散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

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日本疾病史2・流行性感冒

2020年04月09日 | ★集メタ坊屋敷ごみ

日本疾病史に羅列されている「疾病」は、急性伝染病に関するものです。
「疫病」からはじめて、個別に、
痘瘡、水痘、麻疹、風疹、虎列刺(コレラ)、流行性感冒、
腸窒扶斯(チフス)、赤痢をあげています。
そして、名義、疫史、原因、証候、療法、載籍の順に、
歴史的に先人たちがどんな記録をし、
どう対応したのかを明らかにしています。

流行性感冒について、名義としてこのように書かれています。
流行性感冒は、明治23年の春、我が邦にインフルエンツァの大流行ありしとき、
新に用いられたる名称にして、該病の状態に基づきて名づけたるなり。
この病、昔時より我が邦に存せしか否かは詳かならず。
平安時代の記録に、咳逆、咳病、咳逆疫等の流行を記載せるものあり。
下りて鎌倉時代及び室町時代にも、咳病の流行せることは数々挙げられたり。
その咳逆又は咳病というものは、咳嗽(シワブキ)を発するの病の義として、
「源氏物語」夕顔の巻に、『この暁よりシハブキヤミにや侍らん』といい、
また「増鏡」に、『元徳元年、ことしはいかなるにかシハブキヤミはやりて
人多くうせ給ふ中に、云云』というもの、すなわちこれなり。(後略)

次に記述する疫史には、咳病流行が平安朝に散見される記録を年表にしています。
咳病が大流行病的に発現し、貞観14(872)年の疫は渤海から伝わり、
天福元(1233)年の疫は夷人の入京が原因であるとして、
流行性感冒が特に外国から伝わってくることを記しているので、
咳病の一部に必ず流行性感冒があるとはいえないが、
全く根拠がないとはすべきではない、とあります。
江戸時代になると、風邪、風疫、風疾、傷風、疫邪として、
流行性感冒の病症と類似の記録があり、
西洋の流行性感冒の流行記録と照らし合わせると、
他の伝染病に比べて、伝播も早く、流行区域も広汎に及び、
大流行的に各国一斉に発起するとしています。
特に、嘉永年間、外国との交通隆盛になってからは、
西洋諸国の流行性感冒の流行に伴い、
日本にも風邪が流行すると断言しています。
長崎・出島のみ海外に門戸を開いていた江戸時代、
医家は、流行性感冒は必ず西から東に伝播すると心得ていました。
軽い場合は3~5日、重い場合は10余日で、
ほとんど治癒すると考えられたようです。
ただし、明治45年当時の治療法としては、
風邪の療法を用い、発汗して病毒を排除することを主とし、
咳嗽(シワブキ)、胃腸障碍等に対しては、
対症療法を行うしかありませんでした。

まさに、特効薬が確立されていない新コロナウィルスの場合、
明治45年の療法で対応するしかないということがわかります。


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