secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ターミネーター4

2009-06-21 14:11:23 | 映画(た)
評価点:73点/2009年/アメリカ

監督:マックG

決定的に足りない死の恐怖。

2003年、死刑囚マーカス・ライト(サム・ワーシントン)はサイバーダイン社の研究に自身の死体を寄付する同意書にサインした。
それから人類は「審判の日」と呼ばれる核戦争を経験する。
2018年、人類はマシーンと壮絶な戦争を繰り広げていた。
抵抗軍のリーダーであるジョン・コナー(クリスチャン・ベイル)は総司令官とともにゲリラ活動を行っていた。
未来(過去)の父親であるカイル・リースの行方を捜していると、抵抗軍からスカイネットの弱点を発見したという連絡を得る。
LA付近にいる生存者への、スカイネットからの攻撃を察知したジョンは、応援を送ると、そこにはマーカスと名乗る屈強な男がいた。

誰もが知っている人気シリーズの第4弾。
今回は僕が予想したとおり、ターミネーターを送る側の物語になっている。
ジョン・コナー役には、個人的にお気に入りのクリスチャン・ベイル。
もちろん、バットマンシリーズの主人公を務める、彼である。
監督は「チャーリーズ・エンジェル」シリーズのマックG。

近未来へ舞台を移したこのシリーズがどんな風に描かれるのか。
期待は高まるばかりだが、果たして……。

▼以下はネタバレあり▼

物語のラストは、T800型と呼ばれるターミネーターが完成するところである。
よって、T800型が完成するまでの物語、ということができる。
また、ジョン・コナーにとっては過去でサラ・コナーと結ばれる、カイル・リースとの出会いという物語でもある。
さらに、ジョンが反抗軍の指導者へと成長する物語でもある。
シリーズの時系列としてはうまい部分を切り取ったな、という印象だ。

これまでのシリーズでは、送られてきたターミネーターに対して逃げる、というのが物語の軸だった。
未来から送られてきたマシーンに対して、人類が破壊することは難しいとされてきた。
だから、液体金属にしても、逃げるしか方法がなかった。
この「4」からは新シリーズといっても良いくらい、そのあたりのシリーズの流れを断ち切っている。
未来の抵抗軍は、マシーンに対して必死に抵抗している。
ゲリラ活動を行ったり、相手の武器の解析を行ったりしている。
ジョンをはじめとする抵抗軍の知識が豊富であるため、スカイネットは手こずっているということなのかもしれない。

そんな中、出会うのが、マーカスとカイル・リースである。
カイルのほうは、ご存じ我等がマイケル・ビーン演じる抵抗軍の一人で、過去に送られる若き英雄である。
彼の印象はすさまじく、「エイリアン2」のヒックス伍長や、「ザ・ロック」の海兵隊隊長など、僕としては最高の「悲劇のヒーロー」という称号を与えたい人だ。
それはともかく、ここではその青年時代として登場する。
廃墟と化したロスで、抵抗軍の加入を夢見る彼は、あの手この手でマシーンを攻撃している。
だが、9歳のスター(ジェイダグレイス・ベリー)と二人だけの抵抗軍LA支部はあまりにも心許ない。
彼がこの戦争のキーになることを知っているジョンは、必死に捜している。

そのカイルと出会うのが、マーカスである。
この映画の最も重要なファクターを担っているのが、彼の役所だ。
「2」「3」という流れは、機械がどれだけ人間を理解できるか、あるいは機械がどれだけ人間に近づけるかというのが一つのテーマだった。
父親のように振る舞うT800型は、ジョンにとっては恐怖の対象でありながら、頼もしい人間だった。
本作では、人間はどれだけ機械に近づくのか、というテーマ性を持たせている。
それが、マーカスというキャラクターである。

彼について、真相を明かしながら説明しよう。
彼は、死刑囚だった当時、サイバーダイン社に技術協力のため、自分の体を提供することに同意する。
その研究はスカイネットに引き継がれ、人間に似せたマシーンの開発のために役立てられることになる。
無からT800のようなターミネーターを作るのではなく、まずは人間を機械化することからスカイネットは研究を始めたわけである。
そして、マーカスは人間をだますために、もっと言えば、カイルとジョンを殺すために設計されたスパイだったのだ。
だが、マーカスには、人間的な感情や記憶が備わっていた。
そのため体は機械化されているものの、人間としてのアイデンティティを失わなかった。
スカイネットは、マーカスにジョンをおびき寄せさせ、殺す計画だったが、その計画を知ってなお、自分が人間であることを自覚するマーカスはスカイネットを裏切る。
そして、開発済みだった工場を爆破する。

マーカスが登場することによって、映画は単なる機械対人間の戦争映画ではなく、機械的自然観のモダン 対 ポストモダンという対立という世界へと切り替わる。
すなわち、機械的な、小さな部品が集まり、それが一つの個体を形成するという科学的な発想と、そういう発想では人間や自然を理解することはできないという近代への反省との対立だ。
ジョンが、総攻撃を仕掛けるのを止めるために、「私たちは血の通った人間だ」と訴えるのは、そういう人間性を問う戦いであることを自覚しているからに他ならない。

よってT800が誕生すると、完全なる人間を模した機械が登場することで、マーカスの役割を終えることになる。
マーカス内部で起こっていた葛藤は、全世界的な機械対人間の争いへと広がるからだ。
人間とはどういう動物か。
あるいは機械とはどういうものなのか。
そういった問いを自らに課していく戦いが始まるわけだ。

マーカスが死ぬのは、ジョンに心臓を提供するからだ。
ここでジョンは死を迎える。
これは明らかにキリストの復活を想像させる。
彼は、一度死ぬことによって人間を超越した人間となり、抵抗軍の司令官になるのだ。
だから、彼がスカイネットの基地を爆破したことではなく、人の死を克服した人として、人々を導くことになるのだ。
いかにも、欧米人が喜びそうなラストである。

これだけシリーズが愛されている映画で、続編を作ることは難しい。
けれども、本作はそのシリーズの流れを踏襲しながら、新たな知見を加えて正統進化させた。
その意味では、非常に完成度の高い彫刻のように、様々な符号を一致させている。

にも関わらず、圧倒的に、決定的に、何かが足りない。
おもしろいのだが、物足りない印象がぬぐいきれない。
なぜだろう。
それは緊張感がないことだ。
ターミネーターシリーズといえば、逃げるしかないほどの圧倒的な緊迫感と絶望感があった。
目的のためなら手段を選ばない機械が、どんどん追ってくることでその絶望感を突きつけてくる。
「できるはずがない!」と思わず叫びたくなるのは4回ではきかない。

その絶望感が、この映画にはない。
なぜなら、名前のあるキャラクターがスカイネットに殺されるシーンがないからだ。
冒頭の襲撃は確かに死者が多数出る。
だが、冒頭なので、観客が思い入れているようなキャラクターは誰もいない。
また、ガソリンスタンドでおそわれるシーンも、確かに何人も殺される。
だが、彼らもまた、だれも名前を名乗るような、個としてのキャラクターを与えられている者はいない。
スターもマーカスも、カイルも誰もかも、名前のある人間が死ぬことはない。
よって、妙な安心感がある。
これだけ絶望的な戦いを繰り広げているのに、全然負ける気がしない。
LAが確かに廃墟と化して、頭蓋骨が転がっていても、「雰囲気」であって、死の恐怖ではない。
だから、あの絶望感を抱かないのだ。

勿論、死を観たいわけではない。
だが、死がなければ、当然生の重みもわからないし、死ぬかもしれないという恐怖も生まれない。
戦争をしているのに、死者を描かないのは、かなり不自然だ。

よって、ラストの脱出と爆破も全然カタルシスがない。

たとえば、T800が襲ってくるというのなら、1体だけではなく、何百体も襲ってくるようにすればよかった。
そうすれば、何倍も恐怖が生まれるし、絶望感がある。
潜水艦が爆撃されるよりも、もっと怖かっただろう。
「3」でプロトタイプが襲ってくる方が、シュワちゃんの顔だけのT800型一体よりも、よほど怖かった気がする。

おもしろいが、決定的に物足りない。
次回作はおそらく作られるだろう。
次は、う~ん、カイルを送るところから始まり、ジョンがT850型に殺されるところまでかな。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 嫌われ松子の一生 | トップ | 1Q84 »

コメントを投稿

映画(た)」カテゴリの最新記事