今、浅草寺本堂と二天門は修理中で、大きな足場とシートに覆われている。「浅草寺縁起」には、628年、隅田川で漁をしていた網にかかったのが本尊・聖観音菩薩像で、645年観音堂に納められて以来秘仏とされている。だから、誰も本物を見たことがない。前立の観音様は、平安初期に慈覚大師円仁が彫ったものだと伝えられている。それでさえ、年に1回・12月の御宮殿開扉法楽のときでなければ、その姿を拝むことはできない。インドから朝鮮・百済を経て、552年に仏教伝来とともに日本へ伝えられたという善光寺・阿弥陀如来像も秘仏で、その縁起も似ているのは、本家と元祖の違いといったら語弊があるかもしれない。しかし、日本全国の神社仏閣を調べ上げれば、似たような故事来歴を持っているところが少なからずあるのは、信仰の対象が民衆であり、教化する手法も自ずとパターン化せざるをえない事情もあるのだろう。浄土真宗の嫁威肉附面(よめおどしにくづきめん)にまつわる話も真宗門徒の獲得に必要な教化の便法であったのか、真宗の寺々に寺宝のひとつとして数多存在する。ただ、これをもって信仰を否定するものではなく、ただ信ずることで心が救われる民衆がいたということに気づき、それと同時に現代人が罹る心の病をどう癒すことができるのかを知るきっかけになればよいと思う。
なぜ、ことにつけて神社仏閣に行き、手口を清め、賽銭を投げ、願をかけるのか?浅草寺の場合、仲見世があり、花屋敷があり、浅草六区がある。やはり、ワンダーランドは人をひきつけるのだ。
なぜ、ことにつけて神社仏閣に行き、手口を清め、賽銭を投げ、願をかけるのか?浅草寺の場合、仲見世があり、花屋敷があり、浅草六区がある。やはり、ワンダーランドは人をひきつけるのだ。
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