスコミをうまく利用して勢力を伸ばしたことになる。

もちろん、大阪府の死亡率がダントツに高いのは医療体制以外にも問題があるとも考えられる。下記の読売新聞(2022年9月11日)は東京と大阪を様々な観点から比較している。しかし、東京と大阪しか取り上げていない点や、大阪で医療崩壊が起きた原因については全く触れられていないなど、分析の仕方としてはお粗末である。

https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20220904-OYO1T50002/

 

いったい誰が悪いのか。維新の医療政策を追求しないマスコミが悪いのか、それとも野党の政治家がだらしないのか。民主主義は国民に対して正しい情報が提供されて初めてうまく機能する。民主主義は一歩間違えれば衆愚政治だ。もし、こうしたデータが広く喧伝されていたら、大阪の政治勢力はもっと違ったものになっていたかもしれない。


民主主義の3つの欠点

2022年09月11日 | 日常の風景

世界にはいわゆる民主主義国家と呼ばれる国はいくつくらいあるのだろうか。Specteeという会社のレポートに次のようなグラフが載っていた。

このデータによれば、167か国のうち民主主義に分類されているのは74か国(全体の44%)ということである。まあ、そんなものかもしれない。

一般に、民主主義国家はいい政治体制だとされている。たしかに、憲法の上に独裁者が君臨しているどこかの国に比べればまだましである。しかし、民主主義国家といえどもその意思決定を見ていると少なからぬ危うさを感じる。

たとえば、イギリスの次期首相候補にトラス氏が選ばれた。トラス氏の勝因の一つは「減税」を公約に掲げたことだといわれる。しかし、10%のインフレ下にあるイギリスでもし減税をやれば、火に油を注ぐことになる。それにもかかわらずイギリスの保守党員は、社会全体の利益よりも自分の生活を優先した。

このことからわかるように民主主義の第一の欠点は、社会全体のことより自分の利益を優先するということである。民主主義国家は一般に多数決で物事が決められる。その際重視されるのは「自分の利益になるかどうか」である。

実際、自分たちの利益を最大化するため、財界、労働組合、医師会、農協、宗教団体など多くの圧力団体が、自分たちの利益代表を議会に送り込んでいる。議会というのは、声の大きなものが声の小さなものを黙らせるための機関だともいえる。「民主主義的に決めたのだからごちゃごちゃ文句を言うな!」。

ルソーは社会全体の利益を「一般意思」という言葉で表現したが、一人ひとりの国会議員は一般意思などみじんも持ち合わせていない。自分を国会に送り込んでくれた団体の利益のためにせっせと働く。

民主主義の第二の欠点は、目先の利益しか考えないということである。地球温暖化、原子力発電問題、国債発行など、いま生きている人が利益を享受するために、そのツケをまだ生まれてこない未来の人に払わせている。

未来の人には選挙権がない。だから、いま選挙権を持っている人が未来のことも考えて意思決定をする必要がある。しかし、そんな配慮はほとんどなされない。「100年後、自分は生きてはいない」。その現実が無責任を生む。

第三に、民主主義は情報操作に弱いという欠点がある。たしかに映像を使ったヒトラーのプロパガンダは巧みだった。ドイツ国民は簡単に情報操作され、ヒトラーを選挙によって総統に選んだ。戦後、すべての責任をヒトラーにおっかぶせたが、ドイツ国民に責任は全くなかったと言えるのか。もちろん他人ごとではない。戦前の日本も同じである。政府の喧伝や教育によって簡単に洗脳され、思考力を失ってしまった。

これらのことから見えてくるものは、民主主義的決定プロセスには「社会全体の利益より自分の利益を優先し」「将来のことを考えず」「簡単に情報操作される」という3つの大きな欠陥があるということがわかる。

ただし、民主主義は独裁と違って、間違っていることに気が付いたらその時点で修正が可能である。その点は民主主義の唯一のとりえと言えるのかもしれない