昭和44年創建といいながら、どっしりした建築が歴史を感じさせます。
にもかかわらず、境内はまだ発展途上といった感じで、
梵鐘のある鐘楼堂と本堂に庫裏があるのみ。
お寺にありがちな墓苑が見当たりません。
周辺で発見した墓地というと、いわゆる「屋敷墓」といわれる一族の墓地が、
林の中だったり、住宅地の一角だったりに存在しているだけです。
文献にあたってみると、ある郷土史家の方が集めた資料の中に、
大和市上草柳の檀徒として信仰心が厚く、
二ツ橋町に寺院がないことから、一寺建立の菩提心を抱き、
5年の歳月をかけて、一族の菩提寺として完成させたとありました。
本堂の扁額や鐘楼堂の棟札に発願した方の名が刻まれています。
1寺を完成させるにしても、それを維持していくことも並大抵のことではありません。
「最勝寺」の名は、発願した方のお母さんの法名「最勝院」に由来し、
その三十三回忌供養を祈念して銘としたというのですから、
親孝行もここまですると、すごいな!と思います。
ちなみに、よくいう「戒名」を浄土真宗では「法名」というのだそうです。
死んであの世に行く(仏の弟子になる)ために、俗名を改めることを戒名と思っていたのですが、
浄土真宗では在家仏教で、阿弥陀如来に誓願したときから仏弟子になると考えられているため、
存命中から法名が与えられているという訳です。
墓地の有無を確認に行った際、
寛政年間の「釈尼妙證 不退」という墓石がありました。
ヤブ蚊にどっと攻められて、短時間しか見ることができませんでしたが、
確か「不退」は、俳人・小林一茶だった記憶が・・・と思い、
あとで「どういうことなのかな?」とググってみると、
「釈」は仏弟子なので「釈尊」から1字をいただき、
「尼」は女性で、「妙證 不退」は経典からとられているようです。
たぶんお墓のもう一方には俗名が書かれていたのかもしれません。
真宗大谷派(東本願寺)大阪教区「銀杏通信」>法名と戒名の違い(ここをクリック)
ただ、いろいろ調べてみると、
女性の場合、俗名ではなく旦那(当主)の名が刻まれていることもあるようで、
やはり、過去帳にあたらなければわかりません。
今思うと、教えてもらえる時にちゃんと教わっておけばよかったなと後悔するばかりです。
今日は旧の盆入り、明日は中日で、16日が盆明け。
夕刻、ウォーキングをしていても、迎え火をたく家はありません。
子どもの頃、おばあちゃんが盆行事をしているのを見て育ったものの、
今となっては、どうやってやるのか分かりません。
毎年毎年、戦死した息子の名を呼んで「迎えに来たから早く家に帰ろう」といい、
キュウリの馬とナスの牛を持たされるのが私の役目でした。
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