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八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

江戸・薩摩街道歩き旅(8)

2022年01月29日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
1月28日(金) 
 3/12 ℃ (熊本市南区川尻)
(8日目) 
⑨川尻宿ー⑩宇土宿ー小川
川尻宿ー高札場跡ー無田川ー川尻本陣跡(小路町の待賓館跡)ー川尻薩軍本営跡ー瑞鷹酒造ー加勢川ー放牛地蔵ー勅願所大慈禅寺道の道標ー大神宮ー緑川橋ー西安寺ー宇土ー船場川の眼鏡橋ー正栄寺ー温知館跡(宇土細川藩陣屋跡)ー高札場跡ー宗方小太郎屋敷跡ー宇城市へ入るー夜泣き地蔵ー山伏塚ー線刻の石仏ー景行天皇遺跡ー豊福阿蘇神社ー三軒屋番所・関所跡ー小川宿ー夫婦えびす様祠



今朝 気力は体力をカバーする とふっと思った と言うのも歩き旅に出ると元来のぐうたらの怠け者がしゃきっとして連日元気に歩いているからだ🤣 我ながらおかしいな?😂

朝食もしっかりとった
朝の食事は自分の健康のバロメーターなので今日も元気に歩けそうだ

Ponta腹をさすりながら、別の靴を履いて出発だ この靴は京都羅城門から山陽・西国街道を九州・大里宿、さらに昨年長崎街道と延べ1260キロ以上を既に歩いてきた強靴だ これもゴアの防水型ウォーキングシューズだが、昨日までの靴と同じでインソールを別注で自分の足に合わせて作ったので高くつくが、足と靴のトラブルは今までになく重宝している相棒だ

昨日歩き終えた川尻駅前へ戻りスタート 川尻(かわしり) は薩摩街道に入り最初の宿場だが緑川・加瀬川を活用した水運業に関わるところから始まる
ここは御船手渡し場跡とあり江戸時代から藩船の乗組員らが住み、参勤交代の際江戸へ向かう藩主の御座船・波奈之丸や御召替船・泰宝丸が停泊し細川藩の海軍拠点地として栄えたと 川辺には年貢の米藏がある










川には沢山のカモの群れ 




今はその上を鹿児島本線と九州新幹線が音を立てて走り抜ける ご先祖はさぞ驚きだ




もう一つ川尻薩軍本営跡がある
西郷隆盛ら明治新政府に反対する不平士族の最大かつ最後の内戦となった西南戦争
明治10年2月15日大雪の中鹿児島を出発した薩摩軍はここ川尻で宿営し「新政大総督征伐大元帥 西郷郷吉之助」の表札を掲げ熊本城攻撃のための本陣を置いたのだ




その近くに瑞鷹酒蔵があった



川尻宿周辺を見て加瀬川を渡り次の宇土宿へ向かう






























宇土(うと)宿に入り船場川の眼鏡橋を見る









宇土宿ではいくつか史跡を尋ねたが番地はあっても表示物がなく不明だった

宇土駅前は雑多とし史跡は探せなかった




今日初めての薩摩街道表示物を確認












これもお寺の掲示物 そうだよね

宇土城跡へ向かう









ここより次の小川宿向かう









ここで道を間違え街道を外れたようでかなり迷った
途中喉が渇き自販機1台もなく、田道の無人店でミニトマト1袋100円を買う 5日前のみかんでは難儀したのでちょうどいい🤣





















小川の町に入ったようだ
熊本県立小川工業高等学校があり下校途中の生徒の後ろを歩いてやっと小川駅に到着
今日はここまでとする








小川駅前には何もなく予約した新八代へ向かう
新八代は九州新幹線も停車し大きな街かなと思って予約したが、駅の目の前に田んぼがあり飲食店がなくホテルも1つだけでびっくり 聞けば少し歩けばスーパーかコンビニがあるとか 予想外に辺鄙なところでホテルの選択を失敗した😭
まあこんなこともあるさ ケセラセラ😂🤣



(8日目)
  29.38km(202.76㎞)
  40.363歩(283.798歩)


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