花はなぷりんのささやき

わたしのかんさつ日記

本殿・拝殿

2012-08-26 13:35:56 | 神社・神話

御祭神の猿田彦大神は、ものごとの最初に出現し万事最も善い方へ導く大神で、
古事記によると「天の八衢に居て、上は高天原を光し、下は芦原中津国を光す神」だと言われています。

高天原からこの国土に降る道の途中に、四方八方に分岐する道があり、猿田彦神はそこに居られて道を守り、道を教えた神様で、このことは天孫の降臨について、天孫の一行にその行く手を教え導かれた功績を褒め称えたとされています。

これは大にしては国の行く手を示す神であり、小にしては道の守り神として悪いものを防ぎ、よき方への導きの神であったことを示したものと言えます。

古事記には更に、この神の出自をいって「吾は国つ神」とあり、この国土にあって国民のための導きの神であったことを知らしめ、その導きの神徳は「御前に仕へ奉らむとて参向に侍らふ」ともあります。

日本書紀には、この神は強い力の持ち主の威風堂々たる容姿の持ち主で
「その鼻の長さ七咫、背の長さ七尺余、また口尻明りて耀れり、眼は八咫鏡の如くにして耀輝けること、赤酸醤(ホウズキ)に似たり」とあり、

天狗の原形とされ「天地を照らす神」ということから、天照大神以前に伊勢で信仰されていた太陽神であったとする説も。
らんらんたる眼を持った偉丈夫の姿を彷彿とさせる大神で、そしてその威力は「目勝つ神」はなかったとあるように、その眼力が窺えるので、この神が岐れ路道におられて睨みを聴かせているのだから、悪いものは近寄ることさえできないとあります。

倭姫命世記によれば、猿田彦の子孫の大田命は天照大神を祀る地として倭姫命に五十鈴川川上の地を献上し、大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、神宮に玉串大内人として代々奉職しましたが、その宇治土公が邸宅内の屋敷神として祖神の猿田彦を祀っていたとされています。

常陸国の住人に猿田氏があるが、猿田彦の末裔であるとされています。

(白髭神社HPより)


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