角川選書
2006年 8月 初版発行
2012年 7月 15版発行
198頁
現代は、待たなくてよい社会、待つことができない社会になった。
私たちは、意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性をなくしはじめた。
偶然を待つ、自分を超えたものにつきしたがう、未来というものの訪れを待ちうけるなど、「待つ」という行為や感覚からの認識を、臨床哲学の視点から考察する。
現代は、人と待ち合わせをするにも携帯、スマホがあれば密に連絡が取れて、昔のように何の情報もなくひたすら待たされる状態にはなりません
ネットショッピングでも当日配達、翌日配達に慣れてきて、一週間も待たされれば「注文が生きていないのではないか」「誤配されていないか」など心配になったりします
そんな忙しい社会でも、人間が生きるうえでは何を待っているのかわからないような「待つ」があるのではないだろうか、というところから話は始まります
宮本武蔵に待たされて、決闘に敗れた佐々木小次郎
「待つ」という心の構えを解けず「待ちきる」ことが出来なかった小次郎
待たせた武蔵もまた小次郎を「待つ」様態に追い込み、待たせた相手が自壊するのを待ったのである
待つ身が辛いか、待たせる身が辛いか、の説明に太宰治「走れメロス」が引用されています
『青空文庫』で併読しながら読みました
電子書籍をこうやって利用するのも面白いですね
戯曲・サミュエル・ベケット「ゴドーを待ちながら」からの引用に多くの頁を割いています
待つことが待つことである保証がないまま、あてどもなく、ただひたすら待つ二人の浮浪者
伊坂幸太郎テイストだと思ったら少し前ですが実験4号という本に「後藤を待ちながら」という作品を発表されていたようです
これは是非読んでみましょう
他にも
母親が家で夕食の支度をしながら家族の帰りを「待つ」
痴呆老人や鬱病の人への対処法としての「待つ」
少し難しい内容ですが、様々な例を挙げて丁寧に繰り返し説明されているので読み終わる頃にはボンヤリとですが解ってきました
待つということも悪くはない、待てなくはない
待ってみたら、何か変化があるかもしれない
そんなことを考えさせてくれる一冊です
カバー写真は植田正治氏1988年「シリーズ〈砂丘モード〉より」
つい先日、夕方のテレビ放送で知ったのですが植田さんは福山雅治さんの写真の師匠だった方なのですね
そう聞けば、ナルホド、福山さんの写真には植田さんの血が流れているように思えてきます
キツツキと~の映画の方は、TBさせて頂きました♪
こにさんと今回は感想、同じ~!でした。
まったりしつつ、良い映画でしたね。
で、こちらの本。
感想は書いていないのですが、先日読んだんです。
読むことになった経緯が、娘が大学で、この作家さんの本を、何かのレポートを書く為に借りて来てたのを横から読んだら、とても面白くて。
この本も面白かったですー。
人間関係を広める必要アリ、かなと思った次第。
哲学者の言うことは解りにくそうだと思い込みがちですが、そうでもないんですよね~。