どんど焼き(左義長)をググると、全国各地に見られると解説がある。
周りの人に聞いてみると、どうも、西日本出身の人からはよい返事がない。
奈良の若草山のように、草地を焼く山焼きなどが冬の風物詩として印象が深いようだ。
どんど焼きに欠かせないのが、お飾りでも門松だ。
竹と松を持ち寄ってこそ、盛大などんど焼きとなるのだが、今は様変わりしてしまい、スーパーマーケットで買ってきた簡単なものになってしまった。
そして、正月飾りは、燃えるごみの日に出すのが当たり前という習慣が定着しつつある。
泉区上飯田の三柱神社で、どんど焼きがあった。
夏祭りでは、多くの人でごった返していたから、どんな具合だろう?
人も多いし、三つ又の枝に刺した3色だんごもたくさん用意されていた。
14日が平日だったこともあるが、燃やすものが人の割に少ない。これも都市化の証しに違いない。
この辺りでは養蚕が盛んだったから、3色団子は繭玉を意味しているという。
もちろん、火にあぶって食べれば1年無病息災に暮らすことができる。
昔は、団子の木に刺したものだが、今は木がそろわないので、いろいろな木を代用していると聞いた。
団子の木とは、どんな木なんだろう?
なぜ14日にこだわるのか、正月飾りを飾うことにより、歳神様(先祖)を家に迎え入れ、家族全員が無事新年を迎えられたことを寿ぎ、新しく平穏な1歳(昔はみな元旦を基準に年齢を加算した数え年)を重ねたことを祝い、そして松の内が終わるとお飾りを燃やして、歳神様を天に上げる。
地域のよって、意味が微妙に異なる。
大気汚染防止法のためにやめてしまったという隣り町の飯田神社では、こういう話だった。
年末に一つ目小僧が各家を周り、罪障を調べて閻魔帳に書き込み、いったん正月休みに入るので、閻魔帳を道祖神に隠す。
それを地獄が営業を開始する15日に、一つ目小僧が取り出して持っていき、その年に病や死を与える者を閻魔様に報告する。
報告を阻止するには、閻魔帳を道祖神(庚申塔)ごと焼いてしまおうという訳。
だから、飯田神社の道祖神は黒い焦げ跡がある。
ともあれ、近隣の人が集まって、火を囲んで、ひとときを過ごす。
キャンプのときだって、キャンプファイヤーがあるから、みな親近感を持つ。
塾通いで忙しい子どもたちも、恋心を抱ける機会がもっとあっていいと思う。
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