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南英世の 「くろねこ日記」

徒然なるままに、思いついたことを投稿します。

1ドル=142円

2022年09月06日 | 日常の風景

日米の金利差だけで説明がつくのだろうか? 何かもっとすごいことが起き始めているのではなかろうか。どうも嫌な予感がする。

急遽、豪ドルもちょこっとばかり仕入れた。豪ドルは資源価格に比例する。ウクライナ情勢からもう半年たったが、もう少し早く気が付いて買っておけばよかった。今からでも損はしないだろう。

 


ノートづくり

2022年09月04日 | 日常の風景

10月から始まる授業のために、せっせと授業ノートを作っている。今度は1年生の「公共」という新設科目を担当する。だから以前のノートそのままというわけにはいかない。しかし、かなりの部分は焼き直しでいける。

最近は3年生の政経ばかりを担当してきた。受験を意識しなくて授業ができるのは久しぶりだ。受験に出る「ゴミ情報」を全部削除し、高校生に必要な本質的なことだけに焦点を絞ってノートづくりができる。

おそらく、彼らの多くは3年生で政治・経済を選択しないだろう。大学に行っても政治・経済学を学ぶ機会があるとは限らない。そう考えると、人生の中で政治・経済学の基本を学ぶのは、これが最初で最後となる。

それにしても教科書を見て驚いた。

第一に学問体系を無視してぐちゃぐちゃな順番で全体が構成されている。文科省はなぜこんな構成にしたのか。学習指導要領を改正すればかえって「悪くなる」見本といえる。

第二に、詳しすぎる!これを2単位で教えろというのは土台無理な話。教科書会社は何を考えてこういうものを作ったのか?  販売戦略上の理由か、それとも詳しく記述することによって文科省の狙いを意図的に薄め検定をすり抜けようとしたか。

いずれにしろ、生徒からすれば「酷な教科書」である。生徒は教科書を全部理解しないといけないと思うだろう。教科書を教えるのではなくて、教科書で教えるというふうに、教える側がきちんと理解していればいいのだが・・・

それにしてもノートづくりのなんと楽しいことか。余分なことをそぎ落として、すっきりしたノートが少しずつ出来上がる。至福の時である。

(完成したノートと目次)

 


家庭科の授業で資産形成教育?

2022年09月03日 | 日常の風景

 

普段、よその教科の教科書に関心を示すことはあまりない。ただ、この記事を見て???と思った。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f22bcc761fbc9d180a5170806df1522728eb4031

 

なぜ、家庭科で資産形成の授業をするように学習指導要領は定めたのか。これが政治・経済の授業でやれというのだったらわかる。しかし、そうではない。家庭科なのだ。

資産形成は実際問題なかなか難しい。人生とは「5000万円を貯めるゲーム」と言えなくもない。しかし、そのためには経済学に対する基礎知識が不可欠である。経済学を専門に勉強してきた経験がない家庭科の先生が、資産形成のための授業をやることに不安を持つのは大いに理解できる。

政府の意図は見え透いている(と私には思える)。日本人の金融資産をアメリカなどと比べると、圧倒的に貯蓄が多く、株式投資は少ない。日本の家計金融資産約2,000兆円のうち、現預金が50%を超えている(2021年末)。他方で、株式、投資信託の割合は約19%と、米国の約55%、英国の約42%(2021年末)と比べてかなり低い。これが政府にとっては癪でたまらない。何とかしてこの貯蓄を株式投資に振り向けることはできないか、というわけだ。

たしかに、T.ピケティは「資本収益率は経済成長率より大きい」と言った。

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すなわち、株式を長期に保有すれば、働いて稼ぐよりより多くの富を得られる。これは歴史的事実である。しかし、このことがもし真実であったとしても、短期的には株式や投資信託は大きく値下がりすることもある。果たして、国民はそうした短期の値下がりに辛抱できるかどうか。

ましてや、これからの日本社会に明るい要素はほとんどない。人口減少、長期の経済停滞、賃金下落、頭脳流出・・・。そうしたことを考慮すると、「貯蓄から投資へ」「一億総株主」などと言われても素直には納得できない。

まあ、政府としては「NISAやiDeCoを使って、しっかり老後資金を若い時から計画的にためておきなさいよ」というつもりなのだろうが、それなら政治・経済の授業でなぜやらせようとしないのか?

もっとも、経済学を学んで金儲けをしたのはケインズとリカードくらいのものだから、いくら経済学の勉強をしてきたからといって、資産形成のアドバイザーとして適しているとは限らない、と政府は考えたのかもしれない。いや、ひょっとしたら、経済の勉強をした者はリスクの怖さを知っているから、そんな政府の思惑通りにはやってくれないのではないか、と考えたのか。

なけなしの虎の子をリスクのある資産に投資せよと授業で教えることが、果たして正しいことかどうか。それこそ「余計なお世話」というものではないか。

 

 


一流の先生とは?

2022年09月02日 | 日常の風景

40年以上も教員生活をやってきて改めて思う。一流の先生ってどんな先生だろう?

はっきりしているのは三流の先生。

間違ったことを教える。おまけに間違いを指摘されると怒り出す。うちの娘は、小学校のとき担任の先生が明らかに間違ったことを教えたので、そのことを指摘したら、それ以降担任から邪険に扱われ、おまけにいじめられたという。ここまでくれば3流どころではない。10流くらいだろう。

過ちを過ちと認めないことを過ちという(論語)。誤りを認めることは本人に実力と徳が備わっていないとできない。かつて習った大学の先生が講義中に「折口信夫(しのぶ)」を「のぶお」と読み、あとで学生から指摘されてすぐお詫びをし訂正した。立派な先生であった。ちなみに折口信夫は天王寺高校の卒業生であり、石川県のわが母校(高校)の校歌の作詞者でもあった。何かしらの因縁を感じた。

では二流の先生とは?

答は「わかりやすく教えてくれる先生」。

えっ! それって一流でしょ、と思う人も多いはず。いやいや、そのレベルはまだ2流ですぞ。わかりやすく教えて、testでいい成績が取れるようにしてくれる先生はまだまだ未熟。

じゃ、どんな先生が一流なのか?

私が思うに、「その科目が好きになって、もっと知りたいと思わせてくれる先生」。その分野に興味・関心を持つように仕向けてくれる先生。それが一流の条件。いくらテストで満点をとれるようにしてくれても、「面白い!」と思わせることができなければ先生としては落第というべきである。

これは教師の方によほどの力量がないとできない。ものの本に書いてないこと、すなわち自分独自の「言葉」を持っていることが必要である。それと、先生自身が学問を楽しんでいること。

昨今は二流の先生がいい先生と思われているが、二流はまだ一流ではない。いやはや、教師の道は果てしない。

 


笑わない数学

2022年09月01日 | 日常の風景

 

最近テレビの面白さに目覚めた。今日も面白い番組を見た。NHKの「笑わない数学」という番組である。名前の面白さに惹かれた。
カオス理論の説明だった。初めて聞く解説だったが、超面白かった。今まで数学なんて何の役に立つの?と思っていたが、実際役に立つではないか。いや、仮に役に立たなくても、こんな「美しい世界が広がっている」ことを解き明かすだけでも存在する価値がある。1年間に1時間でいいからこんな話を数学の時間にしたら、数学好きになる生徒がもっともっと増えるのではないか。
 
授業は学問に対する興味付けであり水先案内人である。面白いと思わせるのがいい教師。最近、わかりやすく教えるのがいい教師だと勘違いしている風潮がある。