一、人間的行為の定義
人間的実践は人間的行為を以って為される。しかしここで言う人間的行為とは、人の人としての行い、人間らしき行いの事をいい、人間の行いという意味ではない。人は目的への道を人間的行為を以って辿るべきで、この場合、人は善行を為すのである。つまり目的に達する道が正道だからである。ところろが、これに反して目的に背き、或いは目的を外れた道は邪道であるから、この道を人間的行為を以って辿るならば、悪行を為す事になる。
人間的行為、即ち人の人としての行為とは、一体何であろう?
「理性的動物」とは人間の定義である。即ち人はその動物なる点において人間以外の動物と共通なものであるが、その理線的な点において他の動物部とは区別され、特殊なものとされる。よって人の人としての行為は、その理性的な点において人の動物としての行為と区別されなければならないのである。前者を特に人間的行為と称するのに対して、後者は単に人間の行為である。
それならば行為の理性的なことは何に存するのであろうか。言うまでも無く、ここに理性的という語は「理性の善導に従える」という意味で使用されているのではなく、むしろ「理性の能力に与れる」という意味を言っているのであって、理性の能力は悟性と意志とであり、意志は悟性の光に照らされて自由意志たる能動本源となる。換言すれば、自由意志は悟性と意志との実践能力である。ここに至って人間的行為の概念は明らかになったであろう。即ち全ての人間の自由意志より生ずる行為はこれを人間的行為と称するのである。
カトリックの信仰(倫理篇) 野田時助著 中央出版社刊行より引用
(原文の旧漢字、旧仮名使いを、出来るだけ常用漢字、現代仮名遣いにして引用しています。)
著者:故洗者聖ヨハネ野田時助神父 ※参考↓
http://www.niigata.catholic.jp/kyoukuannai/rekishi/show.php?dare=4
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