連日のように学校の部活動についての記事がネットに上がっている。
先生にとっても、子どもたちにとっても大きな負担になっているので、それを改善するべきだろうという論調がほとんどだ。
たしかに由々しき問題なのかもしれない。
私が学生の頃は、中学では9割以上がクラブ活動をしていた。
理由があってやめた生徒はいたが、クラブが盛んな学校ということで地域でも有名だった。
なぜクラブをしなければならないのか、といったことを言う同級生はたくさんいたが、それでも一様にクラブ活動に参加していた。
私は経験的にしか語ることができないが、この「ブラック部活」なるものはなくなることがないと考えている。
なくなるはずもない。
教師がそれを担うのか、外部コーチがそれを担うのかは知らないが、なくならないだろう。
なぜなら社会がそれを要求しているからだ。
社会の大半が、体育会系でできている。
大人が部活をやらせたいのは、それがわかっているからだ。
ひどいのは女子(あえて「女子」としておこう。部活だし)に対してだ。
女子は体育会系であることを要求される。
それは男子より端的だ。
正社員になりたければ、体育会系を目指すことが求められる。
声がハキハキとしている。
指導者や上司の空気を読む。
言われる前に動く。
目上のものがミスを犯しても、それを指摘してはいけない。
こういうことをあげればきりがないだろう。
それは多くの場合、部活動で鍛えられたものと言っていい。
オリンピックの報道で、メダルを取った選手たちの、美談がこぞって取り上げられるのも、こうした「物語」が日本中で求められていることを物語っているのではないか。
それは皆がわかっている、暗黙の了解ではないか。
だからなくならない。
変わらなくてはならないのは部活じゃない。
「部活」の文化を愛する大人の世界だ。
先生にとっても、子どもたちにとっても大きな負担になっているので、それを改善するべきだろうという論調がほとんどだ。
たしかに由々しき問題なのかもしれない。
私が学生の頃は、中学では9割以上がクラブ活動をしていた。
理由があってやめた生徒はいたが、クラブが盛んな学校ということで地域でも有名だった。
なぜクラブをしなければならないのか、といったことを言う同級生はたくさんいたが、それでも一様にクラブ活動に参加していた。
私は経験的にしか語ることができないが、この「ブラック部活」なるものはなくなることがないと考えている。
なくなるはずもない。
教師がそれを担うのか、外部コーチがそれを担うのかは知らないが、なくならないだろう。
なぜなら社会がそれを要求しているからだ。
社会の大半が、体育会系でできている。
大人が部活をやらせたいのは、それがわかっているからだ。
ひどいのは女子(あえて「女子」としておこう。部活だし)に対してだ。
女子は体育会系であることを要求される。
それは男子より端的だ。
正社員になりたければ、体育会系を目指すことが求められる。
声がハキハキとしている。
指導者や上司の空気を読む。
言われる前に動く。
目上のものがミスを犯しても、それを指摘してはいけない。
こういうことをあげればきりがないだろう。
それは多くの場合、部活動で鍛えられたものと言っていい。
オリンピックの報道で、メダルを取った選手たちの、美談がこぞって取り上げられるのも、こうした「物語」が日本中で求められていることを物語っているのではないか。
それは皆がわかっている、暗黙の了解ではないか。
だからなくならない。
変わらなくてはならないのは部活じゃない。
「部活」の文化を愛する大人の世界だ。
私も結論は同じで、ブラック部活は無くならない。大人の世界が変わらない限り。
つまり、大人の価値観は子供に伝染する
いや、伝染は少し違うそのような世界の構造になっていると言えようか‥
結論は似ているが、過程は少し変えてみたい。
大人社会がブラック部活の要素を暗黙に求めているとあるが、私はより、人間の成長したい(居心地の悪さからの脱却)の方が強いのではないかと思います。
ブラック部活といえば、
・厳しさ、我慢の先に勝利あり。
・練習、練習、練習
といったイメージ(あまりブラックぽくないか笑)がある。
私たちは学校に入ると(社会に関わると)
他人との比較が嫌でも生まれる。
私たちは少しでも他人よりもすごい存在でいたいと感じているのである。
具体として、車の運転が上手いとおもいますか?といったアンケートを取ると8割の人は他人よりも少しだけ運転が上手いと感じているという。
話を戻すと、
私たちはブラック部活の要素の抽象部分に光を見るのではないかと考える。
つまり
それは中学生が初めて目にする
他人より勝れる極意とでも言えようか。
少し話はそれるが、ブラックの要素の前提を見る必要はある。それはブラックでは無く真実となるので。
継続は力なりは真実である。
以上、結論は同じだが、過程は異なるのでは?と考えます。
また
いろいろな考察楽しみにしてます。
慌ただしくなってきました。
でも更新します。
がんばります。
>フランスさん
書き込みありがとうございます。
言葉足らずだったかもしれません。
私はあまり「部活」について、それほど評価していません。
言い方が悪くなるので、記事では避けましたが、部活は一つの「道徳」のようなものになりつつあります。
それは社会全体が、ということです。
部活でルールを学ぶということが恒常的になってきたことで、さまざまな弊害があるように思っています。
それが日本の良さだといえば、そうともいえるわけですが。
働き方改革とか、女性の社会進出だとか、そういうことの前に、いや、そういうことの前提に、象徴的に「部活」というのがあるかもしれない、ということです。
私も部活で育って、だから今があることは否定しません。
けれども、ちょっと違うかもしれない、という疑問をもつべき時期にきたのではないか、と思っています。
だから「ブラック部活」と呼ばれているのではないか、と。
学校のこと、として切り離して考えるよりも、私の会社にも「部活」が溢れているのかもしれないと思っているのです。