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12月の日本橋:日本橋南詰めから日本銀行本店前へ(2)

2012年12月13日 17時14分35秒 | 中央区全域・銀座


日本橋北詰交差点から中央通りを散策し、三越百貨店日本橋本店、三井本館、三井新館の脇を通り、日本橋本石町にある日本銀行本店前へ向かいます。12月初旬の散策なので人通りがいつもよりも多い中を散策していきます。日本橋周辺の中央通りは以前は道路工事が頻繁に行われていたのですが、どうやら終わったみたいです。




三越百貨店日本橋本店の本館です。三井財閥(現三井グループ)のルーツとなった「越後屋」の呉服店事業を引継いだ為、「三井財閥(現三井グループ)の礎を築いた企業である」とされることも多いのですが、企業としての三越としてみるならば、三井の事業から呉服店部門のみを「合名会社三井呉服店」として分離したのが始まりです。




江戸時代の1673年(延宝元年)に「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」や「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」「小裂何程にても売ります(切り売り)」など、当時では画期的な商法を次々と打ち出して名をはせた呉服店の「越後屋」(ゑちごや)として創業しました。




現在の商号「三越」は、三井家の「三井」と創業時の「越後屋」からとったもので、1904年に「合名会社三井呉服店」から「株式会社三越呉服店」へ改称した際からのものです。この改称の案内の際に「デパートメントストア宣言」を行い、そのことを以て日本での百貨店の歴史が始まりすることが多いのだとか。




ショッピングゾーンの「COREDO室町」が低層階に入居している室町東三井ビルディングを撮影してみました。こちらも正面エントランスにクリスマスリースが掲げられているなど年末の雰囲気に包まれていました。




三井財閥の創業家である三井家の歴史は太政大臣・藤原道長に発し、その後藤原右馬之助信生が近江に移って武士となり、初めて三井の姓を名乗ったといいます。三井高俊は質屋を主業に酒、味噌の類を商った。店は「越後殿の酒屋」と呼ばれ、これがのちの「越後屋」の起こりとなるのです。




高俊の四男・三井高利は伊勢から江戸に出て1673年(延宝元年)越後屋三井呉服店(三越)を創業します。京都の室町通薬師町に京呉服店(仕入れ部)を創業します。都や大阪でも両替店を開業し、当時の商法をくつがえす「店前売り」と「現金安売掛け値なし」などで庶民の心をとらえ繁盛しました。その後、幕府の公金為替にも手を広げ両替商としても成功し、幕府御用商人となり、屈指の豪商となったのです。




三井家は明治維新新政府の資金要請に応え、政商の基盤を確固たるものにしました。三井は幕府御用を全面的に歓迎した訳では無かったのですが、幕府との関係は初期の経営に重要な役割を果たし、公金為替による幕藩体制との密着度は深くなり、幕末・維新期では日本政府は三井との関係無しでは存立がいかない状況となっていたのです。




日本橋本石町二丁目地区にある「日本銀行本店」前にやってきました。本館の建物の設計は辰野金吾で、ベルギー国立銀行を参考に1896年(明治29年)2月に竣工しました。1891年(明治24年)に発生した濃尾地震の教訓から、高橋是清の指示で建物上部を軽量化し耐震性を高めることを決定し、2階3階は煉瓦造石貼りに変更されました。




日本銀行は日本銀行法に基づく認可法人であり、日本国の中央銀行です。略称は日銀(にちぎん)。幕府御用を務め、王政復古の発令を経て維新政府の為替方となった三井組は、最初に大蔵省の前身となる金穀出納所御用達を受諾します。そして御為替方三井組を称するようになったのです。




三井は政府の殖産資金創出策にタイアップして活躍し、銀行業者としての貴重な体験を得ます。為替会社の設立がそれであり、通商・為替会社はまず東京で設立され、ついで大阪・横浜・西京(京都)・大津・神戸・新潟・敦賀に設けられ、重要な地位に就いたのです。




大蔵省で国立銀行の準備に当たっていた渋沢栄一は、三井・小野両組共同で銀行設立を提案し、両組は政府主導による設立を望んでいなかったのですが、公金取り扱いの特権剥奪を条件に出され、やむなく「三井小野組合バンク」の創設に協力することとなります。明治6年に三井・小野両組合作の「第一国立銀行」が発足し、両当主が頭取、三野村が支配人、渋沢はこの銀行を主宰する総監役に就任しました。




明治政府は日本銀行の設立と官金取引業務の縮小を決定します。国庫金取引は日銀の重要業務の一つと定められ、これまで三井が行ってきた為替方は全廃されることになったのです。また日銀創立に際し、三井銀行の総長代理副長三野村利助が同行理事に任命されました。日本銀行の本店が三井本館の隣に建っているのはそれが大きな理由なのですね。




外堀通りの「常盤橋交差点」に到着しました。明治時代に竣工した日本銀行本店の建物がいい雰囲気を出していました。




常盤橋交差点前の大手町寄りに建っている「東洋経済新報社」のビルです。書店などの経済誌コーナーに並んでいる「週刊東洋経済」の専門誌が有名ですね。創刊されたのは1895年(明治28年)と日本最古の週刊誌なのだそうです。経済誌の販売面ではインターネットなどとのクロスメディアや宣伝活動を活発に行っている1位の『日経ビジネス』、2位の『週刊ダイヤモンド』に続く3位となっています。




常盤橋交差点から撮影した日本銀行本店の全景です。外堀通りの車列が途切れた瞬間を狙って撮影してみました。これで12月の日本橋の散策は終わりです。




外堀通りの常盤橋交差点で散策は終わりです。

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