★ネタバレなし★
近代文学についての、「語り」の問題について書かれた新書である。
近代文学については、様々な角度から書かれてきたので、語り尽くされた感じはある。
この新書は、一人称と三人称の根本的な語りのスタンスの違いに目を向けながら、言文一致から近代小説の黎明期がどのように起こっていくかを書いている。
文学について明るくなくても、小説のひとつの読み方のようなものを解説しているので、興味深い。
筆者によれば、作家が想定できる読者が、印刷技術の向上によってどんどん変化し、それによって自分がどのように語るべきかという立ち位置にも変化が生まれていく。
そうだとすれば、現在の私たちの取り巻く環境も、それに似た部分があるのかもしれない。
ネットによって普段文章を目にしなかった人でも瞬時に情報として手に入るようになってきた。
ますます誰に向けて、どんな立場で語るのかということが難しくなってきている。
村上春樹でも書いたが、語ることと語られることの違和感、語る者とそれを聴く者とが形成するコミュニティなど、ネットと文章というメディアの差は、私たちが考えている以上に違うのかもしれない。
些細なことで炎上したり、それに対して安易に無視できない発信者の関係性と、語る者と聞く者との関係性と何か共通項があるかもしれない。
コミュニケーションである以上、演出とウソ、演技が含まれていく。
そういうことを考える材料にはなるだろう。
「語り」にはまだまだ可能性があると思わせる文章だった。
近代文学についての、「語り」の問題について書かれた新書である。
近代文学については、様々な角度から書かれてきたので、語り尽くされた感じはある。
この新書は、一人称と三人称の根本的な語りのスタンスの違いに目を向けながら、言文一致から近代小説の黎明期がどのように起こっていくかを書いている。
文学について明るくなくても、小説のひとつの読み方のようなものを解説しているので、興味深い。
筆者によれば、作家が想定できる読者が、印刷技術の向上によってどんどん変化し、それによって自分がどのように語るべきかという立ち位置にも変化が生まれていく。
そうだとすれば、現在の私たちの取り巻く環境も、それに似た部分があるのかもしれない。
ネットによって普段文章を目にしなかった人でも瞬時に情報として手に入るようになってきた。
ますます誰に向けて、どんな立場で語るのかということが難しくなってきている。
村上春樹でも書いたが、語ることと語られることの違和感、語る者とそれを聴く者とが形成するコミュニティなど、ネットと文章というメディアの差は、私たちが考えている以上に違うのかもしれない。
些細なことで炎上したり、それに対して安易に無視できない発信者の関係性と、語る者と聞く者との関係性と何か共通項があるかもしれない。
コミュニケーションである以上、演出とウソ、演技が含まれていく。
そういうことを考える材料にはなるだろう。
「語り」にはまだまだ可能性があると思わせる文章だった。
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