Benedeictus Iesus in sanctissimo altaris Sacramento.

いと尊き聖体の秘蹟に在し給うイエズスは、賛美せられさせ給え。

主の御復活おめでとうございます!

2013-03-31 23:21:54 | FIDEI

主の御復活おめでとうございます!

キリストの御復活は我らの復活の始まり・・・聖寵の生命によってキリストと共に蘇り、永遠の生命のために歩みましょう。

”死に勝ち給うた御独り子によって、本日、永遠の生命への道を、我らに開き給うた神よ、御身が我らの内に起こさせ給う祈願を、御助けによって成就に至らせ給え、その同じ我らの主イエズス・キリスト、神として、聖霊との一致において、御身と共に世々に生き且つ治め給う聖子によりて、アメン。” 

Andrea Mantegna - Resurrezione - 1457-59

御復活の続誦

キリスト信者達よ、復活の生贄に賞賛を捧げよ。

羔は、羊を贖い、罪無きキリストは、罪人を御父と和ませた。

死と生命とは、不思議な戦いを行い、生命の創り主が死に給うた、しかし見よ、今や生きて統べ給う。

マリアよ、我らに告げよ、道で何を見たかを。

活けるキリストの墓と、蘇り給うた御者の栄光とを私は見た。

その証人なる天使、布と服とを私は見た。我が希望なるキリストは、蘇り給うた。ガリレアで、汝らを待ち給う。

我らは、キリストが真に死から蘇り給うたのを知る。

勝利の王よ、我等を憐れみ給え、アメン、アレルヤ。

Sequentia
Víctimæ pascháli laudes ímmolent Christiáni.
Agnus rédemit oves: Christus ínnocens Patri reconciliávit peccatóres.
Mors et vita duéllo conflixére mirándo: dux vitæ mórtuus regnat vivus.
Dic nobis, María, quid vidísti in via?
Sepúlcrum Christi vivéntis et glóriam vidi resurgéntis.
Angélicos testes, sudárium et vestes.
Surréxit Christus, spes mea: præcédet vos in Galilaeam.
Scimus Christum surrexísse a mórtuis vere: tu nobis, victor Rex, miserére. Amen. Allelúia.


フランシスコ教皇最初の説教・・・再生始動! Deo gratias !

2013-03-20 20:45:01 | FIDEI

フランシスコ教皇最初の説教

3月14日(木)午後5時からシスティーナ礼拝堂で、教皇フランシスコは、コンクラーベに参加した教皇選挙権を有する枢機卿とともに、「教会のため」のミサをささげました。

・・・・わたしの望みはこれです。どうか皆様が、この恵みの日々の後、勇気をもって、本当に勇気をもって、主の十字架とともに、主の前を歩んでくださいますよう に。十字架上で流された、主の血の上に教会を築いてくださいますように。唯一の栄光である、十字架につけられたキリストを告白してくださいますように。そ うすれば、教会は前進するでしょう。  わたしたちの母である聖母の祈りによって、聖霊がわたしたちに、歩み、築き、十字架につけられたイエス・キリストを告白する恵みを与えてくださいますように。アーメン。 ・・・ (カトリック中央協議会訳)

全文: 教皇フランシスコの最初の説教 (カトリック中央協議会HP)


Habemus Papam, Franciscus!

2013-03-14 23:30:34 | FIDEI

第266代目のローマ教皇に、アルゼンチン出身のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が選出された。教皇名はフランシスコ(イタリア語:フランチェスコ)。

アッシジの聖フランチェスコ、我らの為に祈り給え。

 
 
ロヨラの聖イグナチオ、我らの為に祈り給え。

教皇様のため祈りましょう

Oratio pro Summo Pontifice  Prayer for the Pope   [Partial indulgence granted: Enchiridion indulgentiarum, IV ed. (al. conc., 25, 1°)]

 
V. Oremus pro Pontifice nostro Francisco.

R. Dominus conservet eum, et vivificet eum, et beatum faciat eum in terra, et non tradat eum in animam inimicorum eius.

Oremus.

Deus, omnium fidelium pastor et rector, 
famulum tuum Franciscum, quem pastorem Ecclesiae tuae praeesse voluisti, propitius respice: da ei, quaesumus, verbo et exemplo, quibus praeest, proficere: ut ad vitam, una cum grege sibi credito, perveniat sempiternam. Per Christum, Dominum nostrum. Amen.
 
V. Let us pray for our Pontiff Francis.

R. May the Lord preserve him, and give him life, and make him blessed upon the earth, and deliver him not up to the will of his enemies.

Let us pray.

O God, Shepherd and Ruler of all Thy faithful, look mercifully upon Thy servant Francis, whom Thou hast chosen as shepherd to preside over Thy Church: grant him, we beseech Thee, that, by word and example, he may edify those over whom he hath charge, so that together with the flock committed to him, he may attain everlasting life. Through Christ, our Lord. Amen.

教会の永久性

2013-03-02 21:24:49 | FIDEI
・・・聖ペトロの後継者、ローマ司教、母なる唯一の教会の頭、地上におけるイエズス・キリストの代理者の選出のために・・・

(マテオ16.13-19)「あなたはペトロである。私はこの岩の上に、私の教会を建てよう。地獄の門は、これに勝ち得ないであろう。私は、あなたに天の国の鍵を与えよう。」・・・アメン。

Tu es Petrus, et super hanc petram aedificabo Ecclesiam meam et tibi dabo claves regni Caelorum.




教会の永久性
教会は永遠である 2997 
キリストのわざを永遠に続けるために設立された 3050

1868年9月13日 教皇書簡「Iam vos omnes」

教会は救いのために必要
2997 キリスト・イエズスが、あらゆる世代の全人類に自分の救いの効果を与えるために、この地上において、ペトロの上に唯一の教会を建てたことを誰ひとりとして疑うことは出来ない。すなわち、一、聖、カトリック、使徒伝来の教会を建て、信仰の遺産を傷つけることなく完全に守るために、また同じ信仰を全ての人、全ての民族、全ての国に伝えるために、また洗礼によって全ての人を自分の神秘体に選ぶために、・・・また、自分の神秘体を形成する同じ教会が世の終りまで常に不動であるようにするために・・・必要な権力を全て与えたのである。

第1バチカン公会議 1869年12月8日~1870年10月20日
第4総会 1870年7月18日 キリストの教会に関する第1教義憲章

教会の設立と基礎

3050 我々の霊魂の永遠の「牧者であり、監督者」(1ペトロ2.25)であるキリストは、我々の救いの事業が永続的なものになるように聖なる教会を建てることを決意した。この教会の中において、生きた神の家にいるように、全信者が唯一の信仰と愛の絆によって結ばれるように。主は栄光を受ける前に、「使徒たちのためだけでなく彼らのことばによってキリストを信じる人々のために、父と子が一体であるようにすべての人がひとつになるように」と父に祈った(ヨハネ17.20)。また「自分が父から派遣されたように」(ヨハネ20.21)、この世から選んだ使徒たちを派遣して、「この世の終りまで」(マタイ28.20)教会に牧者、教師がいるようにと望んだ。

3051 しかし、キリストはこの司教職それ自体が唯一で不可分であるように、また相互に一致団結した司祭たちによって、全部の信徒が信仰と交わりの一致を保つように、聖ペトロを他の使徒たちの上に立て、そのペトロ自身のうちに両者の一致の永久的源泉と目に見える基礎を制定した。この力の上に永遠の神殿を築き、この堅い信仰の上に教会が天まで達するほど高くそびえるようにした。

3052 しかし、地獄の門は日増しに増大する憎しみをもって、できるならば神によって建立された教会の基礎を覆そうとしている。そのため、われわれはカトリック信者の保護と安全と増加のために、公会議の承認を得て、使徒的首位権、永続性、本質に関する真の教理を宣言する必要があると判断する。また、これに反対する者、主の群れに危害を加える誤った意見を禁止、排斥する必要があると判断する。

第1章 聖ペトロにおける使徒座の首位権の制定

3053 したがって、次のことを教え宣言する。福音の証言によって、神の全教会に及ぶ裁治権の首位は、主キリストから直接に使徒聖ペトロに約束され、与えられた。事実、キリストはシモンに、「あなたはケファ(岩)と呼ばれるであろう」(ヨハネ1.42)と言った。シモンが「あなたは生ける神の子・キリストです」(マタイ16.16)という信仰告白をした後、シモンだけに主は荘厳に告げた。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いな人だ。その啓示は、血肉からのものではなくて、天にいます私の父から出たのである。私はあなたに言う。あなたはペトロである。私はこの岩の上に、私の教会を建てよう。地獄の門もこれに勝てないだろう。私は天の国の鍵をあなたに与えよう。あなたが地上でつなぐものはみな天でもつながれ、あなたが地上で解くものはみな天でも解かれるだろう」(マタイ16.17-19)と。また復活の後、イエズスはシモン・ペトロだけに、その群れ全体の最高の牧者、統治者としての裁治権を与えた。「私の小羊を牧せよ、…私の羊を牧せよ」(ヨハネ21.15,17)と。

3055 したがって、使徒聖ペトロは主キリストによって、全ての使徒たちの頭、戦いの教会の目に見える頭と立てられた、また聖ペトロが主イエズス・キリストから、直接に真の固有の裁治権の首位を与えられたのではなく、名誉上の首位を与えられた、と言う者は排斥される。

第2章 聖ペトロの首位権はローマ教皇において継続される

3056 最高の牧者、偉大な保護者である主キリストが、教会の安全と福祉のために使徒聖ペトロにおいて制定したことは、岩の上に設立された教会において世の終りまで、世界の果てまで、絶えず継続しなければならない。事実、「使徒たちの指導者、頭、信仰の柱、カトリック教会の基礎である聖ペトロが、人類の救い主、あがない主である主イエズス・キリストから天国の鍵を受けたことを疑う者はひとりもいない」。これが現在まで、また常にその後継者、即ち彼が設立し殉教によって聖別したローマ聖座の司教によって行使されている。

3057 したがって、このペトロの座を継ぐ者は、キリスト自身の制定によって、全教会に対するペトロの首位権を継承している。「そのため真理(神)の配慮は続行されている。聖ペトロは自分に与えられた岩のような力を持ち、自分に委託された教会(統治)の舵を放棄していない」。ローマ教会には偉大な権力が与えられているのであるから、「各教会、すなわち、世界中のすべての信者は、常にローマ教会と同意しなければならない」。この聖座から「聖なる交わりの絆」が全ての教会に分け与えられ、一つの頭の下に結ばれた構成員が一つの体として合体する。

3058 したがって、聖ペトロの全教会に対する首位権の永続的後継者を持つことが、主キリスト自身、すなわち神法によって制定されたことを否定する者、および、ローマ教皇が聖ペトロの首位権の後継者であることを否定する者は排斥される。

引用:
デンツィンガー・シェーンメッツァー カトリック教会文書資料集 信経および信仰と道徳に関する定義集 A・ジンマーマン監修 浜 貫五郎訳 エンデルレ書店

ありがとう・・・。Pope

2013-03-01 00:09:03 | FIDEI
ありがとうございました。・・ベネディクト16世!神の代理者としての役務に感謝いたします。
地上の戦闘教会でのかくも困難な状況の中、2007.7.7を忘れません。SUMMORUM PONTIFICUMによってペトロの固い岩盤の要の奥義との連続性は担保されました。
ペトロの岩盤は続きます。危うくも負けません。イエズス・キリストの唯一の教会、聖、普遍、使徒継承の公教会。霊魂の救いのためにイエズス・キリスト御自身がペトロの岩盤の上に建てられた教会は続きます。教会の目的は霊魂の救いです。目的からも実質からも、教会の神秘体(ミサ聖祭と御聖体)の信仰を構成している核に留まる限り不滅です。

・・・聖ペトロの後継者、ローマ司教、母なる唯一の教会の頭、地上におけるイエズス・キリストの代理者の選出のために・・・

(マテオ16.13-19)「あなたはペトロである。私はこの岩の上に、私の教会を建てよう。地獄の門は、これに勝ち得ないであろう。私は、あなたに天の国の鍵を与えよう。」・・・アメン。


SUMMORUM PONTIFICUM (ROME)



第4ラテラン公会議1215年月11日~30日

800~802第1章 カトリックの信仰について

800 我々は次のことを固く信じ、はっきりと宣言する。唯一の真の神、永遠、無限、不変、理解できない、全能、言い表すことができないもの、父と子と聖霊を。位格は三位であるが、本質、実体、本性は全く単純で唯一であることを。父は誰からも生まれず、子は父だけから、聖霊は父と子から、始めなく、終りなく、常に存在する。父は生み、子は生まれ、聖霊は発出する。父と子と聖霊は同じ実質、同じように永遠、平等、全能であり、全てのものの唯一の原理である。見えるものと見えないもの、全ての霊的および物質的なものの創造者である。その全能の力によって、時の始めにあり、全ての霊的ならびに物質的なものを無から作った。すなわち、天使と世界とを創り、それから、霊魂と肉体とから成る人間を創った。悪魔およびその他の悪霊も、神によって本性上は善いものとして創られたが、自分で悪となったものである。人間は悪霊の誘惑によって罪を犯した。この三位一体は本質においては共通であって、位格の特有性において別のものである。まずモーゼと聖なる預言者その他を通じて、時の必要に応じて、救いの道-を人類に伝えたのである。

801 神のひとり子イエズス・キリストは、三位一体のすべての共通の行い全部から受肉し、聖霊の協力によって終生処女であるマリアに受胎し、理性的霊魂と人間の体から成るまことの人となり、二つの本性が一つの位格に結合し、生命の道を明らかに示した。神性においては死ぬことも苦しむこともなかったが、人性において苦しみ、死ぬ者となった。人類の救いのため十字架の木にかけられて苦しみ、死し、古聖所に下り、死者の中から復活し、肉体と霊魂とが昇天した。生者と死者とを裁くため世の終りに来て、呪われた者も選ばれた者も一人一人をその行為によって裁くであろう・・・。

802 信者の普遍教会は一つであり、その外においては誰一人として救われない。この教会においてイエズス・キリストは司祭であると同時に生贄であり、その体と血が祭壇の秘蹟の中において、パンと葡萄酒の形色のもとに実際に含まれている。すなわち、神の力によってパンは体に、葡萄酒は血に全実体変化をするのである。キリストが我々から受けたものを、我々は一致の秘儀の中に受けるのである。イエズス・キリスト自身が使徒とその後継者に与えた教会の権能によって、合法的に叙階された司祭以外は誰一人としてこの秘蹟を挙行ですることはできない。(三位一体の神、すなわち父と子と聖霊との名を以って水によって聖別する)洗礼の秘蹟は、誰によっても教会が定めた形式で授けられたものであれば、幼児も大人も救いに至らせるものである。洗礼を受けた後に再び罪を犯しても、罪を心から悔い改め告解の秘蹟によって回復することができる。童貞と節制者だけでなく、既婚者も正しい信仰と善業とによって、神を喜ばせ、永遠の幸福に達することができる。

トレント公会議 第22回総会(1562年9月12日)
a)犠牲としてのミサの祭儀について
 1738 聖霊によって合法的に召集されたこの聖なるトレント公会議は聖なるカトリック教会において、この偉大な聖体の秘蹟に関する古代からの信仰を完全に守り、誤謬と異端を排斥して教義を汚れなく守るために、聖体の秘蹟が真の唯一の生贄であることを聖霊の光によって教えられて、次に述べることを教え、宣言し、信徒に教えるべきであると決定する。

第1章 ミサ聖祭の制定について
1739 使徒聖パウロによれば、旧約時代にはレビ族の司祭職は完全なものではなかったため、慈悲深い父である神の計画によって、メルキセデクの位に等しい他の司祭を立てる必要があった。(創世記14.18、詩篇109.4、ヘブライ7.11)。
それがすなわち、我々の主イエズス・キリストであって、キリストは「聖化すべき全ての人々を完全なもの」(ヘブライ10.14)にすることができた。
1740 我々の神であり、主であるキリストは、十字架の祭壇の上で死に、「一度で永久に」(ヘブライ0.14)父である神に自分を捧げて、救いの業を完成した。しかしキリストの司祭職は死によって消え去るものではなかったので(ヘブライ7.24,27)、敵の手に渡される夜(1コリント11.13)、最後の晩餐において、自分の愛する花嫁である教会に目に見える供え物を残したのである。(人間のためにこれが必要であった)(第1条)。この供え物によって、十字架上で一度血を流して捧げたものが表され、その記憶が世の終りまで続き(1コリント11.23以下)、その救いの力によって我々が毎日犯す罪が赦されるのである。キリストは「メルキセデクの位に等しい永遠の司祭」(詩篇109.4)であると宣言して、自分の体と血をパンと葡萄酒の形色のもとに父である神に捧げた。そして、使徒達を新約の司祭として制定し、パンと葡萄酒の形色のもとに拝領するように自分の体と血を与えた。使徒達とその後継者たる司祭職に、「私の記念としてこれを行え」(ルカ22.19、1コリント11.24)という言葉で、それを捧げるように命じた。これはカトリック教会が常に理解し、教えてきたことである。(第2条)

引用:
デンツィンガー・シェーンメッツァー カトリック教会文書資料集 信経および信仰と道徳に関する定義集 A・ジンマーマン監修 浜 貫五郎訳 エンデルレ書店