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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

嫌われ松子の一生

2009-06-21 11:17:47 | 映画(か)
評価点:69点/2006年/アメリカ

監督:中島哲也

ラストがちょっと。

川尻笙(瑛太)は、ふらふら東京に出てきた若者だ。
そんな彼に父親からいきなり、妹が死んだから身の回りの片づけをしてほしいと頼まれる。
妹がいたこと自体に驚きながらも、笙は彼女が住んでいたアパートを訪れ、部屋のあまりの汚さに閉口する。
隣に住む大倉(ゴリ)と話をするうちに、次第に川尻松子(中谷美紀)という人間の生き方に興味を持ち始めるが……。

中島監督といえば、ロリータファッションで話題になった「下妻物語」で有名になった監督である。
残念ながら、「下妻」のほうは見ていない。

「松子」は、簡単に言えば、ひたすら不幸な女の一生を描いた作品である。
モチーフとしては「下妻」とは全く反対とも言えるものだが、彼の手法は徹頭徹尾、ポップでカラフルである。
画面にあふれる目が痛いくらいの映像を体験してみて欲しい。

主演中谷美紀は、この映画で「女優をやめろ!」とののしられたらしい。
僕は「疾走」のアカネさんを見ていたので、やくざな彼女は違和感がなかった。
さて、あなたは?
 
▼以下はネタバレあり▼

ある女性の一生を描いた作品である。
タイトルにあるように「嫌われる」一生であり、ダークな、ネガティブな一生のクロニクルである。
その一生をひたすらコミカルに、明るく描ききったところにこの映画のおもしろさがあり、映画監督・中島哲也の力量がある。

父親が病気がちな妹ばかり愛することに嫉妬する松子は、父親の言うとおりに生きる。
教師になった松子は、受け持ちの生徒に盗みの容疑がかかり、それをなんとか穏便に収めようとしたことが裏目に出て、教師を首になる。
東京に出た松子は、売れない作家と暮らし始めるが、その作家も自殺、風俗で働く。
売り上げトップクラスの成績を誇るようになるものの、若さには勝てず干されてしまう。
再び男に拾われるも、誤って殺害、逃走の果てに理髪店に転がり込む。
しかし、警察に見つかり刑務所へ。
刑務所で覚えた美容師の技術を出所後に活かすが、かつての教え子龍と
再会をきっかけにやくざの妻になる。
龍は組の金をばくちにつぎ込み、ばれてしまう。
龍は警察に捕まることで難を逃れ、再び松子は孤独を味わうことになる。
龍の出所後、再会するも龍は拒絶してしまう。
すべてに絶望した松子は引きこもり生活をはじめる。
そして、河川敷で遊んでいた中学生に襲撃されて殺されてしまう。

これが松子の人生である。
このように書くだけだと、なんとも暗い、救いのない人生である。
このネガティブきわまりない人生を、カラフルな映像と、アップテンポのミュージックにより
底抜けの明るさを出しているところは見事だ。
適度に笑いを込めることによって、悲壮感は滑稽さに変わり、究極に悪いことばかり続く人生も、生きるって素晴らしいのだ、と思わせるに十分な映画になった。

どこにでもいそうな人々を登場させることによって、作品に説得力と泥臭さ、笑いを生んでいる。
根本的に不幸な人生を、いかに楽しく乗りきるかということが松子の生き方そのものなので、その明るさに悲哀も込められいるため、「軽い」映画でなく泣ける映画にもなっているところは計算高い。

全編通してとにかく人生の哀しみを尽くしたような映画である。
それらを前向きに描く方向性そのものがすでにポジティブに生きることの
大切さを伝えている。

だが、僕はもう一つだった。
それは画像的にはパワフルに見えても、画面から溢れるパワーとしては圧倒的に不足しているように思えたからだ。
顕著なのはミュージカル部分だ。
ミュージカルを要所要所に入れることで、「とにかく歌うしかない」境遇を演出している。

ところが、その歌の部分がことごとく魅力に欠ける。
見せ場として成立していないため、そこに込められた悲壮感もまた非常に小さいものになっている。
これでは折角の場面も台無しである。
AIなどのアーティストを登場させてはいるものの、彼女たちのどのアーティストもパワフルさに欠ける。
画面がパワフルなだけに、そのパワーの貧弱さが余計に目立つ格好だ。
結局どっちつかずな印象になってしまい、空回りしてしまっている。

そして問題はラストである。
ラストにあまりに救いがないため、映画としてのカタルシスが小さいのだ。
この場合の救いとは、映画的な「救い」である。
声をかけた中学生に殺されてしまう、というラストは、今まで松子の半生を追ってきた笙(観客を含む)にとって、あまりに平凡で、あまりにつらすぎる。
それまで引っ張ってきたのだから、感動的な、ドラマティックな「死に方」を用意して欲しかった。

いや、平凡な死に様でも構わない。
問題は、そこに何らかの「救い」や、つらかった人生の「答え」が見いだせればよかったのだ。
それがないために、それまで死の真相をにんじんのように追ってきた観客たちは、そのにんじんのあまりの小ささにがっくりくるのだ。
それまでの道のりがあまりに険しかったため、その落胆はより大きくなる。

ラスト、ただひたすらに階段を昇る松子の姿でエンドロールに向かう。
これでは抽象的すぎるし、松子がただひたすらに逆境に立たされてきた「答え」としてあまりに弱い。
すくなくとも、笙に与える教訓のようなものは、具体的に、多少わかりやすすぎるくらいに見せるべきだった。
そうでなければ、なぜ笙だったのか、なぜ松子はあれほどの苦難を経験したのか、物語的な意味を見いだせなくなってしまう。

映画がすべて教訓的であれとか、教育的な解答を用意しなければならないという気は毛頭無い。
だが、この映画に限っては、その「解答」がそのままカタルシスにつながるはずだ。

それまでの展開や演出が面白かっただけに、映画館をあとにする時の徒労感は筆舌に尽くしがたいものがある。

(2006/7/16執筆)

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