新聞には全国紙と地方紙に分類される。子の分類が良いか悪いかは専門家に任せ一般的な話で言っている。地方紙といっても大都市中心に販路を確立する新聞もあり、一県だけに販売しているものもある。それぞれである。いまや地方紙といえども内容は全国紙に匹敵するものもありなかなかなものである。我が家では地方紙を取っているが決して全国紙に劣っていると感じられないものである。私の感覚では読売は全国紙といまだに感じられない。販売部数から見ても全国紙であり販売地域から見ても全国紙である。この感覚が植え付けられたのも若い時代である。私の若いころには部数こそ多いが全国に販売する新聞ではなかったからである。いつ頃からか私の住まいする地区でも販売がひじ待った。若いころの感覚が新聞には抜け切れていない。読売が悪い新聞であるとは決して思っていない。内容もありよい新聞である。若いころについた感覚はなかなか抜けないものもある。決して読売がトラウマになっているわけでもない。それほどかかわっていないからである。ほとんど読んだことがないといってよい。だからトラウマになりようがない。私にとって全国紙は朝日、毎日だけである。これらの新聞が全盛を極め全国を制覇したのか企業戦略なのかは理解できないところである。いずれにしても新聞は全国紙であろうが地方紙であろうがその内容であろう。内容が充実した新聞が良い新聞である。いまや新聞もインターネットで販売されている。我が家では旧来の新聞を取り続けている。それが良いか悪いかは別の話である。インターネットをやっているのだから新聞はネットで読むべし戸言う人もいよう。私の場合新聞紙を読みインターネットの無料サイトも読んでいる。捉え方の違い、何を扱うかの違いそれぞれ新聞各社の特徴が出てそれなりに面白い。本来であればすべてとrのが良いのであろう。何しろ我が家の家計上の問題もありそうもいかないのが現状である。そこで一紙に絞り他はインターネットで読んでいる。情報にも金を払えという人もいる。趣味、専門的な情報、仕事に関する情報はそれでよいと考える。しかし、一般に生活するうえでの情報は基本的にただが常識であると思っている。そのようなことを言えば新聞各社は潰れなければならない。現在の金額ぐらいの出費はやむおえない額であろう。情報という意味では政府が発行する刊行物は一世帯にひとつ無料配布すべきである。公的機関のものである委譲相すべきである。しかし、我が家にそのようなものが届いても実際には読まないし読めない。だから必要な人だけ買ってというのも良いのであろう。それを租借して新聞が情報として流すことが新聞の使命でもある。よく理解できる形で我々に提供してくれる新聞をもっと読もう。