散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

お守り札

2009年06月13日 | ★メタ坊徒然草
熊野神社と読める。かなりの大きさのお守り札をリュックに下げたい気持ちが十分わかる。ホームに立てば、道連れで線路に落とされる。信号待ちをしていたら、信号無視の暴走車に突っ込まれる。ホテルでくつろいでいても、一酸化炭素が充満してくる。家にいたって、いつ何時暴漢に襲われるかわからない。なぜこんなに不安が隣り合わせに感じるような世の中になってしまったんだろう。
せめて家の中ではくつろいで過ごしているけれど、一歩外へ出れば、まわりの状況に無関心ではいられない。こういうタチだから、年中デジカメを構えて、キョロキョロと目に付くものを追いかけ、関心を持つようにしている。今は以前に増して不審者、不審物に目がいくようになったので、実に肩が凝る。私もお守り札は持っている。でも、人目につくようにしたり、どこにあるか、なんの札かを明かしてはならないとされている。守り札の効用によって使い道が異なる以上、気を付けておきたいルールを知らないのは危険だ。オカルトオタクではないけれど、宗教に関心がないのならお守りに頼るべきではない。それほど都合よく神仏は機能しない。どちらかといえば、家族の写真の方がよっぽど効き目がある。
新聞に大麻取締法の「大麻」を「マリファナ」にしてくれと伊勢神宮関係者が要望しており、それに対して厚生労働省は法律で決めた名称は変えられないと答えている。伊勢神宮が信者に頒布するお札が「大麻」と呼ばれるものだからだ。「今年も大麻を頒布します」と知らせることに以前から語弊が生じているという。神道は、穢(けがれ)を祓うこと、神に接するためには禊(みそぎ)=清目(きよめ)により清浄でなければならないこと、などが特徴だと教わった。よく神主さんがパサパサと振るハタキの親玉みたいなものを「大麻」「祓え串」という。それをお札にして頒布し、家の穢をその札に依らしめて、家内を清浄に保とうとする働きをするらしい。そのことの意味がわからくなってきたということを示すニュースな訳だ。
人事が神仏の領域を侵す時代だからこそ、人ほど恐ろしい生き物はいない。また神仏を理解しないことで人の心が弱くなっていることにもみな気付いていない。

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