Benedeictus Iesus in sanctissimo altaris Sacramento.

いと尊き聖体の秘蹟に在し給うイエズスは、賛美せられさせ給え。

・・・カトリック教会の秘蹟・・・

2013-08-04 22:18:56 | FIDEI

みことばに生命があり、生命は人の光であった。(ヨハネ1.4)

in ipso vita erat, et vita erat lux hominum.

カトリック教会の秘蹟は神から与えられた救いの手段です。秘蹟こそがカトリック教会とも言っても過言ではありません。

・・・いとも尊き御聖体の秘蹟・・・

万物を創られたみことばが実体としてパンの形色に在られる・・・。自然を超えたはかり知れぬ出来事ですが、これは事実です。

Corpus + Dómini nostri Iesu Christi custódiat ánimam tuam in vitam ætérnam. Amen.

我らの主+イエズス・キリストの御体があなたの霊魂を永遠の生命の為に守り給わんことを。アメン。

第1次大戦の戦火が止んで3年、復員学生が多いのはうなずけるが、プロテスタントや国教会からの改宗者が少なくないというのはどうしてなのか。その何人かに、壮一は改宗と司祭志願の理由を尋ねたものだ。彼らの答えは、ほぼ異口同音であった。

「あの銃弾飛び交い、すぐそばで戦友たちが死んでいく戦場の体験は、ぼくらが以前持っていた信仰の無力さを、いやというほど知らしめた。神とは何か、人間の真のありかたとは何か、改めて根本から問い直しを迫られた。その時、目に留まったのが、カトリックの従軍司祭達の姿だ。硝煙と血の匂いの漂う最前線の塹壕で、死に臨んだ兵士等に一人一人黙々と秘蹟を授けている。赦しの十字架の徴の為に挙げられた右手、胸の聖体器から取り出された白い小さなホスチア、そして、臨終の聖なる油。これらが、今、孤独のうちに息絶えんとする兵士たちにとって、どれほど大きな宗教的力となっていたことか・・・。比べてプロテスタントの牧師等がいくら慰めや励ましの言葉をかけても、こうした極限状況ではほとんど役に立たなかった。この現実に、僕らは目を覚まされたのだ。宗教とは理屈ではない。言葉ではない。神のみことばが肉体となって我らの内に住み給わなければ、僕らの真の救いはないのだと・・・。その救いを秘蹟によってもたらすのが、カトリック司祭なのだと・・・。」

カトリック教会が神から託されている人々の真の救いの術、それが司祭が言行を以って伝えるべき使徒伝来の教えであり、使徒伝来の権威に基づく秘蹟である。

「人間の分際~神父.岩下壮一」 小坂井澄著 聖母文庫刊 より

Catholic Mass on board LST-782 off the coast of IWO JIMA, JAPAN 1945


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