あの悪夢のような大地震から2週間が経ちました。
23日に当院ではすべてのライフラインが復旧しました。
本日より、通常通りの診療時間となります。
皆様にご心配頂いた新しい診療室にも、地震の爪あとが残っています。
壁の補修が来月中には終了する予定です。
復興に向かってがんばっていきましょう。
ゆうべから、ほんのちょっと水が出るようになりました。
これで完全に水がでてくれれば、ライフラインもばっちりなのですが
水は出なくとも、注水しながら先週の火曜日から午前中のみ診療を再開いたしました。
ちょうど、地震の真っ最中、
「痛くて痛くてたまらない」
そういって来院した患者さんも居たというのに、あの状態ではとても治療を進める状態ではなかったのです。
今日の情報では、3/11の午後立て続けに来たあの地震、
宮城県沖・福島沖・茨城沖
茨城県沖にきた地震が一番大きな余震だったそうで、
M7.7
はたして余震といえる大きさだったのでしょうか?
あれから毎日続く余震。
水は出なくとも、
「私たち医療人は毎日扉を開けておくことが使命」
早く平穏無事な毎日がやってきますように。
今朝、ようやく地元のスーパーが再開。
これでようやくたんぱく質がとれる。
11日以来、火の必要のない非常食と
カップめん。
そしてガスが使えるようになった翌日からは、
暖かいものをたべられるようになった。
米、みそ、しょうゆ、種類はないが野菜。
食べるものがあるだけありがたい。
3日間電気もなくろうそくと懐中電灯、ポータブルテレビに
お世話になった。
灯油を使う暖房機のない我が家は寒さがつらい。
3/17現在まだ水は復旧していない。
毎日、毎日震度3~5の余震が続いている。
取水口がダメージをうけたとのことで、犬達にさえ満足に水を
与えられない。
電気がつき、テレビを見れば見るほど空しくなる。
ちょっとチャンネルを回せば地震の話題だが、日に日に普通の番組も
目に付くようになる。
なぜか腹ただしい。
とくに、この事態の最中に『料理番組』など許されるものか!!!!
料理を作りたくとも、なにもない。
たべられるだけで、生きてゆくだけで精一杯なのに。
それでも宮城・福島の方たちを思うと自分はなんて幸せなんだろう・・・・・
3日まえ、娘が、東京のスーパーに物がないと電話してきた。
『これだけ電気を使いエレベーターに乗り暖かい中にいるのに、
買いだめして備えているらしい。
私は親と連絡も取れずあたふたしているのに、どれだけ深刻なのか
こちらではなにも判っていない』
彼女の憤りもピークに達していた。
被災2日目、携帯中継地点の電気もダウンし、全ての人と連絡が
途絶えてしまった。
公衆電話は2時間待ち、ガソリンスタンドは3時間待ち、
水は1人2リットルで4時間待ち。
そんな状態では連絡どころか、どの様に生き延びるか知恵を絞るしかない。
いつになったら普通の生活に戻れるのだろう。
はやく、みんなで笑える日が来ることを祈ろう。
あの悪夢のような大震災の日から4日経ちました。
3・11ちょうど午後の診療が始まってまもなくのことでした。
いつものようにだんだん弱くなって行くだろう・・楽観的に考えていた地震ですが
しだいに立っていられないほどの強さに。
ドアが膨れ上がり、壁掛け時計は50センチほど持ち上がり、天井の蛍光灯は
音を立てて暴れます。
診療室内は円を描くように揺れ、PCも機材も宙を舞っています。
ひと段落するとまた大きな地震。そして又地震。
患者さんを誘導して外に逃げること3回。
あとでTVをみると、3つの地震が来たことがわかりました。
とくに東西のゆれがひどかったように思います。
しかし、みんな無事です。
今日から午前中だけ診療を始めました。
ようやく昨日から電気が通りました。
まだ水が出ません。
それでも宮城・福島の方々に比べれば、寒さをしのげるだけで
幸せです。
みなさんたくましく生きてゆきましょう。