secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

NEXTネクスト

2008-06-01 16:43:25 | 映画(な)
評価点:45点/2007年/アメリカ

ジュリアン・ムーア恐怖症。

クリス(ニコラス・ケイジ)は高度な予知能力を持っていた。
ラスベガスに住みながらしがないマジシャンとして生計を立てていたクリスの元に、FBI捜査官のカリー・フェリス(ジュリアン・ムーア)が訪れる。
カリーは彼に予知能力があることを確信し、テロ事件への協力を請おうとしていたのだ。
それまでの経験から協力を拒もうとして逃げ出したクリスは、喫茶店で運命の女を待っていた。
自分事、しかも二分先しか予知できないはずなのに、クリスは彼女のことを以前から予知していた。
彼女が自分にとってどういう存在なのか知りたかったクリスは彼女のことを以前から待ち望んでいたのだ。
そして彼女が喫茶店に入ってきたが……。

ニコラス・ケイジ最新作。
本作の制作にも携わっていて、原作の小説とはだいぶちがう趣になったようだ。
原作は「マイノリティ・リポート」や「トータル・リコール」のフィリップ・K・ディック。
ニコラス・ケイジといえば、「ゴースト・ライダー」の奇怪な映画への嬉々とした出演が記憶に新しい。
あれ以上の失敗はないだろうと、ほとんど予備知識なしで観に行った。

もうそろそろ公開も打ち切りに近づいていると思うが、これを観に行くくらいなら、「ランボー 最後の戦場」くらいを観に行ったほうが無難だろう。


▼以下はネタバレあり▼

冒頭はこんなニコラス・ケイジの語りから始まる。
「ラスベガスには様々なマジシャンが集まる。
その中でも稀に、本物のマジシャンが存在する。だが、そういう人間達は、巧みに自分の能力を隠す。そうでなければ、他のマジシャンが食べていけないからだ」

この冒頭は、実に上手い。
引き込まれる魅力がある。
そして「2分」と「自分に関することだけ」という制限が付けられていることが明かされる。
予知能力というのは魅力的な才能だ。
だが、特に制限がなければ、たんなるヒーロー映画になってしまう。
何でもあり、だと感情移入できないのだ。
だから、この制限は巧妙だし、観る者に同化させる余地を残している。
ここには観客が参加できるサスペンスが存在するのだ。

その冒頭に比べ、その後の展開は悲惨の一言につきる。
その設定を活かすどころか、自ら破り、整合性とはほど遠い展開になってしまう。
僕の点数が悪いのはそのためだ。

FBI捜査官のカリーが、なんとジュリアン・ムーアだ。
彼女が登場した映画で、面白い映画は最近観ない気がする。
特に酷かったのは「フォーガットン」と、「ハンニバル」。
この二つの映画のイメージが強すぎて、彼女が登場したとたん、もう無理だろうと予想してしまった。
予備知識なし、というのもいかがなものか、自責の念に駆られた。

そのFBI捜査官のカリーは、なぜか彼の予知能力について聞きつけ、テロ捜査に協力させようとする。
だが、なぜ彼女が、クリスの能力に気がついたのか、全く明かされない。
「彼がいれば絶対にテロは解決するわ!」
と息巻いているのだが、常識的に考えて、そんな能力を持つ人間が存在すると信じる方が頭がおかしい。
それだのに、カリーは一切彼の能力に疑いを持たないのだ。
それならば、クリスの予知能力について、目を付けるきっかけをやはり描いておくべきだった。
だから、その鬼気迫るカリーの執着心に、
フォーガットン」でのあの狂気の母親の推理を思い出してしまうのだ。

「ああ、また始まった、ジュリアン・ムーアの気狂いショウだ」

そこまではまだ、よくある駄作映画だ。
ここからが真骨頂なのが、この映画の非凡さである。
つい数十分前まで「2分」「自分だけ」という制約をつけていたのに、超絶ボディの美人については違っていたらしい。
ジェシカ・ビールを観に行くだけでも価値があると思えるくらいの、エロい描写が続く彼女に関する予知を見てしまうのだ。
それがあくまで「例外」としての位置づけならば良かった。

その後の展開は、まさに何でもアリの、ヒーロー映画になってしまう。
FBIからは追われるわ、なぜか聞きつけたテロリスト達からも追われるわ、で
ジェシカ・ビールとニコラス・ケイジは引っ張りだこになってしまう。
彼ら四者が、どういう関係にあるのか、全くわからない。
知り合うきっかけも、すごく都合が良いようにしか映らないので、先読みするどころか、どんどん置いてけぼりを喰うことになる。
サスペンスどころではないのだ。

そして、ラストの「夢オチ」という一番使ってはならない核兵器を持ち出す。
それまでの設定がすべてぶっ飛ぶ、究極の選択だ。
「あ、間違った」
小学生の悪戯の言い訳じゃないんだから。
もう少しなんかあるやろ、おまえ。それでもほんまに脚本家なんかい!
と愚痴の一つも言いたくなる。

観客が
「?ほんまにこれで終わり?」
と茫然自失になってしまうのは、無理もない。

僕は「2分」「自分だけ」という制限が非常に上手い設定だと思ったし、それが物語としての潜在的な可能性を大いに秘めていると感じた。
例えば、「2分」しか予知できないと言うことは、もっと先に起こる出来事は予知できない。
そこに彼を後ろ向きにさせるトラウマを用意できたはずだ。
もっと予知できれば自分はもっと成功できたのに、あるいは失敗しないですんだのに、だから、もう未来に期待できないので「マジシャン」に身を陥れているのだ、とか。

あるいは、「2分」も見ることが出来るため、究極のニヒリズムに陥るかも知れない。
すべてが自分の思い通りになるし、全てが失敗することもない。
それなら、他人の為に生きるなんていう自己犠牲の精神なんて起こらない。
「だけど」今回の恋人の予知はなぜか気になる、なぜだろう、という展開。
これなら、主人公に課題を設定できているので、それが解決されることで、オチのカタルシスは倍増する。

さらに、例えば、「自分だけ」しか予知できないので、世界を救うことが出来ない。
だから、自分だけの殻に閉じこもっている。
(恋人を以前亡くしてしまったとか、そういう設定でも良い)
だから、ネガティブな性格だったのだが、ジェシカ・ビールに出会うことで、いくらでも世界に開かれているのだと悟る、とか。
こうすれば、ジェシカ・ビールがボランティア活動をしていることも伏線に入れることが出来るだろう。

とにかく、映画を観ながら、もっと上手くこの設定を利用できたのに、と思ってしまった。
今挙げた中にはすべて、予知能力を持つが故に、悲しみも持っている、という設定だ。
こうすれば、テロ防止への協力にとドラマとしてマッチして、クリスの内面を問題にすることも出来たはずなのだ。
素人が考えただけでも、これだけ可能性を秘めているのに、こんな脚本しか書けないとは。
とほほ、としか言いようがない。

この映画の可能性は、それだけではない。
映像的にも面白い試みがされていた。
予知できるということから、絶対に負けない喧嘩、絶対に当たらない土砂崩れ。
これらのアクションシーンは、新たな楽しさを提供してくれる、はずだった。
それも生かし切れない監督とはなんぞや。
ニコちゃんも制作に携わっているが、もう少しなんとかしてほしかった、というのが本音ですね。

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