緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

新緑のお茶の水:開業後の「WATERRAS(ワテラス)」を散策する PART1

2013年05月16日 17時00分57秒 | 台東・上野周辺


5月中旬の平日、東京地下鉄銀座線の神田駅前にやってきました。これからお茶の水地区(正式には神田淡路町地区)で再開発工事によって2013年4月12日に開業した「WATERRAS(ワテラス)」を観て回りたいと思います。中央通り・須田町交差点からワテラスの高層ビルを撮影してみました。




須田町交差点から靖国通りを神田神保町方向へ向かって歩いていきますが、「淡路町交差点」から不忍通りを北へ向かいます。この界隈は「千代田区の神田淡路町地区」と呼ばれていて、JR御茶ノ水駅からは南側へ約500メートル程離れた場所です。




事務所などの中層ビルや雑居ビル等が密集している神田淡路町地区の不忍通りをしばらく北へ向かって歩いていると、前方の視界が突然開けて、ワテラスの広大な敷地が目の前に広がっていました。




2013年4月12日に開業した「ワテラス」の全景です。神田地区のオフィスビルが密集しているエリアの中で、2棟の高層ビルと敷地内に整備された緑地帯によって構成されています。




4月12日に開業して約1か月程経っているはずなのですが、敷地内の緑地帯の一部では工事が続けられている個所がありました。工事用トラックが敷地内に駐車していました。




もともとこの場所には中小のオフィスビル街や公園、病院等が密集しているエリアだったのですが、2.2ヘクタールの区画を一つにまとめて「淡路町二丁目西部地区第一種市街地再開発事業」として再開発工事が始まりました。




ワテラスの敷地の南側を通っている道路を撮影してみました。よく見ると、道路はこの先で「駿河台台地」の丘陵地帯へ向かって上り坂になっているのがわかりますね。




それで気が付いたのですが、ワテラスの緑地帯や高層ビルも丘陵地帯の斜面の上に建てられていることが判明しました。後ほど坂上からワテラスの敷地を見下ろしてみたいと思います。




地上41階地下3階、高さ165メートルの「ワテラス・タワー」を見上げて撮影してみました。オフィスフロアとレジデンスフロアで構成されていて、お茶の水周辺では最も高い高層ビルの一つです。




ワテラスの敷地の南側には広大な広場が造成されています。神田・お茶の水周辺は東京都心部屈指のビジネス街なので、災害時などの避難地区としても活用できそうですね。




ワテラス・緑地帯の四季折々の花や樹木を楽しめる「神田花暦園」の全景を撮影してみました。広場に面した平地部分は完成しているようですが、駿河台台地の斜面側ではまだ造成工事が続けられている最中でした(2013年5月上旬現在)。




左がワテラスの中核的高層ビルである「ワテラス・タワー」、右は地上15階地下2階、高さ65メートルの「ワテラス・アネックス」の高層ビルです。お茶の水周辺には大学が多いことから、学生用マンションフロアが設けられていて、大部分はオフィス階となっています。




ワテラスの緑地帯「神田花暦園」は、元々再開発以前にあった「千代田区立淡路公園」と一体的に整備されています。完成予想図の中では変化に富んだ地形を活かして造られた小川や滝のせせらぎが設置されるそうなのですが、見た感じではまだそれらしき物は見えませんでした。




ズームで撮影してみると、緑地帯の大部分が芝生で構成されていて、その周辺を木々で囲っているのが解ります。まだ芝生や木々も植えられて間もなく、と言った雰囲気で、養生中でした。




今まで神田地区のオフィスビル街には広大な広場そのものが珍しかったので(お茶の水の大学キャンパス内にはある所にはありますが)、散策していてすごく新鮮な気持ちになりました。



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新緑の丸の内:行幸通りを歩いて、東京駅丸の内駅前広場まで

2013年05月15日 11時25分25秒 | 東京駅周辺


日比谷通りと行幸通りが交差している「和田倉門交差点」前に到着しました。この交差点周辺から南側が「丸の内」、北側が「大手町」の地区に体感的に区分することが出来ます。とは言っても二つの地区はオフィスビル群が連続的に連なっていることから、ほぼ一体化されています。




東京駅丸の内駅前広場から、旧江戸城(現・皇居)の和田倉門跡地前までまっすぐ伸びている行幸通り、大通り内に植えられているイチョウ並木道は、見事な美しい新緑に光り輝いていました。




ズームで撮影してみました。交差点を渡って、早速行幸通りの中を歩いて丸の内駅前広場へ向かいます。




交差点前から振り返って和田倉門濠方向を振り返って撮影してみました。パレスホテル東京の高層ビルの脇で長い間更地になっていた「(仮称)日本生命大手町ビル」の建設現場では、ようやく2基のタワークレーンが組み立てられていました。




行幸通りをまっすぐ歩いていきます。行幸通りの正式名称は「東京都道404号皇居前東京停車場線」と言います。特例都道であり、天皇が行幸するために利用する道路として整備されました。




「行幸」とは天皇が外出することであり、皇居から「天皇の駅」として日本全国へ行幸するために建設された東京駅(当時は東京停車場、又は中央停車場)とを一直線で結ぶ道路として造られたのです。




行幸通りの構想が始まったのは大正時代です。帝都復興院の関東大震災後の震災復興再開発事業の一環として、皇居の和田倉門から東京駅に通じる幅員73メートルの東京市を代表する広規格道路道路として建設されました。




関東大震災当時は、東京市内の大通りの幅員が狭かったことから火災の延焼を食い止められなかった教訓からか、幅員の広い道路と不燃性の高いイチョウ並木道を整備する方針が立てられたのです。




関東大震災後の同時期に整備された高幅員の大通りとして明治通り、大正通り(現・靖国通り)、昭和通り等があります。この頃の東京は火災に強い「不燃都市」を目指す理念があったわけですね。




当初は道路中央から高速車線、イチョウ並木、緩速車線、歩道の配置だったのですが、その後、中央車線は天皇の行幸と信任状捧呈式に向かう外国大使の送迎の車馬が通行する時にのみ使用される専用道となり一般車の通行は禁止されました。




行幸通りの北側にそびえ立っているのは2007年4月に再開発工事によって竣工した「新丸の内ビル」です。以前の新丸ビルを模した低層等内には商業施設等が入っています。




近年になって中央車線は再整備され、2010年4月に歩道兼馬車道として交通開放されましたた。ただし、行幸や信任状捧呈の車馬が通行する時のみは専用道として一般歩行者の通行が制限されます。




行幸通りの丸の内側の東端部からは、丸の内駅舎や駅前広場全体を見回すことが出来ます。この日も、多くの人たちが撮影したりして楽しんでいました。




行幸通りの東端部に到着しました。今から1年前の今頃と言えば、その年の10月の丸の内駅舎の復原工事の完成へ向かって工事が最終段階へ入っていたことを覚えています。駅前広場に展開していた工事用資材置き場やプレハブ事務所の解体工事が始まっていました。




1年前(2012年)の5月頃は駅舎の工事自体はほぼ完成し、駅前広場の整備が始まってきた時期だったでしょうか。これで新緑の丸の内の散策は終わりです。



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新緑の丸の内:新緑の柳並木道の日比谷通りを歩いて行幸通りへ

2013年05月14日 17時56分17秒 | 東京駅周辺


丸の内地区の西側を通っている日比谷通りを北へ向かって歩き、行幸通り方向へ向かいます。目の前にある建物は「丸の内マイプラザ・明治生命館」です。この建物の西側は、皇居前広場の敷地となっています。




1959年からの三菱地所による「丸ノ内総合改造計画」により煉瓦街は急速に建て替えられ、1970年代前半には建物の高さ(100尺・約30メートル)の揃った近代的なビルが整然と立ち並ぶ街に生まれ変わりました。




鍛冶橋通りと日比谷通りが交差している「馬場先門交差点」前に到着しました。交差点から西側には、綺麗な新緑に覆われた皇居前広場の広大な敷地が広がっています。歩いていて、ものすごい開放感を味わうことが出来ます。




馬場先門交差点から、日比谷通りを大手町方向へ向かって歩き、最終ゴールである東京駅丸の内駅前広場を目指します。周辺には障害物が一切ないので、丸の内や大手町の高層ビル群を見渡すことが出来るのです。




1934年(昭和9年)に竣工した「明治生命館」の建物の全景です。太平洋戦争後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収されました。アメリカ極東空軍司令部として使用され、対日理事会の第1回会議は明治生命館2階の会議室で行われました。1956年(昭和31年)にアメリカ軍から返還されたのです。




交差点の北側には「皇居前広場・馬場先濠」の広大な水面が広がっています。日比谷通りは馬場先濠の水面に沿って南北方向に伸びている大通りです。濠の周辺も新緑に覆われていて、すごく綺麗でした。




日比谷通りの地下には東京地下鉄千代田線と、東京都営地下鉄三田線の2路線のトンネルが並行して通っています。馬場先門のある場所には千代田線の二重橋駅が設置されています。都営三田線に乗るには、この北側にある大手町駅まで歩かなくてはいけません。




交差点前から振り返って南方向を撮影してみました。手前側から帝国劇場が入っている帝劇ビル、第一生命館の建物が並んでいます。その更に奥には内幸町地区の帝国ホテルの高層ビルも小さく見えます。




馬場先濠には、馬場先門と称された枡形のある濠に面した城門、江戸城三十六見附のひとつがあったのですが、明治39年(1906年)に枡形が撤去されました。




濠の水面の西側には江戸城時代の石垣が残されています。石垣の向こう側は、皇居前広場を見学に来る観光バスのための大型駐車場として整備されています。




日比谷通りの歩道はそんなに広くはないですが、人通りもほとんどないに等しいので、気楽に歩くことが出来ます。皇居周辺に多いランナーの人たちは、日比谷通りよりも更に内側を通っている内堀通りの歩道を走る傾向が強いです。




日比谷通りに沿って建ち、東京駅丸の内駅舎を思わせるような壁面のこの高層ビルは三菱地所所有の「岸本ビル」です。丸の内地区には丸ビルのような200メートルクラスの高層ビルだけでなく、このような中堅クラスのオフィスビルも多いのです。




皇居前広場周辺の大通りの歩道には柳の木と、イチョウの木が一緒に植えられている箇所が多いです。どちらも綺麗な新緑に覆われていました。




新緑の柳の木々を眺めながらしばらく歩いていると、前方に馬場先濠の終わりが見えてきました。




東京駅丸の内駅前広場から皇居前広場まで一直線に伸びている「行幸通り」前に到着しました。行幸通りのイチョウ並木も綺麗な新緑に覆われていました。次回の記事では行幸通りを歩いて丸の内駅前広場へ向かいます!!!



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新緑の丸の内:「丸の内パークビル・一号館広場」内を散策する

2013年05月13日 12時28分30秒 | 東京駅周辺


平日の正午の時間帯の丸の内仲通り、周辺に林立している高層オフィスビル街で働いているビジネスマンの人たちで賑やかな雰囲気に包まれていました。近年では仲通りにも飲食店などが数多く立地しています。




1990年代の丸の内仲通りといえば、土休日になると人通りが途絶えて「ゴーストタウン」等と揶揄されるくらいの味気ないオフィスビル街だったのですが、近年では路面に面した商業施設が多く出店し、休日でも人通りが絶えない華やかな雰囲気の通りに生まれ変わりました。




丸の内パークビルと共に2009年9月に開業した商業施設「丸の内ブリックスクエア」の中を散策してみたいと思います。お昼時の時間帯の散策なので、多くの人たちで賑わっているかもしれません。




丸の内パークビルと三菱一号館の建物に囲まれた「一号館広場」は、都心部において緑化がなされている広場であり、多くの人たちで賑わっていました。ビジネスマンの人たちよりも私服姿の人の方が目立っていました。




広場には十種類のバラをはじめ、さまざまな草木や噴水、オープンカフェで構成されています。緑地帯の中には多くのベンチが設置されているので、多くの人たちが座ってくつろいでいました。




東京都心部の中枢、丸の内地区とは思えないほど深い緑に覆われているのが印象的です。この日は雲一つない快晴の天気だったのですが、緑地帯の中にいると直射日光はほとんど降り注いではきません。




1894年に丸の内最初のオフィスビルである三菱一号館が竣工、これを皮切りにロンドンのロンバード街に倣った赤煉瓦街が建設され、一丁倫敦(いっちょうろんどん)といわれるようになります。三菱の手でオフィス街が築かれたこの地区は、現在に至るも三菱グループ各社の本社や三菱地所所有のオフィスビルが集中しているのです。




丸の内最初の洋風貸事務所建築としての「第1号館」である本建物は、三菱の建築顧問であったジョサイア・コンドルによりイギリス・クイーンアン様式(en)の外観を持つ煉瓦造の建築物として設計されました。




1894年に竣工当初においては、三菱合資会社本社、第百十九国立銀行(後の三菱合資会社銀行部、三菱銀行)本店、高田商会が設けられたほか、貸事務所として坪1円から1円50銭で貸し出されたとされています。このほか、郵便局「丸ノ内郵便電信局」が1902年(明治35年)より三菱合資会社の無償提供で本建物内一室に設けられていました。




建物名については三菱村の建物は当初、建てられた順に「第1号館」「第2号館」などと館名がつけられていました(日本で建物を第(数字)号館などと称したのはこれが嚆矢です)。




しかし、建物が増えるにつれ、これら館名と地番だけでは不便になったため、三菱合資会社では1918年(大正7年)より「地画制」を実施することとし、同社により丸の内東通りと命名された通りに面した本建物は「東9号館」と改称されました。




敷地内には総合デベロッパーの三菱地所が運営する企業博物館「三菱一号館美術館」が設置されています。同館の建物は丸の内最初の洋風貸事務所建築として明治時代に建てられた(旧)三菱一号館を同社がレプリカ再建したものです。




丸の内ブリックスクエア前から丸の内パークビルを見上げて撮影しました。三菱一号館の竣工と同じ1894年、高知藩屋敷跡地に東京府庁舎(のちの東京都庁舎)が完成しました。1914年に三河吉田藩・信濃松本藩の屋敷跡地が東京駅となり、以降1923年に丸ビルが完成するなど、ビジネス街として急速に発展することになります。




丸の内一号館の壁面をそばから撮影してみました。戦前の丸の内では、このような赤レンガ造りのオフィスビルが整然と立ち並ぶ欧米チックな街並みだったのだそうです。




丸の内パークビル前を離れて散策を続けていきます。次回の記事では皇居前広場の敷地に沿って新緑の丸の内のオフィスビル街を眺めながら歩いていきます!!!



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新緑の丸の内:新緑が美しい鍛冶橋通りと「丸の内パークビル・三菱一号館」 PART2

2013年05月11日 11時15分01秒 | 東京駅周辺


引き続き新緑のイチョウ並木道が続いている鍛冶橋通りの御通りに沿って散策を続けていきます。丸の内パークビルの低層商業棟でもある「三菱一号館」の建物を眺めながら歩きます。




かつてこの場所に建っていて解体された丸ノ内八重洲ビルは、日本建築家協会が保存要望書を三菱地所に提出していた1928年(昭和3年)竣工の近代建築であるため、一部がファサード保存され丸の内パークビルディングの外壁として保存・活用されています。




敷地内には、1894年(明治27年)に竣工した後、文化庁が重要文化財指定を検討する中、1968年(昭和43年)に三菱地所が抜き打ちに解体したジョサイア・コンドル設計の丸の内最初のオフィスビル「三菱一号館」をレプリカ再建しています。




三菱一号館は免震装置を設置した上に230万個の煉瓦を使用し再現され、「三菱一号館美術館」として利用されています。また丸の内パークビルディングと三菱一号館美術館の間には「一号館広場」と名づけられた中庭が設けられ、オープンカフェや植え込みが配置されています。




皇居と東京駅の間、内堀沿いを走る日比谷通りの1本東側に平行して走る通りが「丸の内仲通り」です。晴海通りから永代通りまで真っ直ぐ通じ、平日、休日を問わず賑わいを見せているのです。




現在の仲通りは幅員21メートル、両サイドのビルは高さ31メートルで軒線が揃い、地面は落ち着いた色調の斑岩が歩道・車道ともにリズミカルな模様に敷き詰められているのです。今の時期ですと新緑の並木道がすごくきれいです。




街路樹はケヤキをはじめカツラ、アメリカフウ、シナの木などの落葉樹が植えられ、道路と歩道の間に置かれたプランターやハンギングフラワー、ベンチがゆったりとした佇まいを見せます。1990年代の丸の内仲通りの荒涼とした雰囲気が、今となっては信じられないくらいです。




丸の内仲通り前の交差点から丸の内の高層ビル群を撮影してみました。手前から丸の内パークビル、三菱東京UFJ銀行本店ビル、東京ビルです。




横断歩道を渡り、丸の内パークビルの敷地内へ入って見たいと思います。正午を過ぎた時間帯なので、丸の内仲通り周辺は昼食へ繰り出すビジネスマンの人たちの姿であふれかえっていました。




広々としていて、開放感が感じられる丸の内仲通りの歩道。歩道の両側に建ち並んでいるオフィスビル群の一階には高級ブランドショップなどが数多く入居していて、さながら表参道の並木道を歩いているようです。




江戸時代の丸の内は「本丸の内」、江戸城の敷地内そのものであり親藩や譜代大名の藩邸が24あったため「大名小路」とも呼ばれていました。内堀と外濠に挟まれていた地域内には南北町奉行や勘定奉行の奉行所、評定所も置かれていました。




明治維新後に武家屋敷は取り壊されて官有地となり、陸軍の兵舎・練兵場などになります。陸軍兵営が移転した後の1890年、三菱の2代目当主・岩崎弥之助に150万円で払い下げられました。当時の丸の内は草の生い茂る原野と化しており、「三菱ヶ原」と呼ばれていました。




丸の内パークビル等の大通りに沿って整然と植えられている丸の内仲通りのケヤキ並木道。正午の時間帯、真上から太陽の光に照らされて、美しい新緑が光り輝いていました。




丸の内仲通り前から見上げて丸の内パークビルの高層ビルを撮影してみました。




丸の内パークビルディング地下1階から4階、低層棟(アネックス)、三菱一号館、一号館広場からなる商業ゾーンは総称として「丸の内ブリックスクエア」と名付けられています。次回の記事では三菱一号館内へ向かいます!!!



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