幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

江戸・薩摩街道歩き旅(4)

2022年01月25日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
1月24日(月)
 2/8℃(福岡県みやま市瀬高町)
(4日目) 
④瀬高宿ー⑤山川宿ー⑥南関宿
瀬高宿ー来迎寺ー祇園宮ー菊美人酒造ー矢部川ー伊能忠敬測量基点の地碑ー萬福寺ー石塔群ー山川町指定文化財平家の塔ー野町五輪塔群ー日当川地蔵堂ー要川公園(源平最後の激戦地)ー松風の関ー筑後國と肥後國の湯谷川領境界石ー熊本県に入るー城原官軍墓地入り口ー正勝寺(西南の役・官軍の本営地)-南関宿・御茶屋跡

今朝は雨も上がり気持ちの良い朝 だがとても風が冷たい🥶

昨日雨の中を歩き終えた瀬高宿から出発する 改めて古代卑弥呼の邪馬台国の所在地としての碑文をみる

この地に瀬高宿の表示物を見つけることができなかった


ニ尊寺は1308年創建の禅寺と












踏まれても踏まれてもしっかりと上を見て育つ麦の新芽に見とれる 何故か涙目に


この植物は何? れんげ草のように肥料用の植物なのかな フンワリ寝転びたい🤣

朝食がなくお腹が減りちょうど良いなと山を上るが閉鎖😭 もう1件もだめ 山の中での営業は難しそうだ 余計にお腹空いた





冷たい風の中でカモたちが元気に泳ぐ

峠道にみかんの自販機があった 何はともあれ300円を入れて取り出す 何という量だ 朝食に7個食べたがもういらない😂
だがもったいないのでリュックに入れるがこれがなんと重いこと 昼もみかんだ




山川宿に入る ここも宿場の雰囲気もない
バス停の時刻表を見ると昼は3時間に1本




何とここは山川みかんの産地だったのだ





みやま市山川支所前の家の蔦が電線にまで伸びて気になるな😆



きれいな名前の小学校だ


境界石 右柳河、左隈府 とある


街道沿いの西楽寺をみる






ある農家の納屋に懐かしい木製の脱穀機?があったが違うかなぁ 安曇野の庭で秋の収穫時にこんなのを使っていたのだが?

農道を散歩するお婆さん お元気で!

ここは悲劇の場所、古戦場要川(かなめがわ) 源平最後の決戦場で野山川一帯が血で染まり川も血波川と呼ばれたほどとか 今の平和な風景からは想像できない





このスタイルの屋根が随所で見られたが気になる?










はなたれ小僧さま とは





いよいよ熊本県に入る


このガラス窓を見て、70年前入学した南安曇郡南穂高村村立小学校を想いだした







豊前街道・薩摩街道を上るが途中で竹で通行止めにしてある 通れなくはないが念のため引き返す




南関宿に入る





この地は宿場表示がある ここは参勤交代の時、大名が休憩した場所(御茶屋)





南関城跡と薩摩軍と戦い戦死した西南戦争の官軍犠牲兵士の墓を山の上にみる





途中 樹齢数百年の巨木から今日も両手を当て深呼吸をして精気を体いっぱいに頂く


山の上にある西南戦争官軍の墓地







山を下り南関宿を確認

正勝寺は官軍の本営と野戦病院が置かれた



終日冷たい風に体感温度は非常に低く底冷えする🥶 足が痛いと珍しく悲鳴😭

今日は南関宿のここまでとし早めに予約した宿へ向かう
幸い宿に温泉があり有り難くしっかりと体を温める 1日みかん三昧だったので夕食はしっかりとすき焼き鍋を食べた👌😂
だがみかんはまだ4/3残ってる トホホ🤣


 
(4日目) 
 22.42㎞ (94.71㎞)
 32.416歩   (134.021歩)



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1 コメント

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Unknown (tomo69163)
2022-01-25 13:16:44
『樹齢数百年の巨木から今日も両手を当て深呼吸をして精気を体いっぱいに頂く』
その巨木に離れた地から私も礼をお伝えしたいと思います。
源平の戦いから数多くの戦いがあり、黙って見守り続ける姿をこうして拝見。
勿体ないほどに有難い紀行です。今日も如何お進みでしょうか。
明日もまた楽しみにしております。

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