成聖の聖寵 gratia sanctificans
自然の秩序の美しさも、自然の恐ろしさも、人間の美しさも、人間の凶悪さも、全ては創造主なる御父が創られた被造物の「現実態」。全ての被造物の存在を通して天主様は偏在しておられる。
我々の生きている世界に現象している自然の「現実態」は状態変化するも、我々の目的は一つ。この世に在って成聖の聖寵と共に在り続け、超自然の現存に寄り添われながら超自然の徳を積みやがては天国の至福に至ること。天主は全被造物の存在の第一原因として偏在する仕方とは異なり、カトリック信者の霊魂に特別の仕方で成聖の聖寵を以って在して下さる。(それを保つ手段を秘蹟として確保して下さっている。)信者が属しているこの世の現象において、その霊魂の直ぐ傍らに、共に慎ましくも自然の秩序に介入せずに超越して現存して下さる。このような高価な生命を我等に与えるために聖主は御自らの命を捧げられた。
「トマス・アクィナスにおける成聖の聖寵について」 故岸神父 中世哲学会 「中世思想研究」より
http://jsmp.jpn.org/jsmp_wp/wp-content/uploads/smt/vol12/71-92_kishi.pdf
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