secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ショーシャンクの空に(V)

2009-10-11 18:17:58 | 映画(さ)
評価点:80点/1994年/アメリカ

監督:フランク・ダラボン

語りの難しさ。

アンディ・デュフレーン(ティム・ロビンス)は、妻とその不倫相手の殺人容疑のために、終身刑を課された。
ショーシャンク刑務所に収監された彼を待っていたものは、元銀行員とは正反対の地獄のような日々だった。
ある日彼は仕入れ屋の(モーガン・フリーマン)に小さいハンマーを依頼する。
趣味の彫刻をするためだという。
仲間から受け入れられていなかった彼は、看守の相続税の免れ方を教えてやることで、仲間にビールをおごらせることに成功し、囚人仲間から一目おかれるようになる。
元銀行員であることを知られるようになった彼は、刑務所職員たちの税金処理などを担当するようになり、刑務所内でも丁重に扱われるようになる。
彼が提案していた刑務所内の図書館も、次第に大きくなっていくが…。

初対面の人に、映画が趣味というと、絶対に聞かれることは、「一番好きな映画は何?」ということ。
僕はこの質問が出た瞬間に、「ああこの人はあまり映画を観ないのだな」と値踏みしてしまう。
「ありすぎて決められません」と答えるようにしているけれど、どうしてもと言われたときに、たいてい頭に浮かぶ作品が、この「ショーシャンクの空に」である。
本当は「アメリカン・ビューティー」だと言いたいのだが、言うと本当にマニアックなやつだと思われるから、言わないようにしている、という理由でもあるけれども、これまで、僕にとっては「ショーシャンク」は非常に大切な映画だと思う。

まだ観ていないという人は、すぐにでもレンタルするべきだと思う。
少なくとも、1990年代の映画を知るには、良い教材となるはずだ。
 
▼以下はネタバレあり▼

上の続きで、その人が映画好きかどうかの基準が「ショーシャンクを観たことがあるか」というのも、僕としては固定化しつつある。
少なくとも1990年代の映画で、最も完成度が高い映画ではないかと思っていた。
最も、という言い方が適切でないなら、90年代を代表する映画、という言い方でも同じことだろう。

完璧な映画など存在しない。完璧な絶望が存在しないように。
というのは村上春樹の小説の一節をもじった表現だが、映画も小説も同じ事が言えるだろう。
完璧はあり得ない。
だが、人は時としてその不完全さに完璧を見出す。
この映画も、神懸かりとも思わせるほどの完成度を誇っていると感じさせる。

そこで今回改めて見直すことにした。
だが、僕が期待していた、思い描いていたほどの映画ではなかった。
いい「物語」ではあったが、完成度の高い映画ではなかった。

この映画は非常に単純な構造をもっている。
一人の男が殺人容疑で終身刑を課され刑務所で過ごし、そして脱獄する。
いわば、日常―非日常―日常というあの「往来型」の物語の典型である。
その男の半生をその男自身ではない人物が語るという手法で展開される。

多くの人の心をつかむのは、彼の特殊な境遇によるものではなく、むしろ個(弱者) 対 社会システム(刑務所)という対立が多くの人々が感じている状況と似通っているからだ。
日常に押しつけられ、いつの間にか奪われていく、それは90年代のアメリカ人(日本人も含む)にとって共通のイメージではなかったか。
彼が様々な自由や権利を奪われていきながらも、その中で何とか希望を見いだし、脱獄を成功させるという生き様は、あたかも、自由を奪われ、生きる目的も奪われてしまうような社会に生きる僕たちに、驚くほど似ている。

成功までの課程は突然降ってくる幸運によるものではなく、閉口する日常を戦い抜くことでしか得られないということを、教えてくれているかのようだ。
一見バラバラな話を最終的に結びつけ、人生の勝ち組へと転身する。
映画の展開全体が、僕たちの人生の成功パターンだと思わせてくれる。
だからこそ、話が「落ちた」ときに、大きなカタルシスを得ることができるのだ。

しかも、視点人物(語り)がそのヒーローではないために、ミステリアスさを生みだし、人物をさらっと描くために、希望を持つことを仰々しく描き出すことを抑制している。
この物語が多くの人を引き込むのは無理のないことなのだ。

しかし、僕は期待通りの完成度の高い映画だとは感じなかった。
最近(でもないけど)読んだ「字幕屋」が書いた新書を思い出した。
「フォレストガンプ」はあまりいい映画ではない、というような趣旨のことがあった。
理由はひたすらナレーションによって映画が展開され、だらだらと話が続いていくような話だからだという。

同じことがこの映画にもいえる。
語り手であるエリス・ボイド(モーガン・フリーマン)が、一人の男について語る。
回想という形で語られる物語は、リアリティを高める一方で、結論がすでに出てしまっているという「過去」も想起させる。
だが、問題は映画の中に流れている時間において、語りの存在が強すぎて日記調になってしまっているということだ。
かといって、その「過去」である語りが有効に物語を引っ張っていくわけでもない。
彼の語りは「語られている時間」と「語っている時間」に隔たりがあること以外は
何ら示唆してくれない。
つまり、「語っている時間(=現在)」について全く語らないために、無味乾燥な時間から超越的に語っているということしかわからないのだ。

そこには何の工夫もない。
映画としての複線や映画としての起伏よりも、ただ、出来事を語りが引っ張っていくという展開だ。
どんな出来事も淡々と同じテンポで語られるこのリズムは、退屈という言葉さえを想起させる。

「グリーンマイル」という同じ監督、同じ原作(スティーブン・キング)の作品も、全く同じ印象を受けたことを思い出す。
「グリーンマイル」も、すごく淡々と物語がすすみ、ラストでいかにも泣かせようという展開だった。
その泣かせてやろうというのが色濃く出過ぎていたために、「ショーシャンク」よりも失敗作に位置づけられてしまっているだけで、結局はおなじことなのだ。
しかも、同じ「刑務所もの」だから余計に観客は身構えてしまったのだろう。
二番煎じの感が否めないのはそのためだ。

話を戻そう。
刑務所内でのエピソードはどれも感動的で、どれも観客の心を引きつける。
そのバランスがうまくちりばめられているため、映画全体としてのまとまりは、非常によい。
ラストの脱獄は、まさに「モンテクリスト伯」のように鮮やかなのかもしれない。
そのぶん、カタルシスが大きく、アメリカの大好きな(あるいは日本も大好きな)、強力な権力に対して痛快に反撃するという結末は気分がいい。
刑務所という環境を、現在おかれている自分に置き換える観客も、少なくないだろう。
万人受けすることは、まず間違いない。

しかし、である。
それは映画の力ではないはずだ。
それはスティーブン・キングの原作にそのままある魅力であるはずだ。
何も映画でなければならなかったことではない。
映画としての、映画たるゆえんをいかんなく発揮したとは言い難い。
しかも、ナレーションに映画のテンポを依存し、エピソードを並べ立てただけの、何の抑揚もない映画である。
脚色という意味では、映像化にあたってうまくしたのかもしれない。
だが、それは真の映画としての魅力ではないはずだ。

いい映画ではなく、いい話、物語にすぎない。

果たして、これは本当に評価されるべき映画なのだろうか。
モーガン・フリーマンの心地よいナレーションによってしか、この映画は成立しなかったのだろうか。
ナレーションに頼ってしまった瞬間に、監督としては「負け」ているような気がしてならない。
安易といえばいいのか。

大好きな映画だったのに、少しがっかりした思いだ。
僕の目が肥えてきたということもかもしれない。
これからは、「ショーシャンクの空に」を好きだという人を、僕は「にわか映画好き」のラインにするかもしれない。

(2007/7/8執筆)

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« バンコック・デンジャラス(V) | トップ | ダイ・ハード4.0 »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
The Shawshank Redemption ()
2009-10-13 22:28:59
なんど観てもRedemptionの意味がいまだわからない作品です。
返信する
看守の面接 (menfith)
2009-10-14 23:12:37
管理人のmenfithです。
書き込みありがとうございます。

匙さんの書き込みの件名は、原題でしょうか。
あんまり気にせずに、邦題のままだと思って書いていました。
「Redemption」は宗教的な救い、という意味らしいですね。
だとすると、ショーシャンクという場所を経由することで、「救われる」物語なのかもしれません。

いま思いついたことをそのまま書き連ねます。
映画の中に、看守が面接をするシーンがありますね。
「お前はまともだと思うのか」というような内容だったと思います。
どんな答えを言っても結局保釈されない、というあれです。
結局モーガン・フリーマンは「こんな面接は意味がないからさっさと保釈願いの取り下げを決定しろよ」と言って結局保釈されます。
あの不条理さそのものが、救いなのかもしれません。

うまく言えませんが、不条理であることを悟るのが、あの刑務所の唯一の教えであって、かつこの世界で生き抜くための方策である。
ラストの爽快感以外にも感じる虚無感のようなものは、そこからくるのかもしれません。

原作にはそのあたりのことが書かれてあるのですかね~。
原作は読んでいないので何とも言い難いですが。
返信する
原題、かなあ? ()
2009-10-15 00:27:52
原題かどうかわからないですが、表紙に書いてあるのです。DVDとかの。なので、ずっと気になっていました。

お返事を読むに、自然に理解できる解釈だと思いました。そう思ってみると、何気なく観ていたシーンにも、意味が見出せるように思えます。

ちなみに、匙的なredemptionは「贖い」だったので、???となっていました。



ちなみにお名前は映画の名前からですか?

長文失礼しました。
返信する
ウィキでは…… (menfith)
2009-10-18 18:28:08
管理人のmenfithです。
先ほどウィキで調べたところ、やはり原題ですね。
ウィキでは「ショーシャンクの償い」となっていました。
僕は英語には明るくないのでそれが正しいのかどうかもわかりません。
ですが、キリスト教的な、宗教的な意味合いの強い単語なのだろうと予想します。
「救い」でも「償い」でもいいかな、なんて。

「menfith」という名前は「60セカンズ」のニコラス・ケイジの役名です。
本来なら「memphis」なのですが、綴りを知らずに適当に「menfith」と名乗っていました。
後から間違っていることに気づいたのですが、オリジナリティがあると思って、そのままにしています。

英語って難しいですね……。
返信する

コメントを投稿

映画(さ)」カテゴリの最新記事