旅行費用捻出のため、学生時代、工事現場でアルバイトしてました。
ビルの解体やら建設やらのほか、横須賀だけに米軍基地内での請負作業もありました。
50年も前のことですから、そもそも日雇い賃金がいくらか覚えていませんが、通常の職人なら1万円のところ、学生アルバイトなので半額だったような気がします。
とにかくゼネコンの孫請けのような感じでしたので、その日に指定場所へ行って点呼を受け、作業が割り振られると、親方に作業手順を教えてもらいます。
道具、材料を手渡され、その工程がひととおりできるのを確認してもらえば、あとは二人一組になって、手順通りに作業を進めていきます。
例えば、マンションなどビルの場合、躯体と壁面工事までは、とび職といわれる命綱が必要な専門職人がやっていて、コンクリートの打設や締め固めあたりからアルバイトの出番となります。
おかげで、ネコ(一輪車)の操作はお手のもの。
部屋の内装や設備工事なんかもやりましたが、高層マンションの場合、工期短縮のため下から完成させていきますが、低中層マンションの場合、上階からはじめるか下階からはじめるかの判断はお任せだったので、作業手順に慣れるまで1フロア分はいろいろなことがあって、もし自分が買う時は真ん中あたりがいいなんて思ったものです。
いろいろなゼネコンの孫請けアルバイトをして、つくづく思ったのは、ゼネコンの監督によってかなりの差があるということ。
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9月19日に発生した「東京駅前八重洲一丁目東B地区市街地再開発事業」の鉄骨落下事故はまだ原因が究明されていませんが、何かの合図ミス、つまり手順の確認・連携がとられていなかったのではとニュースを見たとき、とっさに思いました。
今のように軽量のレシーバーやスマホがない当時、監督と親方の間ではトランシーバーが使われ、それ以外はホイッスルの回数やその長短で注意が促されました。
なので、多人数で一斉に作業する場合、ホイッスルで注意喚起して、全員が注目、手で合図して全員の応答確認をし、次の作業に入る感じです。
これがトンマな監督がいると、ひとつの作業が終わったものの、監督の姿が見えず次に入る合図が出ないので、ただじっと待つことになります。
また、現場任せの監督だと、親方が必死に差配し苦労することになります。
JVのように他の組との合同工事となると親方同士の馬が合う合わないかが顕在化して、うっかりすると一方はOK、また一方はNGなのにもかかわらず、OK方が勝手に次の作業を始めてしまうという、一触即発的な場面もまま直面したりしましたっけ。
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この前の日本橋歩きの時、たまたまヤン・ヨーステン記念碑に立ち寄りました。
ヤン・ヨーステンは、関ヶ原の戦いの半年前に、ウィリアム・アダムス(三浦按針)とともにオランダ船リーフデ号で、大分に漂着した航海士。
徳川家康に屋敷を与えられ、その名から「八重洲」の地名の由来となりました。
その奥、右手に事故のあった工事現場が写っていました。
東京では「国家戦略特区」の名分でいくつかの大規模再開発事業(ここをクリック!)が行われています。
東京駅周辺でも、東京トーチとか、野村ビルを含めたコレド日本橋(下写真)とか。
それに、新戸田ビル建設(下写真)とかいった、個別の建て替え事業も現在進行形で、これでは職人不足が起こって、一般の戸建て住宅など資材や手が足らずに工事遅延したり、契約料が見直されたりで、工事がストップしているものがあるのもうなずけます。
さすがに三越デパート(見出し写真)もランドマーク的な存在なので、そうそう建替えることはないと思いつつ、ホッとします。
ところで案内する関係で調べてみたら「受験戦争」とかいわれていた時代に、だれにも見られることなく、このライオン像にまたがると、合格するっていう都市伝説があったそうです。
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