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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

マッチポイント(V)

2010-01-16 21:31:57 | 映画(ま)
評価点:79点/2005年/イギリス

監督:ウディ・アレン

男の性(さが)が十二分に描き出されたサスペンス。

プロテニスプレイヤーだったクリス(ジョナサン・リース・マイヤーズ)は引退を決意し、会員制の高級テニススクールに講師として採用された。
生徒であるトム(マシュー・グッド)にオペラの鑑賞に誘われ、そこで知り合ったその妹クロエに惚れられる。
その流れで別荘に招待された彼は、ノラ(スカーレット・ヨハンソン)というトムの婚約者と出会う。
一目見て惹かれた彼だが、妹の激しいアプローチに屈し、恋仲となる。
しかし、何かと気になるノラに対して、彼は特別な感情を抱き始める。

アイランド」「真珠の耳飾りの少女」などで演じたスカーレット・ヨハンソンが出ているサスペンスドラマ。
僕は全く予備知識なしで、とりあえず、ヨハンソンが出ていると言うだけで借りた。

タイトルにある「マッチポイント」とは、テニスでデュースになったあとに試合を決める、あのマッチポイントである。
おそらくこの映画は男女で大きく評価が分かれるだろう。
男にとっては、たまらないサスペンスドラマだが、女にとってはちょっとショッキングな展開が続く。
カップルでみるよりも、どちらかというと男だけでわいわい言うほうが、罪の意識を感じなくてすむだろう。

僕はかなり楽しめた。
ほとんど期待していなかったこともあって、スマッシュヒットした感じだ。
スカーレット・ヨハンソンが嫌いでなければ、ぜひどうぞ。

▼以下はネタバレあり▼

映画としての完成度は、脇が甘い印象を受ける。
脇が甘い、というよりはむしろ、緻密さに欠け、演出が野暮ったい感じだ。
ロンドンの知的な街の雰囲気を漂わせながらも、典型的な話の展開と、蛇足に感じさせる描写が目立ってしまう。
よって、人によって評価は分かれるだろう。

話の展開はきわめて古典的だ。
少女コミックに出てきそうなほどの悲劇であり、ありきたりな四角関係を描いている。
ありきたりなのだけれど、楽しめてしまうのは、この街がロンドンであるということだ。

イギリスのロンドンと言えば、明文化されていないけれども激しい階級意識が根強く残っている社会である。
トムは、家がやたらと豪邸で、しかもポロやテニス、オペラなどの金のかかる趣味を持っている、絵に描いたような貴族階級の家系として設定されている。
アメリカではとうてい説得力はない。
アイルランド出身の田舎ものテニスプレイヤーが、そんな家系に、もしいきなり仲間入りできたとしたら?
考えるだけでもわくわくする。
そのとんとん拍子に進む様子が、彼の戸惑いとともに描かれる。
同じ境遇に絶対になることができないが、それでもリアルな男版シンデレラストーリーになっている。

そこに影を落とすのが、ノラの存在である。
一目惚れするほどの容貌を備えている彼女は、彼の人生を狂わせてしまう。
彼女にはまっていくのと同様に、貴族の生活にどっぷり浸かっていく彼は、もはや身動きがとれなくなっていく。
そのあたりの葛藤がわかりやすいほど丁寧に描かれていくので、違和感なく感情移入することができる。
むしろあまりにも絵に描いたような展開なので、興ざめしてしまった人もいるだろう。

だが、あの状況でだれが冷静な判断を下せるというのだろう。
何不自由のない暮らしと、最高の女性。
この「両手に花」状態が、真綿で首を絞めるように彼を圧迫していく。
この映画がおもしろいのは、ここまでの展開の蓋然性と、どちらに転ぶか最後まで読めない展開だ。
マッチポイントというタイトルは、的を射たもので、どのような解決方法を見いだすのか読めない。

結局彼は銃殺という選択をとる。
これは唐突のような気もするが、緻密な伏線がある。
強盗に見せかけたのは、その前にノラがこのアパートに二度も強盗が入ったという話を聞いていたからだ。
こうした伏線によって、ある意味では必然的に彼は殺人を選択してしまう。

苦渋の選択でノラを殺したあとも、クリスが捕まってしまうのか、逃げ切れるのか読めない。
「両手に花」状態だったのが、いつくさい飯を食べる羽目になるのかという恐怖におびえることになる。

結論は、彼は逃げおおせてしまう。
この結末は、おそらく多くの女性が反発心を持つことだろう。
だが、実はこの映画、その怒りをそらすための演出をいくつか挿入している。
それを気づいたかどうか、あるいはそれで許せるかどうかは、観るもの次第なのだが。

一つはこの映画の殺人が、ドストエフスキーの「罪と罰」をなぞったものであるということだ。
「罪と罰」では、主人公ラスコーリニコフが自分の理想を実現するために高利貸しを殺す。
だが、彼は殺すはずのないその妹までも手にかけてしまう。
そのことでラスコーリニコフはずっと逡巡することになるわけだ。
この映画も、殺すべきはずのノラだけではなく、隣の老婆もまた巻き添えにしてしまう。
「罪と罰」を明確に意識していると考えられる理由は、冒頭近くの彼が読んでいた本がそれであったから。
もう一つは、ラスト近くで殺したはずの二人が夜中彼の元へ訪れるというシークエンスからだ。
「なぜ関係ない私まで殺したの」や台詞の中に「罪」「罰」を挿入していたのは偶然ではあるまい。
明確な意識の元、ラスコーリニコフのように、彼の逡巡する内面を描こうとしたわけだ。
よって、彼は警察から逃げ切ることができたとしても、ずっとその重荷を背負って生きることになる。
日本をはじめとするアジア映画ならありがちな結末だが、一神教の勧善懲悪を軸にする欧米では珍しい。

もう一つは、彼の孤独感を画的に暗示しているということだ。
端的なのはラストのラスト、子供が生まれたと言って一家が彼の自宅に集まっている一コマである。
そこでは生まれた子供の母親クロエ、その両親、母親の兄トム夫婦が一つのカメラで納められているが、そこに父親であるクリスの姿はいない。
彼はこのさきどこまでもこの家系とは相容れることはないだろう。
その暗示をはっきりと読み取ることができる。

だが、これらの演出ははっきり言って野暮ったい。
もう少し言い方を変えるなら、「言い訳じみている」。
女性客の気持ちを和らげるために挿入したかのような印象をどうしても受けてしまう。
特に、「罪と罰」のくだりは、知的ではあるものの、あざとい。
これでは怒りを買っても仕方がないだろう。

それ以外にも、友達に不倫を告白して自分の気持ちを吐露させたり、捨てた老婆のリングが手すりの手前で落ちるのをスローで見せたりと、野暮ったい演出が目立つ。
かっこいい街の雰囲気にはそぐわない、田舎ものの演出である。

もう一つ。
この映画の特筆すべき点は、出演者である。
一人はもちろん、スカーレット・ヨハンソンだ。
彼女がいなければ、この映画は成り立たなかった。
もちろん、僕の完全な個人的な感想ではあるが、主人公に完全に感情移入できたのは、彼女のおかげである。
セクシーだとか、なんだとかいろいろ形容できるが、もっとも端的な言葉は、「エロい」の一言だろう。
いや~エロすぎです。

もう一人、この映画で新たな逸材は、幸運でおバカな主人公クリスを演じたジョナサン・リース・マイヤーズである。
彼はすべての演技が大げさだ。
四人で食事をするシークエンスでは、ノラに気があることを過剰なまでに演出し、なおかつ不自然なまでに演じている。
それ以外にも「妊娠した」と聞いた直後の表情は、もはや笑えるレベルだ。
ノラを殺しに行くために出社する表情も、あまりの「思い詰めた表情」で「ばれるやろ!」と突っ込みたくなった。
そんな彼を観ていて思い出したのは、我らがニコラス・ケイジである。
ウィッカーマン」などのニコラス・ケイジのレベルまで達するにはまだまだだが、もしかしたら大げさ演技俳優へレベルアップしてくれるかもしれない。
期待大である。

最後に、この映画を象徴する台詞をどうぞ。
「君は官能的な唇をしているね」byクリス
初対面で何ゆっとるねん! しかもどんな訳やねん! もっと気の利いた日本語訳あてろや!
(野暮ったさといい、ストレートさといい、台詞内容といい、この映画そのものだ…)

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