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12月の日本橋:日本橋南詰めから日本銀行本店前へ(1)

2012年12月12日 23時11分37秒 | 中央区全域・銀座


中央通り「日本橋」の南詰めにやってきましたが、やはり12月の季節だからでしょうか、いつもより人通りが多かった気がします。日本橋周辺の百貨店等も年末のバーゲンやクリスマス商戦が始まっているということでしょう。スーツ姿のビジネスマンの人たち以外に、買い物に来た人たちの姿がかなり目立っていました。




日本橋は江戸時代の街道の起点とされ、現在も主要国道の起点であるとされています。起点となっている国道は、国道1号線(東海道・大阪市まで)・国道4号線(青森市まで)・国道6号線(仙台市まで)・国道14号線(千葉市まで)・国道15号線(横浜市まで)・国道17号線(新潟市まで)・国道20号線(甲州街道・長野県塩尻市まで)の7つです。




日本橋には日本の道路元標があり日本の道路網の始点となっている。橋梁としては現在19代目にあたります。石造二連アーチ橋で橋の長さ49メートル、幅27メートル、設計は米本晋一、装飾様式は妻木頼黄、装飾制作は渡辺長男によります。




日本橋川の上を通っている首都高速都心環状線の高架橋には「日本橋」の銘板が打ち込まれています。この銘板がないとここに日本橋が架橋されていることに気がつかないくらいです。




日本橋の橋梁の路盤はアスファルトではなく石畳となっていて、明治時代を思わせる雰囲気です。平日の昼間の時間帯であっても日本橋を行き交う人の数はかなり多かったです。




日本橋を渡って「日本橋北詰交差点」に出ることができます。交差点の北側には三越百貨店日本橋本店や三井本館などの建物が密集している「中央区の日本橋室町地区」となっています。




日本橋北詰周辺も金融関係のオフィスビルが数多く建ち並んでいます。日本橋室町地区の西側にある日本橋本石地区には日本銀行本店が設置されているためです。後ほど日銀本店前まで散策してみたいと思います。




日本橋の北詰から撮影した三越百貨店日本橋本店の新館の建物です。




「日本橋北詰交差点」です。三越の新館の正面玄関にはクリスマスツリーが展示されていますね。




「日本橋室町」の地名の由来は、京都の室町にならったという説と、商家が多く集まっており、その土蔵(室)が立ち並んでいたためという説があります。




これから散策する三越百貨店や三越本館、COREDO室町周辺も年末のためか人通りが大変多いように感じました。やはり三越百貨店や高島屋が展開している日本橋周辺は年配の人の姿が多く見られました。




「日本橋地区」は日本銀行本店や東京証券取引所の立地する日本を代表する金融街であり、また老舗の百貨店を含む商業施設も多く、他にも問屋街や多くの製薬会社が連なる地域です。




現在の日本橋を中心とした地域は、古くは武蔵国豊嶋郡に相当し、その中の江戸郷前嶋村と呼ばれる地域だったといいます。江戸は鎌倉時代の江戸氏の支配から大田道灌、さらに後北条氏を経て徳川家康が幕府を開くが、早くに町地として開発されたのがこの日本橋周辺の地域でした。




日本橋が架けられ交通の要所として定められてからは、現三越の前身である越後屋をはじめとする大店が集まり、また付近には金座や銀座が置かれるなど江戸を代表する場所として殷賑を極めたのです。




明治29年(1896年)には本両替町にあった金座の跡に日本銀行が建てられました。また大店の越後屋や白木屋が百貨店として生まれ変わり、明治41年(1908年)には越後屋こと三越が洋館の店舗を落成させるなど次第に洋風建築も増え、近代的な町並みへと変わっていったのです。




三菱財閥系列のビルが密集している千代田区の丸の内地区が「三菱村」と呼ばれているように、三越百貨店本店や日本銀行本店、三井系列のビルが立ち並んでいる日本橋地区は「三井村」と呼ばれています。




次回の記事で三井本館の脇を通り抜けて日本銀行本店前へ向かいます!!!

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