緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

新緑のお茶の水:神田駿河台とJR御茶ノ水駅周辺の散策 PART2

2013年05月21日 09時00分00秒 | 台東・上野周辺


聖橋の橋上から東京医科歯科大学の建物群を撮影してみました。建物の一部は改修工事が去年からなされていたのですが、工事用シートが最近になって取り外されました。東京医科歯科大学の橙色の壁面の建物は、お茶の水のシンボル的な存在でもあります。




レンガ造りの建物群と、それらを取り囲むように生い茂っている新緑が素晴らしい風景を造りだしていると思います。雲一つない快晴の天気だったことも良かったです。この後、東京医科歯科大学の敷地内へ入ってみることにします。




聖橋の上から振り返って「御茶ノ水ソラシティ」の高層ビルを見上げて撮影してみました。これまで学生の街のイメージが強かったお茶の水地区において、ワテラスやソラシティの高層ビルの存在がどのような影響を及ぼすのか注目していきます。




一旦「聖橋交差点」まで戻り、橋の上流側の歩道を歩いていきます。上流側の歩道部分には、本郷にある東京大学医学部附属病院行きの路線バス乗り場が設置されているので、通行量は意外と多いのです。




神田川の上流側を聖橋上から見下ろして撮影してみました。東京都心部のど真ん中に位置しているとは思えないほど、急峻な渓谷地形が目の前に広がっているのが解りますね。




古くは北側の本郷台(湯島台)と南側の駿河台が一続きで「神田山」と呼ばれていたのですが、2代将軍徳川秀忠の時代に水害防止用の神田川放水路と江戸城の外堀を兼ねて東西方向に掘割が作られ、現在のような渓谷風の地形が形成されましたた。




新緑の木々に囲まれた東京医科歯科大学の建物群を撮影してみました。真冬の時期に訪れた時は枯れ木状態だったのですが、今の時期はものすごく綺麗な新緑の風景を楽しむことが出来ます。




東京医科歯科大学の「(北)歯学棟」の建物は工事用シートに覆われた状態が続いてきましたが、建物の壁面には黒い器具が装着されていました。これは、建物の耐震化の一環なのでしょうか?




総合教育研究塔の壁面に刻まれたレリーフをズームで撮影してみました。一番左は医聖と仰がれている古代ギリシアのヒポクラテスによる「医師の誓い」、中央はイタリア・ルネッサンス期の画家ラファエルによる「アテネの学堂」、右側は19世紀半ばにアメリカの歯科医師モウィリアム・モートンが行った世界初の全身麻酔公開実験の風景が刻まれています。




急峻な渓谷地形の中を流れる神田川の南岸側にJR御茶ノ水駅の施設があります。切り通しの脇の狭いスペースの中にJR中央快速線と総武緩行線の、2面4線のホームが設けられていて、駅舎施設は橋上化されています。




JR御茶ノ水駅の御茶ノ水口の駅舎と、駅舎の脇に設置されている「御茶ノ水橋」をズームで撮影してみました。緑が今立っている聖橋と比較すると、御茶ノ水橋を歩く人の通行量の方が非常に多いです。




御茶ノ水地区の北側にあった高林寺という寺社から泉が出て、この水を将軍のお茶用の水として献上したことから、この地が「御茶ノ水」と呼ばれるようになったといわれています。




2009年8月に竣工した東京医科歯科大学の「M&Dタワー(医歯学総合研究棟Ⅱ期棟)」の高層ビルをズームで撮影してみました。やはり、新緑に囲まれた大学キャンパスや大学病院の建物の風景は、「絵」になりますね。




神田川の北側に沿って通っている「外堀通り」を聖橋の上から見下ろして撮影してみました。外堀通り沿いの街路樹も綺麗な新緑で覆われていました。




御茶ノ水地区には、雅称として「お茶の谷」という意味の「茗溪(めいけい)」という呼び名が存在し、周辺にこの名を冠した通りや商店があるのだそうです。



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新緑のお茶の水:神田駿河台とJR御茶ノ水駅周辺の散策 PART1

2013年05月20日 10時07分39秒 | 台東・上野周辺


ニコライ堂の脇を通り抜けてJR御茶ノ水駅方向へ向かって緩やかな上り坂を歩いていきます。東京都心部の北側に広がっている広大な「本郷台地」という名前の丘陵地帯の南端部に位置します。




本郷台地の南端部に位置するJR御茶ノ水駅一帯が「神田駿河台地区」と呼ばれています。周辺には大学キャンパスや大学病院、予備校などの日本最大の学生街として賑わっているのです。




JR御茶ノ水駅の南東側には「御茶ノ水ソラシティ」の高層ビルがそびえ立っています。旧・日立本社ビル跡地に再開発工事によって誕生した高層ビルで、ワテラスと同じく2013年4月12日に開業しました。隣接して建っているワテラスとは新たに整備した跨道橋と連絡通路で直結されています。




オフィス、教育関連施設、商業施設などからなる延べ面積約10万2000平方メートルの複合施設となっています。地下2階、地上23階建てで高さは110メートル。日立本社ビルが建っていた敷地約9500平方メートルを再開発しました。




緩やかな上り坂を上り切ると、JR御茶ノ水駅の聖橋口の駅舎ビルが見えてきました。午前11時前後に時間帯の散策だったのですが、駅周辺は学生の人たちで賑わっているみたいでした。




JR御茶ノ水駅の北側の深い切り通しの中を流れているのが神田川であり、神田川の真上には「聖橋(ひじりばし)」が架橋されています。聖橋の上からお茶の水周辺の街並みを眺めてみます。




御茶ノ水駅の南側には日本大学や明治大学等の総合大学キャンパスが密集していて、大学キャンパスを取り囲むように予備校などの建物が密集して建っています。周辺を歩いている人たちも、ビジネスマンよりも学生の方が多い雰囲気です。




橋上から撮影した「聖橋」です。橋の上からでは全く判りませんが、船から見上げた時に最も美しく見えるようにデザインされた鉄筋コンクリートアーチ橋となっています。橋の上には本郷地区の東京大学医学部附属病院行きの都営バス乗り場があり、意外と人通りは多いのです。




聖橋上から撮影した東京医科歯科大学の建物群です。東京都千代田区駿河台と文京区湯島にまたがり、本郷通り(都道403号)を結んでいます。本郷通りは江戸時代に整備された日光街道の脇街道に該当しています。




JR御茶ノ水駅周辺には東京医科歯科大学を始め、順天堂大学医院、駿河台日大病院などの大病院が密集しているエリアです。また駅前から1キロ離れた北側には東京大学医学部附属病院があります。




昭和2年(1927年)に竣工した聖橋を設計したのは、モダニズム建築に造詣が深い山田守氏です。氏の設計した建築物と言えば、隅田川に架かる永代橋や、九段の日本武道館などがあります。




橋の名前は竣工当時の東京府東京市(現:東京都)が公募し、両岸に位置する2つの聖堂(湯島聖堂とニコライ堂)を結ぶことから「聖橋(ひじりばし)」と命名されました。




聖橋の橋上から神田川の下流側を見下ろして撮影してみました。真下には東京地下鉄丸ノ内線の神田川を渡るためのガーダー橋が設置されているのが見えます。お茶の水地区において、丸ノ内線は神田川を渡る時だけ地上区間を走ります。




お茶の水周辺はJR中央快速・総武緩行線、東京地下鉄丸ノ内線、千代田線の4路線の鉄道が交差している、東京都心部の鉄道ターミナルの側面も強いのです。ただし、丸ノ内線の御茶ノ水駅は神田川の北岸、その他の3路線は南岸側に位置しているので、乗り換えるには橋を渡る場合があります。




お茶の水周辺は東京都心部のど真ん中とは思えないほど急峻な渓谷地形が広がっているのですが、オフィスビル群が渓谷の周辺に密集して建っているので、一瞬見た感じではそれほど複雑な地形のエリアであることには気がつきにくいです。



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新緑のお茶の水:「ワテラス・新坂」を上り切って、神田駿河台へ

2013年05月19日 09時05分49秒 | 台東・上野周辺


ワテラスの敷地は、「駿河台台地」と呼ばれている皇居北側に広がっている丘陵地帯の斜面に一部が掛かっています。現在工事中の区画は「千代田区立・淡路公園」が存在していましたが、再開発工事によってワテラスと一体的に整備されることになりました。




ワテラスの緑地帯は「神田花暦園(かれきえん)」の名称で呼ばれています。2013年4月12日の街開きには間に合わなかったのか、工事用フェンスで覆われています。まだ緑地帯の地面を造る段階なのでしょうか。




これで開業後のワテラスの散策は終わりです。この後は整備中の淡路公園の脇を通り抜けて、神田駿河台・JR御茶ノ水駅方向へ向かって歩いてみたいと思います。




ワテラスの敷地の南側を通っている道路は、神田淡路町から駿河台へ抜けることが出来る道路です。再開発工事によって道路周辺も歩道が拡幅される形で広々とした雰囲気に生まれ変わっています。




ワテラスの敷地の南側を通っている坂は「新坂(しんざか)」という名前です。再開発工事以前は千代田区立淡路公園に隣接している小さな坂だったのですが、ワテラスの整備によってこれからは有名になって行くかもしれないですね。




新坂の坂下からワテラス・タワーやアトリウムに向かって撮影してみました。10年ほど前までは淡路公園の小さな緑地帯と、中小の雑居ビルが密集していた風景が、今となっては信じられないくらいです。




「東京名所図会」には“新坂は維新の後、新たに開かれたる道路なり、昔は観音坂と紅梅坂の間、阿部主計頭の屋敷にして、此処より駿河台に登る通路なかりし、崖の上には今も旧形を存せる彼の練塀の外囲ありしなり、此の練塀を道幅だけ取毀ちて道路を開きたり。ゆえに俗呼んで新坂といへり”と書かれています。




新坂を歩きながら、整備工事中の淡路公園を観ていきたいと思います。ワテラスの再開発工事が始まると、淡路公園は閉鎖されてその跡地に工事用プレハブ小屋が建てられたのです。




東京ミッドタウンの檜町公園のように公演自体を改修したのではなく、淡路公園の場合は一度更地にして、その場所に新しく公園を造り直す工事となっているのです。なので工事期間は長くなってしまったのではないでしょうか。




新坂の急傾斜の地形の中で、工事関係の人たちが公園や公園周辺の道路工事を行っていました。この傾斜地形を生かして、新しい直地帯の中には流れ落ちる滝や水路、坂の散策路などが整備されます。




新坂の坂上から振り返って、新坂やワテラスを撮影してみました。このワテラスも、六本木ヒルズや東京ミッドタウンと同じように過酷な地形の上に造られているのが判りますね。




新坂の坂上に広がっている「神田駿河台」という丘陵地帯の上を歩いてJR御茶ノ水駅へ向かいます。東京復活大聖堂、通称「ニコライ堂」の建物の脇を通り抜けていきます。




ニコライ堂脇の緩やかなカーブを描いた上り坂の通りを歩いていきます。この緩やかな上り坂には坂の名前は付けられてはいないそうです。




ズームで撮影してみると、文京区側の本郷地区「東京医科歯科大学」の巨大な建物群が見えてきました。建物群の手前に神田川が流れていて、JR御茶ノ水駅が設置されています。




散策し終わって、千葉・習志野台の自宅へ帰った後に調べてわかったことですが、このニコライ堂の敷地内からワテラスの高層ビルを撮影するとものすごく綺麗に写るのだそうです…。また快晴の天気の日を選んで撮影してきたいと思います!!!



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新緑のお茶の水:開業後の「WATERRAS(ワテラス)」を散策する PART3

2013年05月18日 09時24分34秒 | 台東・上野周辺


ワテラスのアトリウムから緑地帯である「神田花暦園」の芝生広場を撮影してみました。後ほど緑地帯に沿って周辺を散策してみたいと思います。




緑地帯周辺に植えられている木々もまだ若木と言った感じで「初々しい」雰囲気です。5年程も経過すれば、木々は成長して立派な緑地帯へと変貌することでしょう。芝生などもまだ若木で地面が透けて見えますね。




アトリウム内からワテラス・タワーを見上げて撮影してみました。お茶の水周辺の高層ビルと言えば、このワテラス・タワー、隣接して建っている御茶ノ水ソラシティ、文京区側の東京医科歯科大学の新研究棟くらいしか存在しません。




ワテラス・コミュニティの前では工事関係者の人たちが、何かを組み立てる工事を行っていました。大木の柱と、竹の木を継ぎ足して何かを作っているみたいです。




5月12日に実施される「神田祭」に向けて何かイベントの準備をしているのかもしれないですね。




ワテラス・タワーの一角に設けられた「ワテラス・コミュニティ」では、今後のタウンマネジメント活動(現・淡路TMO準備室)の拠点の一つであり、ホール・カフェ・ライブラリー等が設けられ、地域に根付いた様々なイベントや講座などの開催が予定となっています。




大広場周辺には桜の木々が数多く植えられているそうなのですが、開業が4月12日だったので今年は観ることができませんでした。来年に期待することにします。




不忍通りに沿った歩道周辺も広場と一体化されて整備されています。この通りの歩道は今までは狭かったのですが、ワテラス周辺だけは広々とした雰囲気に生まれ変わりました。




再開発区域内には、災害時活動拠点として、万が一の災害時にコミュニティ施設、オフィスエントランスなどは災害時被災者・帰宅困難者の避難スペースになり、ワテラスモール内のスーパーの水や食料を提供するほか、下水道直結型トイレや千代田区の防災備蓄倉庫を配置しています。




建物は制震構造を採用しており、建物内部に設置したダンパーや粘性制震壁により揺れの影響を緩和します。さらに、ワテラス建物全体で連続約72時間使用可能な非常用自家発電機を設置し、非常時でもエレベーター等の共用部に電源供給する計画としています。




不忍通りに面したワテラス・アネックスの1階路面側のファサードにも商業施設が軒を連ねていました。神田祭に備えてか、祖き先にはお祭りの装飾が施されていました。




ワテラスの敷地の北側から少し歩けば神田川が流れており、その先は秋葉原の電気街が広がっています。住むにも働くにも理想的な環境なのですね。




広場内には松の木々が植えられていて、江戸時代から続く神田・お茶の水エリアの雰囲気を醸し出していました。




大広場からアトリウムへあがることが出来るエスカレーターの脇には立体をいくつも積み重ねて出来た滝が設置されていました。




アトリウムの真下の一階フロアは喫茶店やレストランとして整備されていました。



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新緑のお茶の水:開業後の「WATERRAS(ワテラス)」を散策する PART2

2013年05月17日 09時52分04秒 | 台東・上野周辺


引き続きワテラスの敷地内の散策を続けていきます。ワテラス・タワーと、ワテラス・アネックスの二つの高層ビルに挟まれる形で建っているアトリウムへ向かって歩いていくことにします。




二つの高層ビルをつなぐアトリウムをズームで撮影してみました。平日の午前中の時間帯だと、人通りはそんなに多くはなかったです。土休日や祝日になれば人通りが増えてくるのかもしれません。




今までお茶の水地区周辺と言えば、大学キャンパスや大学病院、オフィス街しかないイメージが強かったのですが、ワテラスを始めお茶の観駅周辺では再開発による高層化がここ5年程で急激に進んでおり、街のイメージが変わりつつあります。




ワテラスのコンセプトは「古き良き伝統を受け継ぎ、新しいコミュニティが育まれる街へ。」となっています。江戸時代には武家屋敷と町人街の結界として人々が行き交い、明治の文明開化以降は中央本線のターミナルであった万世橋駅前の街の歴史観を生かした街づくりが垣間見えます。




高度成長期の都市機能の変化により都心部の夜間人口は急速に減少し、この地区においても地域コミュニティの核であった淡路小学校(明治8年開校)が平成5年に統廃合となるなど、連綿と続いてきたコミュニティも存続の危機に陥りました。




そこで地域の人々が主体的となり、明治以来この地区に権利を有していた安田不動産も加わり、新たな街づくりを始めることになったのです。




ワテラス・タワーの1~3階には、イベントホールや園芸ショップなどを備える地域コミュニティ施設「ワテラスコモン」が入り、その上の4階から19階はオフィスフロア、そして20~41階が住居エリアとなっています。




散策した当時(2013年5月上旬)では、まだ低層階の地域コミュニティ施設などは内装工事が行われている最中でした。オフィスフロアなどもそんなに入居率が高そうには見えなかったです。




ワテラスのアトリウムの階段・エスカレーターを上った上層階のあるフロアが、駿河台台地の地面部と同じ高さとなっています。ワテラス・タワーやアトリウム自体が丘陵地帯の斜面の上に建設されているわけですね。




ワテラスが開業したのは2013年4月12日ですが、首都圏ではまったくと言っていいほど話題にはなりませんでした。やはり同時期に開業した東銀座の歌舞伎座や、東京駅丸の内のキッテの方に関心が集中してしまったからでしょうか。




アトリウムとワテラス・アネックスの低層階フロアには商業施設である「ワテラス・モール」が併設されています。オフィスで働く人やレジデンスフロアの住人、ワテラス周辺の住民の人たち向けの多様な店舗が入居しています。




アトリウムのエスカレーターと階段を上った先には、ワテラス・タワーのオフィス階入り口が設置されていました。通勤ラッシュが終わった時間帯の散策だったので、人通りはほとんどありませんでした。




ワテラス・モールの「SHOP&DINING」には日本料理店などのレストランを始めとして、地元住民向けのスーパーマーケットやディスカウントストアなども入居しています。




前面ガラス張りのアトリウムなので、太陽の光が直接入ってくるのでものすごく明るくて開放感があります。アトリウム内にはカフェ風のテーブルや椅子等も設置されていました。




アトリウム内からワテラスの大広場を見下ろして撮影してみました。オフィスビルが密集しているお茶の水・神田淡路町エリアの中でこれだけの広さを持つ広場はすごく珍しいのです。



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