
「北の丸公園」の緑地帯内、「中の池」の敷地西側を回り込むようにして整備されている散策道を北側へ向かって歩いていきます。

「北の丸公園」の緑地帯内は人通りもほとんどなく、ひっそりとしていました。

「中の池」の敷地西側を回り込むようにして整備されている散策道を北側へ向かって歩いていくと、緑地帯の敷地西側から流れてくるせせらぎの上に架橋されている歩行者専用の橋が見えて来ました。

歩行者専用の橋上から、せせらぎの上流側(南側)を見渡して撮影しました。枯れ木状態となっている木々の間をせせらぎが流れて「中の池」の中に流れ込んでいきます。

歩行者専用の橋上から、せせらぎの流れを見下ろして撮影しました。

北西側から、歩行者専用の橋上から「北の丸公園」の緑地帯内に整備されている芝生広場のスペースを見渡して撮影しました。

明治維新後、明治政府によって現在の「北の丸公園」の緑地帯がある場所には日本陸軍の近衛師団の兵営地が設置されます。現在の「東京国立近代美術館工芸館」は、近衛師団司令部の建物を改修して利用しているものとなっています。

戦後、1946年(昭和21年)に東京特別都市計画によって皇居周辺の緑地として整備されることが決定され、旧近衛連隊等の多くの建物が撤去されます。1957年には皇居外苑、日比谷公園と合わせて「東京都市計画公園第5・8・23号中央公園」として都市計画決定がなされます。

1963年(昭和38年)に建設省が森林公園として整備を開始し、1969年(昭和44年)に昭和天皇の還暦を記念して開園、一般公開されます。その後厚生省が管理し、現在は環境省が管理する国民公園となっています。

「北の丸休憩所」の敷地脇を通り抜けて、芝生広場のスペースの敷地北側前にやってきました。

北側から、「北の丸公園」の緑地帯の敷地中央部に広がっている芝生広場のスペースの全景を撮影しました。1月下旬の真冬の時期だったので、芝生広場は枯れ草状態となっていました。

元来た道を引き返して、緑地帯の敷地西側から流れてくるせせらぎの上に架橋されている歩行者専用の橋前に戻ってきました。

芝生広場のスペースの敷地西側を通っている歩行者専用の散策道を北側へ向かって歩いていくと、前方に北の丸公園の「第3駐車場」の敷地が見えて来ました。

東側から、北の丸公園の「第3駐車場」の敷地の全景を撮影しました。

北の丸公園の「第3駐車場」の敷地東側を通っている歩道を北側へ向かって歩いていくと、前方に「日本武道館」の巨大な建物が見えて来ました。

南西側から、「第3駐車場」の敷地前に建っている「北の丸休憩所」の建物の全景を撮影しました。
