Benedeictus Iesus in sanctissimo altaris Sacramento.

いと尊き聖体の秘蹟に在し給うイエズスは、賛美せられさせ給え。

The Immaculate Queen

2013-08-22 21:17:56 | FIDEI

かつて、一人の少女が全ての時代の人類を代表して、全能永遠の創造主なる天の御父による人類救済の御事業に参与するために選ばれ、大天使聖ガブリエルから告げられたみことば・・・、「Dominus tecum・・・。( 主、御身と共に在す・・・。)」、お告げの時も、カルワリオ山上でも、今も、いつも、これからも、原罪の汚れ無き御宿りの天主の御母、終生童貞、天の女王聖マリアは唯一の天主なるイエズス・キリストと共に在られます。地上においては御聖体のイエズス様の在られるところ聖母マリア様もきわめて近くに在られます。

Ave, Maria, gratia plena, Dominus tecum; benedicta tu in mulieribus, et benedictus fructus ventris tui, Iesus. Sancta Maria, mater Dei, ora pro nobis peccatoribus, nunc et in hora mortis nostrae. Amen.

 

 回勅 「Ad caeli Reginam」(1954.10.11 ) 教皇 ピウス12世


  聖母マリアは女王である


3913 女王としてのマリアの品位が、主として彼女が神の母あったことから生じることは明らかである。聖書には、処女が懐胎した子について、次のように記されている。「彼は大いなる者となり、最高者の子と呼ばれるであろう。主である神は、彼にその父ダヴィドの王座を与え、永遠にヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くであろう」(ルカ1.32-33)と。また、マリアは「主の母(ルカ1.43)と呼ばれている。このことから、マリアが女王であることが容易に結論される。マリアは子を生んだが、その子は懐胎の最初の瞬間から人性とみことばの位格的結合によって、王であり人間であると同時に万物の主であったからである。したがって、ダマスコの聖ヨハネスが、「マリアは創造主の母であったため、全ての被造物の女王となった」と書いたのは当然であり、正しいことである。同じように、マリアの女王としての任務を最初に天上から告げたのは大天使ガブリエルであった。

3914 しかし、処女性マリアが女王と呼ばれるのは、神の母であったばかりではなく、神の意志によって我々の永遠の救いのわざにおいて重要な役割を果たしたからである。「キリストの支配権は生まれつきの権利であると同時に、獲得した権利である」。すなわち、救いのわざによって獲得したのである。この救いの業において、処女聖マリアはキリストに密接に結ばれていた…。「キリストは我々を救ったことによって、特に我々の主であり、王である。それと同じように、聖なる処女は、子に体を与え、我々の為に自分の子をすすんで奉献することによって、また、我々の救いを特に望み、そのために祈り、その救いを与えることによって、特別に我々の救いに協力したのである。

3915 上に述べた理由から、次のように結論できる。救いのわざを果たすにあたって、ある意味で、エヴァが死の源であるアダムと結ばれていたように、マリアは神の計画によって自分の救いの源でありイエズス・キリストと結ばれていた。したがって、マリアは、我々の救いのわざを一種の「要約」によって行ったと主張することができる。人類は、処女によって死に導かれたように、処女によって救われる。さらに、この栄光に輝く女王はキリストの最愛の母であって、「人類救済のための協力者となった」。また、実際に「原罪と自罪を問わず、すべての罪から免れ、常にその子と密接に結ばれていたマリアは、ゴルゴダにおいては新しいエヴァとして、堕落によって罪に汚れているアダムのすべての子孫の為に、母としての権利と母としての愛の犠牲を合わせて、子を永遠の父にささげたのである」。したがって、次のように結論することができる。新しいアダムとしてのキリストは、神の子であるため、また、我々の救い主であるため、王と呼ばれる一種の類比によって聖なる処女は神の母であるばかりでなく、新しいエヴァとして新しいアダムと結ばれていたことによっても女王である。

3916 神であり人であるひとりのイエズス・キリストは、厳密な意味で王である。また、マリアは一種の制約を受けた意味で類比的に、神であるキリストの母として、神である救い主の協力者として、敵との戦いにおいて勝利を収める者として、王としての品位に参与する。王であるキリストとの結合から女王としての栄誉を得たのであり、それによって、すべての被造物に優っている。キリストとの結合によって女王としての権能を得たのであり、それによって、神である救い主の王国の宝を分配することができるのである。されに、キリストとの結合によって、父と子に対する母としての保護は決して尽きることがない。

3917 したがって、聖マリアの品位が全ての被造物よりも優れていること、また、自分の子の次に全てにまさって首位を占めることは明らかである。神の母が全ての被造物にまさる、この優れた品位を理解するために、神の聖なる生母が、母の胎内に宿った最初の瞬間から、全ての聖人が受けた恩恵よりも多くの恩恵を受け、恩恵に満たされていたことを思い浮かべることができる。…さらにマリアの子、我々の救い主が、人々の心と意志とを支配していると言うことができるが、聖なる処女は、キリストに次いで、最高の完徳を持ち、ある程度までキリストの支配権に参与していると言うことができる。
・・・・・デンツィンガー・シェーンメッツァーカトリック教会文書資料集(浜寛五郎訳・エンデレルレ書店)より引用


Ave Maria!「処女聖マリア様の被昇天」

2013-08-15 20:30:09 | FIDEI

Ave Maria!

聖母マリア様の母位は、天主なるイエズス・キリストのペルソナ的一致の領分に関連する部分をなすが故に全ての人間、諸聖人の聖寵と光栄の遥か上位に在られます。・・・この聖母の偉大な特典は、人類の救いの為に創造主なる天主様がご計画された救いの御業そのものの一部であります。人と成られた天主のみことばイエズス様を御胎内に宿した御方は、今も、ご聖体における実体なる神の御聖櫃の如く、きわめて神の近くに在られます。

いとも光栄あるおとめ、天の星よりも優れた御方よ、

幼子となられた創り主を、あなたは乳房を以って養われる。

エヴァが罪を以って取り去ったものを、

あなたは尊い御子によって回復される。

悩む者が天国に入れるように、あなたは天の門を開かれる。

あなたこそ、高い王の入り口、光り輝く宮殿。

おとめによって与えられた生命を、

贖われた民々は、誉め讃えよ。

イエズスよ、おとめより生まれたあなたに光栄!

父と聖霊とともに、永遠に至るまで。アーメン。

教皇令 「Munificentissimus Deus」(1950.11.1) ピウス12世

処女聖マリアの被昇天の教義決定
3900 聖なる教父たちと神学者たちの全ての論証と考察の基礎は聖書である。聖書は、子と密接に結合され、常に子の使命に参加している神の母を我々に示している。そのため、キリストを宿し、生み、自分の乳で育て、腕に抱きかかえたマリアの霊魂だけでなく、地上の生活を終わった後にその体が、主から離れて過ごすということは考えられないことである。マリアの子であり、神の掟を完全に果たした我らの贖い主が、永遠の御父だけではなく、最愛の母をも尊敬したのは当然である。その上、キリストはマリアの体を腐敗から守る力を持っていたのであるから、実際そうしたと信じなければならない。

3901 すでに2世紀から教父たちは、マリアを新しいエヴァと呼んでいることを忘れてはならない。彼女は新しいアダム(キリスト)に従属していたが、原始福音の中にあるように(創世記3.15)、地獄の敵との激戦において、キリストに密接に結びついていた。そして、異邦人の使徒の書簡いおいて、いつも結びつけられている罪と死(ローマ5.6、1コリント15.21-26,15.54-57)に完全に打勝ったのである。したがって、キリストの栄光に輝く復活が、決定的勝利の本質的な部分、最終的徴であったのと同じように、罪に対するキリストとマリアの共同の戦いもまた、処女マリアの肉体の「栄光」によって終りを飾ったのである。「この死ぬ者が不滅を纏うであろう時、死は勝利に呑まれた」という聖書のことばが実現すると使徒は言っている。(1コリント15.54)。

3902 「唯一で同一の予定の計画」によって、永遠の昔からイエズス・キリストと密接に結ばれていた神の母マリアは、原罪無くして母の胎内に宿り、神の母としても完全に処女であり、神である贖い主の寛大な協力者であった。罪とその罰に完全な勝利をおさめた救い主は、最後にこれらの特典の最高の飾りとして、自分の母親の肉体の腐敗を免除したのであった。こうして、そのひとり子と同じように死に打勝ち、霊魂も肉体も共に天国の栄光にあげられ、そこで「万世の不朽の王」(1テモテ1.17)であるそのひとり子の右に、輝かしい女王としての位置を占めている。

3903 したがって、処女マリアに特別の慈愛を注いだ全能の神の栄光のため、万世の不朽の王であり罪と死の勝利者である子の栄誉のため、聖母マリアの栄光を増すため、そして全教会の喜びのために、神に向かって繰り返して祈りをささげ、真理の霊の光を呼び求めた後、我々のの主イエズス・キリストの権威と、使徒聖ペトロと聖パウロの権威、および私の権威により、無原罪の神の母、終生処女であるマリアがその地上の生活を終わった後、肉身と霊魂と共に天の栄光にあげられたことは、神よって啓示された真理であると宣言し、布告し、定義する。
3904 不幸にしてこの定義を意識して否定したり疑ったりする者は、神的カトリックの信仰から完全に離れた者である。

・・・・・デンツィンガー・シェーンメッツァーカトリック教会文書資料集(浜寛五郎訳・エンデレルレ書店)より引用


・・・カトリック教会の秘蹟・・・

2013-08-04 22:18:56 | FIDEI

みことばに生命があり、生命は人の光であった。(ヨハネ1.4)

in ipso vita erat, et vita erat lux hominum.

カトリック教会の秘蹟は神から与えられた救いの手段です。秘蹟こそがカトリック教会とも言っても過言ではありません。

・・・いとも尊き御聖体の秘蹟・・・

万物を創られたみことばが実体としてパンの形色に在られる・・・。自然を超えたはかり知れぬ出来事ですが、これは事実です。

Corpus + Dómini nostri Iesu Christi custódiat ánimam tuam in vitam ætérnam. Amen.

我らの主+イエズス・キリストの御体があなたの霊魂を永遠の生命の為に守り給わんことを。アメン。

第1次大戦の戦火が止んで3年、復員学生が多いのはうなずけるが、プロテスタントや国教会からの改宗者が少なくないというのはどうしてなのか。その何人かに、壮一は改宗と司祭志願の理由を尋ねたものだ。彼らの答えは、ほぼ異口同音であった。

「あの銃弾飛び交い、すぐそばで戦友たちが死んでいく戦場の体験は、ぼくらが以前持っていた信仰の無力さを、いやというほど知らしめた。神とは何か、人間の真のありかたとは何か、改めて根本から問い直しを迫られた。その時、目に留まったのが、カトリックの従軍司祭達の姿だ。硝煙と血の匂いの漂う最前線の塹壕で、死に臨んだ兵士等に一人一人黙々と秘蹟を授けている。赦しの十字架の徴の為に挙げられた右手、胸の聖体器から取り出された白い小さなホスチア、そして、臨終の聖なる油。これらが、今、孤独のうちに息絶えんとする兵士たちにとって、どれほど大きな宗教的力となっていたことか・・・。比べてプロテスタントの牧師等がいくら慰めや励ましの言葉をかけても、こうした極限状況ではほとんど役に立たなかった。この現実に、僕らは目を覚まされたのだ。宗教とは理屈ではない。言葉ではない。神のみことばが肉体となって我らの内に住み給わなければ、僕らの真の救いはないのだと・・・。その救いを秘蹟によってもたらすのが、カトリック司祭なのだと・・・。」

カトリック教会が神から託されている人々の真の救いの術、それが司祭が言行を以って伝えるべき使徒伝来の教えであり、使徒伝来の権威に基づく秘蹟である。

「人間の分際~神父.岩下壮一」 小坂井澄著 聖母文庫刊 より

Catholic Mass on board LST-782 off the coast of IWO JIMA, JAPAN 1945