『長老』という語を調べてみると、『長く生きていて、その発言や意見を聞くに値する人物。単に「昔のことをよく知っているだけ」という人物の場合もある。』
と書いてあります。
最近の医療制度では、『後期高齢者』なんて言葉を当たり前のように公式文書にしてしまいますね。元衆議院議員のかたが、テレビで『後期高齢者医療なんて、あとがない老人医療というタイトルを文書化して本人に送りつけているわけでしょ。まったく失礼だよね。馬鹿にしている!』そうおっしゃっていましたが、まったく失礼な話です。
長い道のりを歩いてきた諸先輩方は、年老いたひと・・『老人』というよりも、『長老』とお呼びするに値する人々ばかりです。
私自身、祖父に教えられた言葉がたくさんありました。
『重陽も過ぎると今年もわずかだなあ』パイプを燻らせ、こうつぶやいた祖父の姿がいまでも思い出されます。
そして、重陽が旧暦の9月9日で五節句の最後の節句であることも、五節句があることも学んだのでした。
祖父の心情を解釈すれば、長老曰く、
重陽がすぎれば、今年も残り二カ月余りになり秋も深まっていくのだなあ~・・・
こんなところでしょうか。
先日、私のブログにコメントをよせてくださった患者さんがいらっしゃいます。
ハマナスさん有難うございます。
本当に長いお付き合いになりますね。
奥様の介護をすすんでなされ、車いすを押して来院されてたころを思い出しました。献身的で、いつも明るく溌剌となされている姿からは、介護は大変つらいもの、という世間一般のイメージは全く感じられませんでした。
陰ながら、私も介護に直面したらハマナスさんの姿勢を見習おう!!そのように拝見しておりました。
いまでは、PCを趣味とし、PCの達人ですね。
動画もすばらしかったです。(トイレドコデスカのコメント欄から開けます)
ハマナスさんの人生の楽しみ方も私にとっては、『長老の行』です。また楽しみにしております。
そういえば、食べ物にも『長老』を見つけました。
『ちょろぎ』『おしょろ』とかいうのですが、シソ科の植物です。
おもに私は、その根にできる食用とされる球根のように見える塊茎部分を色付けして、お祝い事に使用しています。
その『ちょろぎ』縁起をかついで「長老木」「長老喜」とも書くそうです。
長老曰く・・孝悌なるものはそれ仁の本たるか。