評価点:84点/1990年/アメリカ/125分
監督:レニー・ハーリン
シリーズ屈指の完成度。
あるクリスマスの日、ニューヨーク市警のジョン・マクレーン(ブルース・ウィリス)は、ワシントンのダレス国際空港で妻を待っていた。
猛吹雪の空港では、共産主義国の麻薬王のエスペランザ将軍がアメリカに移送されるということもあり、報道陣でごった返していた。
マクレーンは、空港で妙な二人組を見つけ、後をつけると銃で応戦された。
一人を倒したマクレーンは、現場の確保を責任者に求めたが、クリスマスの空港を閉鎖することはできないと一蹴される。
管制局まで詰めかけて抗議していたところ、空港管理システムを何ものかにハッキングされ、離着陸が不可能になってしまう。
言わずと知れた、ブルース・ウィリスの人気アクション映画の第二弾。
ずっと見直そうと思っていたが、アマプラで配信されたので見た。
いまさら記事にする必要もないくらいの名作だが、見たことがないという若い人は、ぜひ見るべきだ。
非常に完成度が高く、これほど「続編」であるにもかかわらずおもしろく作られていることに、感動すら覚える。
何度もみたのに、しっかりとハラハラどきどきさせられて、驚くばかりだ。
すでに俳優業を引退してしまい、病を患っているブルース・ウィリスがなんとも悲しい。
▼以下はネタバレあり▼
ナカトミビル事件で有名になった「死に損ない」の刑事、マクレーンが再び事件を解決する。
「3」になると、かなりこの二作までの流れを断ち切るところがあるが、この「2」は、前作の流れやキャストをある程度引き継いで、続編であることを意識させている。
性悪のジャーナリスト、ドーナツ好きな同僚、いつも不機嫌な妻など。
この作品がなければ、おそらくこのシリーズはそのまま終了していただろう。
それくらい重要な作品となった。
マクレーンのことをあれこれ語ってももはや蛇足だろう。
この作品が大好きになったのは、ひとつの象徴的なシーンに気づいたからだ。
もっとも、この気づきは、何度も繰り返し見ているうちに、ポイントになっていることに気づいた、というものだが。
それは、ラストの輸送機で飛び立とうとする犯人たちを、薄汚れたコートを挟むことで飛び立てなくさせる、というものだ。
私はこの場面が、この映画の、このシリーズの、もっとも端的で象徴的なものだと考えている。
すべての計画は犯人の思惑通り、順調だったはずなのに、たった一枚のコートが飛行機の比翼に挟まったことによって狂ってしまう。
彼はまことに、犯人側にとっては取るに足らない、どうでもよい人物なのに、彼のちょっとした行動によって計画が一気に瓦解してしまう。
日常生活でもこういう間の悪い、どうしようもない人物はいるものだ。
だが、これが悪党に立ち向かう警官になるとこうも頼もしくなる。
マクレーンというキャラクターを象徴するシーンだ。
もちろん、それだけではない。
私はこの映画を見ながら、観客が想定できる「敵」がいなくなったからアクション映画がおもしろくなくなった、というのはウソだな、というようなことを考えていた。
冷戦や目に見えた宗教対立は描きにくくなってきているとはいえ、面白さの源泉は、シナリオであり、展開であり、そこにある結構のうまさ、見せ方のうまさなのだろう。
ハリウッド映画はすぐに政治的な、国際的な情勢とマッチさせて論じたくなる。
だが、そういうことによりも、しっかりと作り手がシナリオを練り込めば、すばらしい作品はできる。
この映画はその典型で、一切の無駄がない。
125分という短い上映時間で、特に冒頭までのスリリングな展開は、説明と描写が一体となって物語にすんなり没頭できる。
気づけば管制塔は乗っ取られて、何十機もの飛行機が人質になってしまう。
「自分は盲腸になった隊員の代わりできたので……」という陸軍の若い兵士は、その後、一個部隊全てが裏切るという場面において、首を切られて殺されてしまう。
このシークエンスは、ひょっとしたら要らないかもしれない。
けれども、このシーンがあるからこそ、裏切った陸軍部隊の残虐性が際立つことになる。
(そうでなければ、ほとんど〈活躍〉する場面が実はない)
こういう細かい描写が、つながりあうことによって映画としての完結性を高める。
スタンガンでジャーナリストをやっつけるシーンも同じだ。
翻って、この映画はほとんど〈敵〉の素性は描かれていない。
お金目的なのか、将軍の解放がどれくらいの意味をもっているのか。
わからないが、それでもおもしろいのは、映画自体の完成度が非常に高いからだろう。
近年のアクション映画がマンネリ化しているとすれば、こういうアイデアが不足しているからである、と改めて気づかされた。
とはいえ、ずっと気になっていたシーンもあった。
私はビーコンについての説明が理解できていない。
乗っ取られた連絡機構の代替案として、管制官らはビーコンに人間の音声を乗せることを思いつく。
しかし、同時にジャーナリストたちもそのチャンネルを聞く。
このとき、ジャーナリストたちは、「変だな?」といぶかしげにビーコンに聞き耳を立てるシーンがある。
ビーコンが本来、音声を発するべきものであれば、テロリストたちに聞かれる可能性があるし、逆にビーコンは一定の電子音だけを発するものなら、ジャーナリストたちが盗み聞き使用とする動機がわからない。
まあ、些細なことなのだが、何度も見ても理解できない。
だれか教えてほしい。(いや、そんなに気にもなっていないが。)
実は私は前作のほうがずっと好きだったが、最近はこちらのほうが好きになってきた。
それは、完成度の高さが見るたびに気づかされるからだろう。
何度みてもおもしろい。
こういう作品は若い人にこそ見てもらいたい。
監督:レニー・ハーリン
シリーズ屈指の完成度。
あるクリスマスの日、ニューヨーク市警のジョン・マクレーン(ブルース・ウィリス)は、ワシントンのダレス国際空港で妻を待っていた。
猛吹雪の空港では、共産主義国の麻薬王のエスペランザ将軍がアメリカに移送されるということもあり、報道陣でごった返していた。
マクレーンは、空港で妙な二人組を見つけ、後をつけると銃で応戦された。
一人を倒したマクレーンは、現場の確保を責任者に求めたが、クリスマスの空港を閉鎖することはできないと一蹴される。
管制局まで詰めかけて抗議していたところ、空港管理システムを何ものかにハッキングされ、離着陸が不可能になってしまう。
言わずと知れた、ブルース・ウィリスの人気アクション映画の第二弾。
ずっと見直そうと思っていたが、アマプラで配信されたので見た。
いまさら記事にする必要もないくらいの名作だが、見たことがないという若い人は、ぜひ見るべきだ。
非常に完成度が高く、これほど「続編」であるにもかかわらずおもしろく作られていることに、感動すら覚える。
何度もみたのに、しっかりとハラハラどきどきさせられて、驚くばかりだ。
すでに俳優業を引退してしまい、病を患っているブルース・ウィリスがなんとも悲しい。
▼以下はネタバレあり▼
ナカトミビル事件で有名になった「死に損ない」の刑事、マクレーンが再び事件を解決する。
「3」になると、かなりこの二作までの流れを断ち切るところがあるが、この「2」は、前作の流れやキャストをある程度引き継いで、続編であることを意識させている。
性悪のジャーナリスト、ドーナツ好きな同僚、いつも不機嫌な妻など。
この作品がなければ、おそらくこのシリーズはそのまま終了していただろう。
それくらい重要な作品となった。
マクレーンのことをあれこれ語ってももはや蛇足だろう。
この作品が大好きになったのは、ひとつの象徴的なシーンに気づいたからだ。
もっとも、この気づきは、何度も繰り返し見ているうちに、ポイントになっていることに気づいた、というものだが。
それは、ラストの輸送機で飛び立とうとする犯人たちを、薄汚れたコートを挟むことで飛び立てなくさせる、というものだ。
私はこの場面が、この映画の、このシリーズの、もっとも端的で象徴的なものだと考えている。
すべての計画は犯人の思惑通り、順調だったはずなのに、たった一枚のコートが飛行機の比翼に挟まったことによって狂ってしまう。
彼はまことに、犯人側にとっては取るに足らない、どうでもよい人物なのに、彼のちょっとした行動によって計画が一気に瓦解してしまう。
日常生活でもこういう間の悪い、どうしようもない人物はいるものだ。
だが、これが悪党に立ち向かう警官になるとこうも頼もしくなる。
マクレーンというキャラクターを象徴するシーンだ。
もちろん、それだけではない。
私はこの映画を見ながら、観客が想定できる「敵」がいなくなったからアクション映画がおもしろくなくなった、というのはウソだな、というようなことを考えていた。
冷戦や目に見えた宗教対立は描きにくくなってきているとはいえ、面白さの源泉は、シナリオであり、展開であり、そこにある結構のうまさ、見せ方のうまさなのだろう。
ハリウッド映画はすぐに政治的な、国際的な情勢とマッチさせて論じたくなる。
だが、そういうことによりも、しっかりと作り手がシナリオを練り込めば、すばらしい作品はできる。
この映画はその典型で、一切の無駄がない。
125分という短い上映時間で、特に冒頭までのスリリングな展開は、説明と描写が一体となって物語にすんなり没頭できる。
気づけば管制塔は乗っ取られて、何十機もの飛行機が人質になってしまう。
「自分は盲腸になった隊員の代わりできたので……」という陸軍の若い兵士は、その後、一個部隊全てが裏切るという場面において、首を切られて殺されてしまう。
このシークエンスは、ひょっとしたら要らないかもしれない。
けれども、このシーンがあるからこそ、裏切った陸軍部隊の残虐性が際立つことになる。
(そうでなければ、ほとんど〈活躍〉する場面が実はない)
こういう細かい描写が、つながりあうことによって映画としての完結性を高める。
スタンガンでジャーナリストをやっつけるシーンも同じだ。
翻って、この映画はほとんど〈敵〉の素性は描かれていない。
お金目的なのか、将軍の解放がどれくらいの意味をもっているのか。
わからないが、それでもおもしろいのは、映画自体の完成度が非常に高いからだろう。
近年のアクション映画がマンネリ化しているとすれば、こういうアイデアが不足しているからである、と改めて気づかされた。
とはいえ、ずっと気になっていたシーンもあった。
私はビーコンについての説明が理解できていない。
乗っ取られた連絡機構の代替案として、管制官らはビーコンに人間の音声を乗せることを思いつく。
しかし、同時にジャーナリストたちもそのチャンネルを聞く。
このとき、ジャーナリストたちは、「変だな?」といぶかしげにビーコンに聞き耳を立てるシーンがある。
ビーコンが本来、音声を発するべきものであれば、テロリストたちに聞かれる可能性があるし、逆にビーコンは一定の電子音だけを発するものなら、ジャーナリストたちが盗み聞き使用とする動機がわからない。
まあ、些細なことなのだが、何度も見ても理解できない。
だれか教えてほしい。(いや、そんなに気にもなっていないが。)
実は私は前作のほうがずっと好きだったが、最近はこちらのほうが好きになってきた。
それは、完成度の高さが見るたびに気づかされるからだろう。
何度みてもおもしろい。
こういう作品は若い人にこそ見てもらいたい。
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