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花はなぷりんのささやき

わたしのかんさつ日記

広瀬川と愛子盆地

2011-01-29 09:32:43 | 日記

宮城県仙台市を流れる名取川水系名取川支流である広瀬川中流の東西約10キロメートル、南北約5キロメートルには河岸段丘の愛子盆地(あやしぼんち)があります。ここには旧宮城町の中心部があり、都心部とは国道48号(仙台西道路又は旧道)やJR仙山線などでつながっています。

広瀬川には古くから伝説があります。

1つ目は、昔、毎年お盆になるとこの辺りにやってくる坊さんがいて、家々で盆棚のお下がりを馳走になっていたのですが、その坊さんは少しも年をとった様子が無く、いつも変わらない顔をしていました。

ある年、やはりその坊さんがやってきて、ある家を訪れました。その家には若者が集まっていて、毒流しをして川の鰻を獲ろうと相談していました。坊さんはそれを聞きつけると、しきりに止めさせようとして、その日は麦飯をご馳走になって立ち去りました。

坊さんについて、おりから不思議に思っていた若者たちは、その言動を怪しみ、その中の源兵衛が跡をつけることにしました。源兵衛が急いで跡を追うと、坊さんは崖を下り、淵にすうっと吸いこまれるように消えてしまいました。

その後、毒流しは行われたが、その時大きな鰻が浮かび上がり、その腹を裂いてみると麦飯が出てきました。
あのお坊さんが鰻だったのです。

 2つ目は、昔、橋のない頃、崖下に住んでいた源兵衛が、五月雨の降るある夜、家の戸をたたく音がして開けてみると源兵衛のもとに目も醒(さ)めるような美しい女やってきました。

その女は「 わたしはこの下の淵に長年住んでいる鰻ですが、明晩、賢淵の蜘蛛が攻めて参ります。そこで加勢をお願いしたいのです。ただ、『源兵衛ここに控え居る』とおっしゃってくれれば良いのです。そうすれば、わたしの勝ちになります。」 と懇願しました。

源兵衛は承諾しましたが、あくる晩、淵で激しい合戦が始まり、いざ蜘蛛と鰻の格闘が始まると、水を打ち合う凄まじい音を聞き、臆病な源兵衛は震え上がり、あまりの恐ろしさに女との約束どころか、家の奥にずっと隠れていました。

翌朝、恐る恐る家を出て淵を見ると、水は血で真っ赤に染まり、大きな鰻の頭が源兵衛の家の方を睨んで横たわっていました。

それを見た源兵衛は気が狂って亡くなってしまいました。 源兵衛淵での溺死は、鰻の恨みが塊、祟りからだと言われ、それからここを源兵衛淵と呼ぶようになったそうです。

 3つ目は、賢淵(かしこぶち)の大蜘蛛(おおぐも)のお話です。

むかしむかし、青葉区八幡で広瀬川が大きく蛇行したところにあるのが賢淵で、ある男がこの淵で釣りをしていると、一匹の蜘蛛が現れ、何か汚いものを男のすねになすりつけ、どこかへ消えていきました。

 男はそれをぬぐって、近くの柳の木の根元になすりつけると、蜘蛛はまた現れ再び男になすりつけていきました。

男はそれをまた柳の木になすりつけ、近くの柳の木の根元につける。そんなことを数回繰り返すうちに、突然柳の大木が大きな音とともに淵の中に引きずり込まれていったのです。

男があっけにとられていると、水の中から「賢い、賢い(かしこい)」という声が聞こえてきました。 それからこの淵は「賢淵・かたぶち」と名付けられたそうです。

1、2は源兵衛淵(げんべえぶち)の大鰻青葉区にある霊屋(おたまや)橋の、東の崖(がけ)下にある源兵衛淵でのお話です。3は、青葉区八幡の賢淵のお話です上の2種類の話が伝わる源兵衛淵ですが川の東側が崖になっていて、淵の痕跡をとどめています。1・2ともに類型的な伝説で、宮城県内だけでも数ヶ所ずつの類似伝説を見ることができます。)

2の伝説は、同じ広瀬川の数キロ上流にある藤助淵にもほぼ同じ形で伝わっています。

ここでは鰻ですが、長もの同士でも、蛇と蜘蛛では蜘蛛の方が強いのだそうです。蛇は蜘蛛が仕掛ける粘着力の強い糸の罠にかかると、巻き取りながら蛇を地面から持ち上げて吊るしあげ、首に噛み付き毒で蛇を弱らせて、蛇が死ぬと蜘蛛はゆっくり血を吸うのだそうです。中国浙江省(せっこうしょう)東部の農家でそういう例もあったらしいです。

でも、蜘蛛の方が強いなんて意外ですね。

今日もご訪問をありがとうございます。


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