旭区鶴ケ峰には、畠山重忠公の史跡が点在しています。
畠山重忠は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で、
源頼朝が鎌倉幕府を開くにあたり、
功臣として有力御家人として重きをなした人物。
源頼朝の没後、
執権職についた北條氏の謀略に遭い、
ここ鶴ケ峰で討たれました。
六ツ塚は、重忠とともに討たれた郎党を六か所に葬った塚といわれています。
平将門がそうであったように、
畠山重忠も、時の権力者に敵対した者として討たれたので、
この六ツ塚は「胴塚」で、
首は、旭区役所裏手の「首塚」に葬られたのでしょうか?
メタ坊も若いころ一度、
六ツ塚のある薬王寺を訪れましたが、
そのころの印象に比べて明るい雰囲気と、
六ツ塚の本堂から見て、
塚が目立たなくなっていることが、
時代の流れを感じてしまいます。
(本堂から見て右手)
(本堂から見て左手)
右手奥の塚を正面から見ると、こんな感じ。
「畠山霊堂創建記念碑」には、
「智仁勇の名将畠山重忠公が北條氏の奸計により自刃した精神を顕彰するため、
陸軍大佐栗原勇発願により霊堂を創建した」とあります。
一方、塚の前立のようにある「畠山地蔵」の建立文には、
「一切衆生は本来真浄で、六趣四生の差別はないが、
妄見造業により報いを受け・・・精霊の冥福を資助して、
生死若海から浄寂光土に遊往させよう・・・」とあります。
霊堂創建碑は昭和39年、畠山地蔵の建立は昭和14年です。
時代的背景が見えてくるような気がします。
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