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地球は人間だけのものではない
これは「エコロジスト西村真琴の生涯」の本の表題です
表紙の帯には日本初のロボット「学天則」をつくった男
植物学を専門とし、45歳で北大教授から大阪毎日新聞社に転身 自然を愛し、自然と人間の共生を解き続けたとあります
先日知人より1冊の本を頂戴し、この正月に7冊ほど読んだ中で最も感動した本がこれでした
西村真琴の生涯を明らかにする評伝で、失礼ながら今までお名前さえ存じ上げなかった
だが読み進めるうちに最初はご専門の植物学を極めるために満州医科大学の教授の傍ら、広大な中国大陸を歩き植物採集活動をして満州植物2千余の標本を残す その後コロンビア大学等を経て若くして北海道帝国大学の教授となる マリモの画期的な研究から北海道の大自然の中で幅広い多彩な植物学の研究活動をされている
私は植物に興味もあるのでその話が面白く読んでいたが、その後紙面は西村真琴の詩人、画家、木版画、エッセイスト、作家、短歌、漢詩など多彩な活動が紹介されていく
そして45歳で北海道帝国大学教授を辞任し大阪毎日新聞社に入社するがこれにはなぜと驚いた そしてこれからの活動がものすごく展開し心を奪われる
新聞社では専門の自然科学の分野で活動し論説委員などをされていたが、1928年に開催された大礼記念博覧会で「学天則」と言うロボットを出品して世界の注目を浴びたが、これを考案したのも西村真琴だ
これは後に1988年の東宝映画「帝都物語」で登場し、真琴役は俳優の西村晃だったと そしてあのTV・映画で人気の水戸黄門役の西村晃が西村真琴の次男だと知りまた驚いた
続いて活動の場は中国へ移り、多くの自然科学の著作物を執筆しつつ、日中戦争など混乱の時代に入る
新聞社の医療奉仕団団長として中国で命がけの奉仕活動をしていたが、ある日荒廃した三義里の街で食べ物がなく怯えさまよう鳩を見かけた 真琴は持っていた少しの乾パンと水を与えたが、このままではすぐ死ぬと拾い上げその鳩を後に日本へ連れ帰り飼育したという
大阪・豊中の真琴の自宅で飼っていたその鳩が亡くなり三義塚を建て葬ったが、このことを伝え聞いた中国の魯迅から「三義塔に題す」と手紙が送られてきたそうで、今豊中の「三義塚」にその詩碑がある 魯迅もすごい人だ
また「日中戦争の残忍な殺戮の中で、一羽の飢えた鳩を助け日本で死に「三義塚」を残した西村真琴博士の大慈悲心に気高い心の故にいつか中日人民は深い恨みも亡び去るだろう」と1978年4月号の「人民中国」が詳しく報道している
これには日本人としてとても誇りに思い これぞ日中人民の友好のシンボルだと思わず涙がこぼれた
真琴と同郷の島崎藤村がこの鳩のことを書き、中学校の教科書に採用され広く知るところとなったとある
他に子供たち向けの自然科学の実験や多くの著作活動には興味を持った それは自らの実証実験により得られた結果を子供向けに容易に理解できるよう工夫して面白く解説しているから、大人でも引き込まれる魅力があった
また幼児教育の活動は、私が箕面の山を歩いている時に野山を自由に駆け回っている幼稚園児を見て、生き生きと自然と戯れる自然幼稚園の存在を知ったからで大変興味を持って読んだ
戦前 すでに幼児教育の大切さとこれほど真剣に向き合い活動していた人がいた事を初めて知った
最後に中国大陸を荒らした日本の軍国主義、それを非難する立場にはないが中国の戦災孤児数百人を引き取り、大阪で養育さらに教育を施した 後に復興した中国へ届け 就職までサポートする事業の中心で活動された事は、戦時下から始まり大変なご苦労もあったことと頭が下がり 日本人として本当に誇りに思います
戦後は豊中の市会議員や議長を務められながら、教育のあるべき姿を求め、中央公民館の館長などされつつ自然学の研究や山野草の愛好家グループを作られたりし、1956年73歳の生涯を閉じられた
もう少し簡潔明瞭に紹介するつもりが、あまりにも多彩な方ゆえに長文になってしまった
本来書きたかった私の感激や感動のこと また不思議なつながりが点々とあるのだが、これらは後日にまた記載することとします
それにしても西村真琴博士についてもっと早く知りたかったが、日本が誇る日本人として 私はその人間性とともにとても尊敬する人となりましたので ここにご紹介させていただきます
地球は人間だけのものではない
畑中圭一著 発行 ゆいぼおと
発売 KTC中央出版
初版2008年5月 ¥1500
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