図書館屋の雑記帳

自分のこと、図書館のこと、図書館関係団体のこと、本や雑誌など図書館の資料について気の向くまま書いていきたいと思います。

マッチポンプ

2006-06-24 | 図書館つれづれ

 「「誹謗」だなんてレッテル貼ってる場合じゃないぞ!」か・・・。

 私はもうW氏を想定して文など書いてはいない。
 理由を述べる。

  W氏のブログに「「みんなの図書館」7月号 投稿者 G.C.W. 日時 2004年6月14日 23時01分」というのがある。引用する。

 「帰宅したら「みんなの図書館」7月号が届いていた.(中略)
この重要討議課題の文中には「要求される書庫資料や予約をみると,刊行年が古いなど的が絞れていないことが多々ある」(p3)というちょっとこれはどうしたものか,と思っちゃう文章もあるくらいですからねえ.
 資料を探すことにおいて重要なのは,その資料に何が書いてあるかであって,刊行年が古いか新しいかは問題ではないはず.まさか刊行年が新しいほど良質の資料だ,などという素朴な進歩史観を持っているとしたら,おおよそこの部分の執筆者は図書館員としての資質に欠けていると言わざるを得ない.例えば会津藩の幕末史を研究するための必須資料である『京都守護職始末』は1911(明治44)年に初版が出ているものだが(再編集された東洋文庫版が出版されたのさえ1965[昭和40]年),これを刊行年が古いという理由で切り捨てるのは歴史研究のイロハを知らない,大馬鹿者の所業である.大学で卒業研究も書いてないんじゃないだろうかというヒドイ邪推が一瞬,頭を掠めるほど,この部分を執筆した人物は文献調査という行為に対する理解が本質的に欠如していると思うが如何(以下略)」(色および略は私図書館屋)
 
 緑の字の部分は「みんなの図書館」に書かれているのではなく、W氏が想像したもの。黒字は自分が想像した事例を元に、批判している部分である。書かれていない、そうして執筆者が想定したはずもなさそうな事例を出し、それを元に批判する。これは通常、マッチポンプと言われるものである。すくなくとも事実に基づく批判ではない。私はこの文章を読んだ後、W氏のブログの過去ログを読むのを止めた。W氏が書く事が事実であるかどうか担保されていないからである。

 科学者がデータの捏造を行い問題になったことが何度かあったが(最近も韓国や日本の事例が話題になった)、W氏の文章もそれに近い。たとえデータを捏造した科学者が「捏造はその時だけです」とか弁明しても、その研究者が関わった研究はすべて捏造の可能性を考慮される。
 W氏の文章についても自らの保証以外の方法で内容の正確さ、批判する根拠となった事実の存在などが担保されない限り、これまでの文章はもちろん、今後の文章もその中に事実でない架空の事象に基づく批判が紛れている可能性を常に考えざるを得ない。まして引用した文章は2年余りもネット上に存在している以上ケアレスミスではない。
 どれほど舌鋒鋭く切り込みネット上で賞賛されても、私は信用できない文章とその文章を書くW氏を想定して論議しようとは思わない。

 1990年代の初めW氏が図問研大会で発言していた姿を思い出す。私は当時図問研の役員であり、W氏のしっかりした考え方を持ち物怖じせず堂々と発言する姿に将来の図書館界を背負って立つ逸材だと本気に考え、直接そういう話もした。それだけにこのような事実に基づかない文章を見るのは残念である。
 
 もうひとつ述べたいことがある。ただしこれから述べるのことはmixiという閉鎖的空間で書かれた文章のことであり、それを見ることの出来るごく一部の人々のほかには検証しようのないものである。よって以下の文章はW氏にのみ宛てたものである。

 「年長者への礼」云々という記述があるが、そもそも
ネット上においてお互い匿名で書いている以上、どちらが年長者かは判らないのが普通である。だとするならば常に「年長者への礼」をW氏も実践するのが言行一致というものである。そしてW氏の想像に反して私はあなたより年長である。ちなみに私自身は年齢に関係なく対等に議論するのが望ましいと考えるが、自ら「年長者への礼」を言うのならば自らも実行すべきである。

 最後に、W氏は図問研に対する厳しい批判を継続的に行なっているが、では出席した図問研大会で問題点をどのように指摘し、改善案あるいは対案を述べているのか。
 1993年の大会では次のような内容で4回発言している(発言要旨)。
 ・政治的問題も討議すべき。
 ・基調報告に対する質問がW氏の許可なく印刷・配布されているのはなぜか。
 ・「多文化社会に対応する」図書館サービスというのは結局、日本に在住する外国人に対するサ ービスというように理解していいのか。
 ・出版流通の分科会では司書の講座の内容に出版流通のことを入れてほしいといったことも出されている。もう少し適切にまとめてほしい。

 1994年の大会では、「「基調報告(案)」についての意見」という形で登場している(以下要旨)。
 ・今回の基調報告は全体としては非常にわかりやすく丁寧に作ってあると思う。
 ・「委託問題」に関しては大変筋の通った、要点を押さえたわかりやすい文になっている。これは「委託問題」のすぐれた俯瞰的説明になっている。
 ・諏訪地域の六市町村での一部事務組合による図書館へのコンピュータ導入に関する件。
 ・マスコミでの取り上げ方について。
 ※以上2件「みんなの図書館」1993年10月号および1994年10月号より。

 私はW氏が図問研にかつて在籍したり、方針に対して賛意を表していることをもって、現在の批判が不当だと言うつもりはまったくない。考え方や態度は日々変化するからである。ただW氏が図問研の中で排斥されたり、発言を封じられたり、発言を無視されたりといったことはなかった。例えば「政治的問題も討議すべき」という意見に対し、何人かが反対・賛成の意見を述べている。
 「図問研的DNA」が存在することは、私も否定はしない。しかし、図問研もまた日々変化する。「図問研は」という批判ではなく、「図問研の」何時のどういう政策、方針がどういう理由で問題なのか、と問わなければ批判ではない。そうでなければ誹謗だと言っているのである。

 しかし、冒頭で述べたように、事実に基づかない批判を見てしまった以上、私はW氏について私の方から取り上げることはない。今後私が「図問研は」という発言に対し意見を述べる際念頭においているのは薬袋氏であることをお断りしておく。

 

 


コメント (9)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「みんなの図書館」7月号の... | トップ | きりんさん »
最新の画像もっと見る

9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます! (G.C.W.)
2006-06-24 22:27:41
 真面目な話,そこまで言われたのは初めてですよ.真摯なご批判には感謝です.



 ただね,あなたの知らないところで図問研と僕の間にはいろいろあったわけでね.あなたの目に見えるところだけを見て「排斥されたり、発言を封じられたり、発言を無視されたりといったことはなかった」って断定されるのは,ちょっとイヤですね.それこそ「事実に基づかない批判」でしょう(^^;).



 ま,例え話が「例え話」として理解できない方に,何かを言うのは野暮というものですね(^^;).



 それにしても,あなたはルール違反を再三にわたって犯してますね.mixiの件はともかく,図問研MLの内容を公けにしたこと,僕が誰であるかをちょっと調べればわかるような形でこのblogに書いたこと.図問研MLの件は直接僕とは関係無いこととは言え,ルール違反には違いありますまい.

 「目的のためには手段を選ばない」これを自ら身をもって示してどうするんです(^^;)?



 他人を批判するのは構わない.僕もやっている.しかし,ネット上で他人を批判するときに最低限守らなければいけないルールを,僕は昔々痛くなるほど指摘されて,それは取り敢えず守っているつもりですし,これからも守っていくつもりですよ.少なくとも僕はあなたが誰かを知らないし,これからも知る必要も感じてない.あなたのように,やっていいことと悪いことの区別もつかないほどバカじゃないから.



 図問研MLについては,あなたが破り,そして以前にもML上で僕をこの件で揶揄した人間が書籍でMLでの論争について明らかにしている,僕のときは迅速に動いた連中がこれを見逃して何のためのML管理者か,僕には理解できないから,ああして指摘したわけ.





 ・・・・・・もう少し「物の道理」のわかる方だと思ってたんだけどね(^^;).残念です.
返信する
肝心な事に答えていない (図書館屋)
2006-06-24 23:15:06
私の問いに答えていない。自分で出した「例え話」をもとに批判するのが正当ならば、何だって批判できるのだ。私はあえてあなたの根源的問題を問うために踏み込んで書いたのだ。また、私の文章も誤読している。私があなたへの非難や排斥がなかった、といったのは全大会会場においてである。なぜ言えるかといえば、その時その場に私がいたからである。それ以外の場面は知らないし、書いてもいない。
返信する
公の場 (図書館屋)
2006-06-25 05:35:47
 まずmixiについて。通常私には見る権利のないあなたの日記を、わざわざ私が見ることが出来るようにしたのはあなたである。そこには私に対する非礼な事柄が綴られていた。それを私にわざわざ見せるのだから、私がそれをもとに何かを書くことは当然了解済みであろう。

 次に図問研ML上の件について。私はMLでの論議と、図問研大会での議論の方法は基本的には同じと考える。すなわち、大会の場では具体的で自由な議論ができるよう、個人名や特定の図書館や機関等の実名をだして行なう。しかし、それを公にする場合には個人の名誉を損なったり誰かが不利益を被ったりしないよう配慮をした上で公にするというルールがある。そういった配慮をした上でそこで何が議論されたかを会員に知らせる必要があるので大会報告が出されるのである。

 MLにおいてもそこでの議論の具体的内容が図問研外部に出てしまった場合、個人の名誉を損なったり誰かが不利益を被ったりする可能性があり、そもそも外部に出るかもしれないという状況の中では具体的で自由な議論ができないということでルールが一定定められている。しかし、上記のような点を十分配慮してもなおML上で何が議論されているという事柄すら他に漏らしてはならない、ということではない。私の記述については、MLからのコピペでもなく、個人名や図書館名の特定もできず、投稿者や投稿内容に対しての中傷的表現もしていない。

 次にあなたを特定できるような記述について。私はブログ上であなたの個人名や勤務先を明記している訳ではない。私もあなたが特定できるような書き方をこれまで避けてきたつもりだが、ここに至り過去にあなたが行なったことに触れる必要があったので出展を明記した。特定したい人はあなたのブログを見ればあなた自身が勤務先や居住地が判るような書き方をしているのですぐ判る。私もmixiで見る前からW氏だと判っていた。
返信する
ルールの守れない人 (ゴールデンウィーク)
2006-06-25 13:34:54
私もGCW氏は議論の基本的なルールも踏まえられない人として、最近はブログを読むのもやめました。いちいちあげていたらきりがないですが、一例をあげますと、「東京の図書館をもっとよくする会」のブログ、2005.2.18の記事

http://motto-library.cocolog-nifty.com/main/2005/02/22.html

に対するGCW氏のコメントで、



>これらのことを無視して,派遣社員が不正に個人情報を引き出したことのみを「糾弾」

>するのは,

(「」引用者)



と、書きながら、自分のブログでは、2005.3.2の記事

http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2005/03/post_3.html

で、

>このコメントでしきりに出て来ます「糾弾」という言葉ですが,G.C.W.氏はあ

>る事情からこの言葉と「総括」という言葉は自らの文章では出来る限り使用しないこ

>とにしており,またこれらの言葉が意味する行為を嫌悪してます.恐らく,コメント

>主の脳内にいる「G氏」とやらは怒号しているのでしょうが,実在のG.C.W.氏

>が使用していない以上,



と書いてありますが、自分の書いた文章の見直しもせずに、非難だけに一生懸命のようです。自分の書いた言葉も下敷きに出来ずにまさにその部分で非難をするというのは、最低限のルールも守れない証といえると思います。



その他、GCW氏の文章には、「レッテル貼り」があまりに多く、相手を非難するのではなく、レッテル貼りをしてから、そのレッテルと本体をごっちゃにして誹謗中傷をする手法が多いのですが、これはGCW氏が毛嫌いしているらしい、1980年代以前の左翼系運動のプロパガンダの手法とまったく同じです。



よそのブログでも、http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060612

わざわざ

『「心の貧困」ねえ(^^;).他人を「単なる古本オタクのあなた」などと呼ぶヒトに,そんなこと言われたくは無いですね.』



などと書いていますが、人をレッテル貼りして誹謗中傷するのが得意なGCW氏が

天に唾しているような気がしてなりません。



返信する
情報ありがとうございます (図書館屋)
2006-06-26 08:18:50
 ゴールデンウィークさん、情報提供ありがとうございます。「書物蔵」もW氏とは知りませんでした。

 さて、W氏のこれらのブログを読んで思う。内容はともかくこれだけの知識や思い、そして膨大な書き込みがある一方、表の世界では論文1本(国会図書館の雑誌記事索引より)と母校の同窓会役員等があるくらいで、その落差があまりにも大きい(ネットでわかる範囲だが)。

 ここからは推測。W氏はネット上の匿名性の世界で見るもの触れるものをかまわず誹謗中傷、あるいは罵倒することで「王様」をやっていたのだと思われる。図書館界の変革を声高に叫んでいてもそれはあくまでバーチャルな世界での叫びであって、現実社会と切り結ぶ気はあまりないようだ。

 しかし、W氏が誹謗中傷、あるいは罵倒している「図問研」、「日図協」、個人(池沢氏等)、あるいはコメントを寄せた人等はバーチャル世界での存在であるとともに現実社会の存在でもある。W氏がネット上で何を書こうが自由かもしれないが、それが現実社会に触れたときW氏は「裸の王様」となる。

 W氏の存在は現実社会にほとんど影響をあたえていない。現実社会は現実社会と向き合い自らの手で切り開いている人々や団体によって動いているのだ。W氏の存在如何にかかわらず図書館界は変わっていくのだ。
返信する
誤解のある書き方でごめんなさい (ゴールデンウィーク)
2006-06-26 19:05:57
あ、ごめんなさい。書き方が悪かったようです。「書物蔵」は、GCW氏ではないです。ここに載せたのは「書物蔵」主催者のブログへのGCW氏のコメントということでした。誤解を与える書き方でごめんなさい。
返信する
早とちりでした (図書館屋)
2006-06-26 20:58:51
ゴールデンウィークさん、ご指摘ありがとうございます。私の早とちりでした。
返信する
旦那 (ゴールデンウィーク)
2006-06-27 20:28:42
詳しい事情はわかりませんが、GCW氏のブログと「図書館屋」さんのブログを読んだところ、こういう話らしい。

GCW氏が昔、ある団体のメーリングリストのルールを自分から破って非難を受けた。その後、他にも同じようにルールを破った人がいるので、自分もまた破ってもいいと開き直って、また破った。そして、今度は図書館屋さんが同じこと(私は同じとは思いませんが)をしているといって、とがめている。。。む、無茶苦茶すぎる。。。ダブルスタンダードどころではありませんな、これは(^^;

図書館屋さんの前の文章(2006-06-02)を読んでいて↓、

http://blog.goo.ne.jp/mimuk/e/a9934299f8bdbe5c2aa3007ddf913d47

図書館屋さんはそういうつもりで書いたのではないと思いますが、私にはどうしてもGCW氏が想起されてなりませんでした。この「旦那」とやってることはまったくいっしょですね。
返信する
なるほど(^^; (図書館屋)
2006-06-28 05:28:37
 なるほど(^^;。

 もっとも、「私の原風景」は、文芸サークルの雑誌に連載していたものがいつしか途切れ、改めて自分史的部分の備忘録として書いているものです。ですのでもちろん「Y旦那」の件はW氏を頭のどこかに置いて書いたものではまったくありません。

 そういえば名著『詭弁論理学』(野崎昭弘著 中公新書 1976年)にこんな記述があります。

「強弁術の要諦を格言ふうにまとめると、次のようになるであろう。

(1)相手の言うことを聞くな。

(2)自分の主張に確信を持て。

(3)逆らうものは悪魔である(レッテルを利用せよ)。

(4)自分のいいたいことを繰り返せ。

(5)おどし、泣き、またはしゃべりまくること。」(p52より)

 「Y旦那」はこれを言葉ではなく行動で表していたのでしょう。
返信する

図書館つれづれ」カテゴリの最新記事