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花はなぷりんのささやき

わたしのかんさつ日記

YのBirthday

2011-07-04 16:20:28 | 家族

6月25日は、Yの誕生日でした。

Yは、とても嬉しいそうでした。

我が家では、初めての「アイスケーキ」をサーティワンで買って来たからです。

いつもは、スポンジのケーキだけど、前から一度、食べてみたいというリクエストに応えて買って来ました。25日は、暑いだったのでアイスケーキは正解でした(#^.^#)
中には、ポッピングシャワーというアイスが入っていて、ラムネのようなつぶつぶのお菓子が口の中で弾けます。Yはスティッチも食べてご満悦!
アイスは美味しかったです。夏に近い生まれ月だからいいかも。冬は遠慮する~。
その日はMTVがあり、久々に安室ちゃんをテレビで観たなぁ♪
レディ・ガガも観た♪
ボーン・ディス・ウェイはちょっと誕生日によかったんじゃないの~!?
蜘蛛のピアノは、びっくりしたけどね。

 

Yちゃん、11歳の誕生日、おめでとう!


大明神岬

2011-07-04 02:44:11 | 家族

祖父の故郷の、京都府久美浜湾の西部に突き出した大明神岬には、11の古墳があり、その中に、丹波道主命の墳墓があるといわれています。

丹波道主命は、四道将軍のひとりで、丹後平定を命じられ丹波に派遣され、12代景行天皇の外祖父にあたります。

『日本書紀』によると、崇神天皇10年(紀元前88年?)に北陸道に大彦命、東海道に、たけぬかわわけの命、山陽道に吉備津彦命、山陰道に丹波道主命が、派遣され、天皇の教えに従わない者があれば兵を挙げて伐つようにと四将軍を遣わしたと言われています。

大和朝廷より命じられ、丹後に入るのですが、平定に際し、前途の平安と大和政権の安泰を祈願して、丹後と但馬の国境である神谷の里、明神谷に、八千矛命(大国主命の別名)、天神玉命(賀茂一族の祖)、天種子命(天児屋命の子)三座の神々を出雲の国より迎え、神谷神社を創建されました。

丹波道主命の亡きあと、久美谷川の清流に沿う久美浜小谷の清地に社殿を造営し、常に腰につけていた神剣「国見剣」(くにみのつるぎ)を神魂(かみのみたま)とし、三座の神々を合せてお祭りし、以後「神谷太刀宮大明神」「厄除・方除の太刀宮(たちのみや)」と言われ、祀られているそうです。

また、丹波道主命の御剱「国見剣」から起こって「国見」が「久美」と訛り、久美浜の地名となったと言われていて、近畿一円を見ても、丹波道主命を主祭神として鏡座する社は外になく、この神谷神社が主祭神として丹波道主命をお祭りしている全国唯一の社であるとされています。

神谷神社の境内の一角には巨岩、奇石がならび、これが古代に崇敬された「磐座(いわくら)」で、社殿祭祀以前に神様をお祀りし女人禁制とされた磐座もあったそうです。もとは、神谷小字明神谷に祀られていたが中世の頃、戦乱のため社屋が破壊されたので現在地の太刀宮(たちのみや)に合祀されました。

祖父は昭和22年に亡くなっていて、父も当時はまだ14歳でした。父には戸籍上、3っつ上の兄がいましたが、5歳で亡くなっています。祖母は、京都が好きだったようで、お墓は京都がいいと、皆、金沢にいるのに、こっちに建てることになりました。当時は、父も京都が恋しくて本籍はずっと、京都の久美浜になっていました。

私が結婚するときまでずっと、本籍はそのままだったので、結婚するときは取り寄せたりで、ちょいと面倒でしたね。田舎だから・・・。

私の結婚のときに、もういいよねって、やっと、本籍を金沢にしたくらいです。何処かに自分と京都をつなげておきたかったのかな?って思うケド。

でも、お墓に参るのは、子孫だから買うときに「金沢に買ったら」と言った、母や母の祖母の言葉に祖母はすごく怒ってたらしく、怒り方が尋常じゃなかったので、間に挟まれた父母は大変だったそうで、夫婦喧嘩も多かったようです。

結局、揉めたけど、京都にお墓を建てることになりました。本当は母は父の名前で建てたかったそうだけど、祖母の名前で建ててしまいました。隣には、祖母の妹の家のお墓があります。姉妹で一緒に買っていたかったのかなぁ。気持ちはわかるけど、子孫は年に何回しか来れません。ばぁちゃん、時の流れを大切にできたらよかったねって思います。

お墓は、女の名前でなく、男の名前で建てた方がいいと母は言ってました。その家の当主となる者が墓守をして、先祖を敬い代々に受け継いでいくことで、祖先の霊が鎮まり、栄えるって。母の考えで、どうかはわからないけど、私もそう思います。

だから、本当は父の名前にしたかったけど、祖父は京都市内で、タクシーがまだないころ、人力車で稼いでいて、ギャンブルしたり、飲み歩いたりして、祖母をよく泣かせることしていたらしく、祖母も裁縫の内職でやりくりしていたました。祖父は叔母が、お腹にいるときに、胃潰瘍から体を壊して亡くなって父親らしいこともせず、死んじゃったから、無責任だと思ってたのかもしれませんね。胃潰瘍なのに、お酒をやめられず、消毒用のアルコールまで飲んでいたのだそうです。

祖母は、旦那が死んで、出産し、乳飲み子抱えて、上の3人を食べさせてって、大変だったと思う。だから、自分がこの墓を建ててあげたよって思いたかったのかも。

なんか暗いかな?今日の記事。すいません、読まないでいいです。

人間は生まれて来るときは、何も持たずに生まれてきて、あの世に帰るときも何も持たずにいくのだから、この世に死んだあとの自分のことについて、執着は持たない方がいいかなぁって思います。

だから、できたら、子孫に任せるか相談して決める方がいいでしょう。。。ね。

今は自然に帰りたいという意味でか?自然葬もされてる時代ですからね。

今日もご訪問をありがとうございます。


ひよこの焼餅

2011-06-09 11:09:48 | 家族

お義母さんが実家に帰っていて、お土産でもらいました。

「ひよこの焼餅」って初めて聞いたw

大分なのに福岡八女茶のお菓子、何処で買ったのかな?空港かな?

義母さんのお父さんが先週の水曜日に、亡くなって報告がてら持って来てた。

「ほっとした」だって…。
98歳で大往生だね~ということで。お義母さん前から「早く逝って」って感じだったから、すっきりした様子だったわw
95歳かと思っていたけど、98歳だった。

お義母さんは、割りと合理的でドライだから・・・

kが小さいときの話。

丁度、チャイルドシートが義務化になったばかりだったんだけど、当時は、まだチャイルドシートをつけてなくて、一緒に車に乗ってたら「子供が助かっても、親が死んだら子供は生きてても悲しいから、どうせ死ぬなら一緒の方がいいから、いらん」・・・とかね。私、事故ったら死ぬの前提?っていうか、そういう問題じゃないと・・・子孫は大切ですよ。
こういう、お義母さんなので、いちいち、言うことに気にしててはよくありません。本人は悪気なく、凄くマイペースな方なので、そういう人だと思ってますが、でも、父親を亡くした者からするとあんまり「長く生きててもらうと困る」的な発言は感じ悪いわ。

あなたの命はお父さんありきで今があるんですよ…って。

でも、勝手な者で亡くなってから、寂しくなるわとか言ってるし…多分、葬儀では泣いてるに違いない。

もう、どないやねん

そやったら、早く逝ってなんて言うたるなよ~。

年老いたおばちゃんの言うことは、勝手で口がアングリしてしまう。

おじいちゃん、亡くなる2日前から食欲がなくなって、入院先の先生や看護師さんたちに

「お世話になりました。ありがとうございました。」って挨拶してたんだって…。

なんて言う、キレイな旅立ち。

奥さんを(祖母)早くに亡くして、50年近く連れ合いもなく生きてきたんだもんね。
農業しながら町長もしたりで、一生懸命に働いたそう。
息子を先に亡くして、どんだけ心細かったか…

今までお疲れさまでした。命を繋げてくれて、ありがとう。

ご訪問、ありがとうございます。


うさぎ(三尾)神社

2011-06-02 09:53:48 | 家族

kちゃん、今日は体験学習で滋賀県の琵琶湖周辺に行きます。もう、着いただろうか?今日、お弁当のお箸を入れるの忘れてしまった!どうやって食べるんだ~w

集合時間を聞いてなくて、お友達が呼びに来てちょー焦ったから、出たあとに気が付いたよ。なんとか、お友達に借りてでも食べてちょうだい。

kちゃんの年の子供たちの干支は、寅と卯になるのですが(Kは卯としです。)今年、ぴったりの神社が滋賀県にはありました。 うさぎの神社としてちょっと有名で三尾神社といい、ちょうど琵琶湖疏水の入り口付近にある神社で卯年の守り神、兎の神社として、知られているそうです。

境内には、うさぎをシンボル?にしたものがたくさんです。うさぎの手水舎、手水舎脇の石灯籠、真向きのうさぎの神文、手水舎の屋根にも鬼瓦ならぬ兎瓦、めおとうさぎといった狛卯?など、至るところにうさぎがいっぱい。

起源は、伊弉諾尊(イザナギノミコト)がこの地に降臨され長等山の地主神として鎮座されたのが始まりとなっています。伊奘諾尊は天照大神の男親で天地開闢(てんちかいびゃく)の神様です。

その昔、イザナギノミコトは常に三つの腰帯をつけており、その色は赤・白・黒その形は三つの尾を引くのに似ていたので三尾明神と名づけられました。

その腰帯はやがて神格化して、そのうちの三尾神社の神は赤尾神で、三井寺山中の琴緒谷(ことおだに)に現れて本神とされています。 白尾神が今の三尾神社があるところに、黒尾神は鹿関(かせぎ)にそれぞれ降り立ったそうな。。。
黒は黒尾新羅太神とも言われ(恐らくスサノオの尊のことで)赤は天照太神、白は白山権現だとされています。

赤尾神が現れたのが、 卯年の卯月卯日、卯の刻、卯の方角からだったため、うさぎが神の使いに選ばれたということになっているそうです。
明治の神仏分離令によって、三井寺にあった三尾神社は現在の地に移され、早尾社、新日吉社(長等神社)と合祀されました。

ここは神仏同体、神仏習合で、寺々は境内に守護神社を祀り、平安朝以降、明治維新を迎えるまでの永きにわたって、神は仏菩薩が衆生済度のために姿を変えて現れたものだと考えられ、熊野権現は阿弥陀如来、伊勢内宮は盧舎那仏は(るしゃなぶつ)救世観音(ぐぜかんのん))、赤尾大神(天照大神)は普賢菩薩・黒尾大神(新羅大神)は文殊菩薩・白尾大神(白山権現)は十一面観音の垂迹とされています

この考え方は聖徳太子にもあったそうで、天神地祇(てんじんちぎ:漢字二字で天津神を「天神」国津神を「地祇」(ちぎ)とも言い、併せて「天神地祇」)の一々に相当する仏菩薩を崇めることは神意に反することではなく、仏塔の建立は、かえって皇運を高める、といっています。 『法華経』の教説に本地垂迹の由来があり、絶対真実である仏が釈迦の姿をとってこの世に出現したことを転じて、諸仏菩薩がそれぞれの社会風土に応じて身を現すと説いたそうです。 うさぎの神社、可愛いですね。男神のイザナギはシングルファザーだけど、うさぎがいてくれるから寂しくない感じ?

って、今日はKちゃん、ここには言ってないのだった。 帰ってから、なんのお勉強したのか教えてもらわないと!。

箸は大丈夫かな~。まさか、手では食べないよね>< 今日もありがとうございます。

プリンのまえに

2011-03-20 01:51:30 | 家族

先日、眠れなくて夜中にプリンを作ってました。簡単でおいしいので、もう市販のは買う気にならないです。
前回のレシピで作ったのは、チビ雄曰く「甘過ぎて気持ち悪くなった」(ガーン)らしく、今回のは砂糖をかなり減らしました。
そして、クリームチーズを入れたら更に美味しいとのことで、冷蔵庫にあったクリームチーズを入れて、作りました。フランス直送って書いてあった^^;

チビ雄くん、美味しいと言ってくれたのでよかったです。

我が家では、夕飯の時にだけ、いただきますの前に付ける言葉があります。

【お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん、ご先祖様、神様、いつもありがとうございます。いただきます】

これ、旦那の帰りが遅いと、「稼いで来てくれてるのに先にご飯食べるの何だかごめんねーっ」て気持ちがあったことと、kちゃんが阿倍野の幼稚園に行ってた時に、お昼のお弁当を食べる前か?後かに?お祈りの時間というのがあったらしく、

その時に「お父様、お母様、神様今日もお食事をありがとうございます」 みたいなことを言ってたのを思い出して、他にも、映画「ゴッドファーザー」観ても、マフィアも食事の前に祈ってるし、アニメの「赤毛のアン」観ても食事の前にしてたので、これはいいことだから小さいうちから定着させたいと思って、言うよう決めたのが始まりです。

お国柄と宗教にもよるのかもしれないですけど、kちゃんの行ってた幼稚園は、キリスト教系でもなくて、ただ、ご夫婦で昭和5年に幼稚園を設立されて当時、副園長であった奥様が、古事記を訳して子供に読み聞かせることができる本「かみさまのおはなし(教学研究社)」を書いて出版されていたと言うだけです。(でも、この本は高かったので買ってないですけどね。)

私立の幼稚園ですが、他の私立の幼稚園では引き受けない知的障害の園児も受け入れて、その園児には一人の先生が殆どつきっきりになり、先生はどの先生も子供の名前も覚えてて、園児をよく観てくれてるし、とにかく言うことのない幼稚園で、私は引越してから後で入園する幼稚園との、先生の意識の高さの違いにびっくりしたほどです。kちゃんは途中で、幼稚園を転園することになってすごく寂しそうでしたけど、当時、担任だった先生との写真は今でも大切にしていて、よい思い出になっています。

話は戻りますが、幼稚園の時から始めたことですけど、今もやってくれています。

最初は恥ずかしがって、嫌がったり、雑に言うこともあり、私もなんとなく、慣れる前は恥ずかしかったけど

今じゃ、kちゃんは言わないと変みたいで、土日の昼食時に、うっかり言うみたいです。

【ご先祖様、神様、いつもありがとうございます。いただきます】だけでも十分なのですけど、
ご先祖様だけだと、小さいとき、意味がわかりにくかったので、【お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん】を長いけどつけました。

今、私は、夕食だけじゃなく食事の前には、以前より一層、心を込めて言うようにしています。

地震で被災されてる方はもちろん、亡くなられた方を思うと、目の前にある食事に感謝しようと思ってます。

ご先祖様って、自分の血のつながりがある先祖だけと思いがちだけど、きっと、昔を辿れば根はひとつだと思うので、色々な人とつながってるだろうから、この気持ちが色々なご先祖様に届くといいなぁ・・・と思いました。

食事の前の、お陰様の思いひとつでも、亡くなった方へ届くといいなぁと思います。

このプリンも食べる前に、手を合わせて【お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん、ご先祖様、神様、いつもありがとうございます。いただきます】と言いました。

本日もご訪問、ありがとうございます。