secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ダイ・ハード4.0

2009-10-11 18:21:46 | 映画(た)
評価点:83点/2007年/アメリカ

監督:レン・ワイズマン

シリーズを踏襲した、期待を裏切らない出来。

夜中に娘が彼氏とデートしている現場に現れたマクレーン刑事は娘にへそを曲げられてしまう。
そこへ上司からハッカーの護送を依頼され、ハッカーの自宅を訪れると、いきなり何者かから銃撃される。
なんとか危機を切り抜けたマクレーンたちは、交通事故に遭ってしまう。
周りを見渡すと至る所で交差点での出会い頭の交通事故が多発していた。
信号はすべて青で人々は騒然としていた。
一方公的施設では炭疽菌警報が一斉に鳴り始め、職員が避難するという騒ぎも起こっていた。
不審に思ったFBIはこれがサイバーテロであることを確信するが。

「ダイハード」を観たことがない人はおそらく日本にはまれだろう。
少なくとも映画を観る習慣がある人は、シリーズのどれかは観ているはずだ。
観ていなくとも、タイトル名くらいは聞いたことがあるだろう。
それくらい、ジョン・マクレーンの知名度は高い。
僕は子どものころ観たとき、ブルース・ウィリスではなく、彼は「ジョン・マクレーン」という役者だと思っていた。
シリーズ一作目を観たときは、興奮して夜も眠れなかったことを、今でも覚えているし、アクション映画といば、僕にとっては「ダイハード」である。

シリーズ一作目の閉鎖感が大好きな僕にとっては、二作目、三作目はあまり好きではない。
だが、完成度は高く「シリーズもの」として正当進化を遂げた珍しいシリーズだろう。

今回の四作目も、見た目の派手さだけではなく、しっかりとシリーズの「らしさ」を踏襲している。
是非観てほしい作品だ。
 
▼以下はネタバレあり▼

「ダイハード」を直訳すれば「死ににくい」。
もっといえば、「死に損ない」である。
マクレーンは敵の組織、計画、装備などに比べていかにも貧弱で、敵の作戦にとっては、とるに足らない存在であるはずなのだ。
だが、彼は素直に死なない。
そのために、敵はいらいらして、計画を度外視して彼を殺そうとする。
そして、まんまとマクレーンにやっつけられてしまうのだ。

今回もその結構や、キャラクターは踏襲されている。
今回は、マクレーンともっとも対極にある敵であることがおもしろい。
今までこの設定で作品がなかったことがむしろ不思議なくらいだ。
世界はいまやコンピューター支配で動いている。
デジタル管理であり、ネットワーク化されている。
そこの根幹を押さえ込まれると、交通、航空、金融、発電などすべてが機能しなくなる。
ネットを押さえることは、そこに住む国家や世界を押さえるに等しいのだ。
(現実的にそれが可能であるかは別にして、理論的にはその通りだろう)

かたや、デジタルとは無縁なアナログ刑事が、政府の演算システムを解いたハッカーの護衛を任される。
ハッカーの抹殺は、計画の重要な一部ではあるが、念押しのための抹殺であり、根幹ではない。
しかし、その抹殺に失敗したことから、テロリストたちの計画はどんどん崩れてしまうことになる。

死に損ない、しぶとい男は、家族に対してもしぶとい。
別れてしまったはずの母親の元で暮らす娘と、ボーイフレンドとの間を裂こうと躍起だ。
親子の縁を切ったと娘にいわれながらも、しぶとく関係を続けようとする。

嫌われ者で、ちっぽけな存在。
でも、犯罪者にはめっぽう強い。
このヒーロー像が人々の心を掴むのだろう。
英雄とは誰もやってくれない孤独な仕事をやる人間のことだと、劇中に漏らす。
この責任感と孤独感は、多くのサラリーマンたちに共感と感動を呼ぶのだろう。

忘れてはならないことは、彼が敵の作戦によって窮地に立たされ、それを一つ解決するごとに、大きなカタルシスと、そして事件解決へとつながっていくという気持ちよさである。
これによって、アクションが単なる見せ場としてだけではなく、事件解決の重要なファクターのように感じさせるのだ。
今回は特に、敵がサイバー攻撃をしかけるとあって、アクションが派手なっている。
見えない攻撃と見える攻撃とのバランスをとろうとしたのだろう。
すごすぎるアクションも、マクレーンなら、なぜか何とかしてくれそうだからヒーローなのだろう。

ちなみに、今回のアクションには「日常性」というポイントがある。
ネット社会におけるサイバーテロをテーマにしているため、日常コンピューターに支配されているものが凶器へと変わる。
たとえば、交通機関を操作することによって、車が凶器へと変わる。
ガス爆発よりも、むしろ、車が真っ暗なトンネルを向かい合って走る姿のほうが、よほど怖い。
人々のパニックになる様子を、ヴィジュアル的に表現している。
これも日常を支えているネットワークがいかに強大で、根源的なものであるかを示しいてるといえるだろう。

ただ、すごすぎるアクションに頼らざるをえなかったという見方もできる。
これまでは敵の攻撃がヴィジュアル的なものだった(飛行場占拠など)ため、観客が相手を憎むことが容易だった。
だが、今回は見えない敵だったために必要以上ともいえるほど無理なアクションになっている感は強い。
そのためアクション映画としては楽しめるが、等身大のヒーローというコンセプトからは少しずれている気もする。

また、舌戦があまりにも過激だということもあまり好きじゃない。
簡単に言えば、マクレーンの口が悪すぎる。
ボス(ティモシー・オリファント)の女、マギーQが死んだときの台詞は、これまであった知的な、相手を刺激するようなアイロニーではなく、単なる子供の言い合いのようになっている。
確かに相手は怒りに狂うだろうが、マクレーンはそういうキャラクターではなかったはずだ。
これは些細なことだが、これだけ市民権を得ているヒーローだからこそ、重要なファクターだったような気がする。

アクション過多になっているのは、それ以外でもいえる。
たとえば、敵のプロフィール。
これまでは政治的背景や国際情勢を踏まえた上で敵の設定が作り上げられていた。
敵の武器にしても、目的にしても、説得力がある骨太な設定だった。
今回は、ボスのガブリエル以外の設定が不透明極まりない。
敵のポジションをしっかりさせなければ、観客の「怒り」と倒したときの「カタルシス」は得られない。
それらを覆い隠すように派手なアクションで補っているが、それがかえっていい訳じみているような印象を与える。

相棒となるハッカーのキャラがわかりにくいことも設定の甘さだ。
描いているようで、なぜそこまでマクレーンにかかわろうとするのか、いまいち見えてこない。
怒りを見せるシーンをどこかで伏線として張っておくほうがよかったのではなかったか。

敵について言えば、ラストに行くにつれて、どんどん追い込まれていくため、Mっ気があるのかと思わせるくらい、かわいそうになってくる。
マクレーンに追い込まれても、まだ俺たちには勝ち目があるぞ、という点をもっと強調してほしかった。
ラストに向かうにつれて、どんどん安心感が生まれていくのは、アクション映画としては弱い。
同じように、敵のサイバーテロの緊急性がいまいちつかみにくいのもマイナス評価だ。
金融のサーバーを狙われるとまずいのもわかるが、それがいったい後どれくらいなのか、わからない。
見えない攻撃ゆえに、怖さが見えにくいというところが、今回の一番のネックとなったポイントだろう。

設定やアイデアは面白かったし、「ダイハード」らしいテーマ設定だった。
その一方でそれをしっかりと演出しきれなかったことがアクションの勢いでも隠し切れなかった点だろう。

とはいえ、よき時代のアクション映画を見せてもらった、僕にとっては大満足の映画だった。
文句が出てしまうのは、シリーズの人気の裏返しだ。
観客の期待には十分こたえられる作品だと思う。

さて、もう一回いこうかな。

(2007/7/15執筆)

まあ、行かんかったけれど。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ショーシャンクの空に(V) | トップ | 告発のとき(V) »

コメントを投稿

映画(た)」カテゴリの最新記事