外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

パレスチナぼんやり回想(4)~西岸地区ヘブロン遠征~

2024-02-04 21:25:34 | パレスチナ

(エルサレム旧市街のやさぐれ猫さん)

 

 

今回は、エルサレムから西岸地区の南端の都市ヘブロンにちょいと旅した時の話。(2010年秋頃の話です)

 

ヘブロンはここ(アラビア語ではالخليل アルハリール)

 

 

エルサレムから西岸地区のラーマッラー以外の都市へはバスで直接行けず、検問所を越えてラーマッラーに入ってから、別のバス(乗り合いバス)に乗り換えて行くのが通常なのだが、ヘブロンはちょっと行きにくくて、一旦ベツレヘムまで出てから、ヘブロン行きのバスに乗り換えた。30分ほど乗ったと思う。乗り合いタクシーなら直接行けたようだが、当時私はそれを知らなかった。(参考

 

西岸地区はあまり広くないので、行こうと思えばどこでもエルサレムから日帰りで行けるのだが、ヘブロンは少し遠い上に行きにくいし、ISM(パレスチナ支援の国際ボランティア団体 参考)の宿舎に泊まれるという話を聞いたので、2~3泊することにした。

 

ISMの宿舎は市内中心部にあって、長期滞在して活動をする人は無料、一時利用者も安く泊まれた。ミーティングルームや寝室などがあって、シャワーはソーラーパネルによってお湯が出るようになっていた。東エルサレムの下宿のシャワーも太陽光を利用していて、冬でも少しの電気代でお湯が出るようになっていた。パレスチナではソーラーパネルの設置が進んでいるようだった。1年のうちの日照時間が長い地域では、電気の使用を抑えるため、太陽光を最大限に利用するのが理にかなっている。でも、ヨルダンやエジプトではあまり普及してないんだよな。エジプトは発電用燃料を買うお金がないため、2023年夏から「計画停電」の名の下に毎日1~2時間停電しているが、各家庭にソーラーパネルがあったらずいぶん違うのではなかろうか。

 

ISMの宿舎は、なんとアルコール禁止だった。地元のムスリム社会に合わせて、あえて禁酒の方針を取っているらしい。たしかに、外国人が集まって宴会していたら悪い評判が立って、ボランティアを断られるかもしれないから、賢明な決断かもしれない。街中で探せば酒屋は見つかったかもしれないが、飲む場所がないので、結局私はヘブロンでは酒を飲まずに過ごした。そう思うと、当時の私は今ほどアル中じゃなかったのかもしれない。今だったら、酒が飲めない場所にはよっぽどのことがない限り行かないし、なんならこっそり持ち込むだろうからな…

 

ISMの宿舎に滞在していた外国人ボランティアは(この時は10人程度)、欧米人の若者が中心で、短期滞在者が多かったが、中には1か月以上滞在している女の子もいた。共通語は英語で、アラビア語を勉強している人は私以外にはいなかった。支援活動に関わる人は、じっと机に座って複雑怪奇なアラビア語の文法を勉強をするより、外で人と関わって身体を動かすことを好むタイプが多いのだ(外大出身者除く)。

 

私が比較的よく行動を共にした感じのいいフランス人の20代前半の男の子は、非アラブ系の白人だったが、フランスで自主的に改宗してムスリムになったとのことで、コーランを持参してイスラエルに入国していた。空港では一切荷物チェックを受けなかったそうだ。なんと~私なんか無神論者だけど8時間も検問所で嫌がらせされたのに…やはりイスラエルには空路で入るのが正解らしい。

 

インドから来たムスリムの女の子2人連れもいた。彼女たちはヒジャーブで髪を隠していたので、イスラエルの空港に着いた時、問題はなかったかと聞いたら、「空港ではさすがにヒジャーブを外した」とのことだった。やっぱりそうよね。いくら空路で入る方が陸路よりチェックがゆるいと言っても、空港で外国人がヒジャーブをしていたら、即座に別室行きになって尋問されそうだ。

 

私がヘブロン参加したISMのボランティア活動は、通学するパレスチナ人の子供の見守りだった。

 

事前にISMで受けたレクチャーによると、西岸地区の都市は行政・治安の両面でパレスチナ自治政府の管轄下にあり、入植地は街中にはないが(郊外・非都市部にある)、ヘブロンは例外で、市内中心部の旧市街を含む「H2」と呼ばれる地域がイスラエルの支配下にあり、入植地が街中に入り込んでいるのだ。H2地区に住むパレスチナ人は、家からパレスチナ自治政府の支配下の「H1」地区にある職場や学校などに行き来する際、毎日何度もイスラエル軍の検問所を通らなければいけないし、検問を無事に通過したとしても、武器を携帯したユダヤ過激派の入植者に威嚇されたり、彼らの車に轢かれそうになったり、ゴミを投げ込まれたりと、様々な嫌がらせを日々受けているとのことだった。それでISMの外国人ボランティアは、通学する小学生たちが危険な目に遭わないように、登下校の際に見守り活動をしているのだ。

 

 

 

 

私は他の人達に付いて行っただけで、あまりよく覚えていないのだが、登校時間に通学路のどこかの地点で集団登校する子供たちと合流し、学校まで付き添って歩いて、学校の前で待機していた先生に挨拶して終わりだったと思う。この時は入植者の車は通らず、何事もなく終わった。よかった…制服姿のパレスチナ人の小学生たちは大変かわいらしかったが、写真を撮り忘れた。

 

 

私がヘブロンで撮った写真は1枚だけ。通りがかりに見学させてもらった靴工房の写真だ。

なぜこれだけ撮ったのか、我ながらナゾである。

 

ヘブロンはイスラエル軍の検問所や入植地が街中にあるという大きなハンデを負いつつも、西岸地区の産業の中心地となっており、靴やサンダル、クーフィーヤ(كُوفِيَّة パレスチナの象徴のひとつの格子っぽい模様の被り物用の布)からスナック菓子に至るまで、様々なヘブロン製品がエルサレムなどでも売られている。ヘブロンの市場も活気があって良かった。物価はエルサレムよりだいぶ安い。何か土産を買って帰ればよかったな…

 

話は逸れるが、白黒のクーフィーヤはかつてパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト元議長が身に着けていたことで、パレスチナのシンボルのひとつとして注目されるようになった。

 

 

しかし、最近はガザで最新兵器を備えた大規模なイスラエル軍を相手に戦っているハマスの軍事部門カッサーム部隊のアブー・オベイダ報道官が被っている赤白バージョンの方が人気かもしれない。彼はSNSのアラブ人ユーザーの間で「覆面男」と呼ばれ、絶対的な信頼を寄せられているのだ。

 

 

ちなみに、イスラム聖戦の軍事部門エルサレム部隊のアブー・ハムザ報道官は黒い布を被っている。

アブー・ハムザは、アブー・オベイダより影が薄いのよね…

 

 

話を元に戻そう…

 

ISMの宿舎と街中を行き来する時、必ずイスラエル軍の検問所を通る必要があった。私は外国人女性であるせいか、ほぼ素通りだったが、武器を持った兵士がそばにいるだけでコワくて(ビビりだから)、毎回びくびくしながら通っていたのだが、ある時、若い兵士に話しかけられた。

 

「君、2日くらい前からこの辺にいるよね。そんなに怖がらなくていいよ。僕たちは悪者じゃないから」

 

温和そうな顔をした、大学出立てくらいの若者だった。徴収兵だったのかもしれない。彼は私の顔を見て少し微笑みながら、さらにこう言った。

 

「僕たちは大丈夫だけど、その後にやって来るグループは危険だから、そいつらには気を付けた方がいいけどね」

 

いや、君は私を安心させようとしてるんかい、不安にさせようとしてるんかい、どっちなんや…突然の事なので、うまく返事が出来ず、私はただうなずいて検問所を出た。確かに、その検問所にいた兵士たちは温和そうな普通の若者だったが、西岸地区やエルサレムにも展開しているイスラエルの国境警察(少数派のアラブ系イスラエル人、特にドルーズ派の構成員が多数いることで知られる)は、デモ隊などに狂暴に振舞うから気を付けた方がいいと聞いたことがある。くわばら、くわばら…

 

 

なお、ヘブロンにも観光スポットはある。市場(スーク)もその一つだし、イスラエルに閉鎖されてしまった旧市街の商店街「シュハダー通り」もある意味で観光名所だが、目玉は何と言っても歴史的に重要な「アブラハム・モスク」(المسجد الإبراهيمي)だろう。ユダヤ教徒には「マクペラの洞穴」と呼ばれているらしい。アカペラじゃないですよ。

 

アブラハム・モスク(ネットから拝借した写真)

 

 

ここは、預言者アブラハムやその妻、息子などが埋葬された地に建てられたといわれ、イスラム教徒にとってもユダヤ教徒にとっても重要な聖地である。長い間ずっとモスクとして使われていたが、1967年の第三次中東戦争以降にイスラエルによって建物内部が分割され、モスク部分とシナゴーグ部分に分けられてしまっている。イスラム教徒は、このような一方的な分割がエルサレムの聖地アルアクサーモスクにも行われるのではないかと危惧している。

 

私もヘブロンに来たからにはアブラハム・モスクを見るべきだと思って、着いた当日に行ってみたのだが、夕方だったからもう閉まっていて、その後も行きそびれた。

 

そういうわけで、ヘブロンでは観光らしいことはあまりしなかったが、暇な時に街をウロウロ散策したりはした。街中であっても、建物の立っていない空き地などには、ゴツゴツした白っぽい岩(石灰岩?)がそこら中に転がっていた。パレスチナらしい風景だ。そんな空き地で、石を投げ合っている子供たちを見かけた。パレスチナ人というと、武器を持ったイスラエル兵に石を投げて立ち向かうことで有名だが、こうやって小さな頃から練習しているのだな…(単なる喧嘩や)

 

その空き地からしばらく行ったところにある坂道をなんとなく登っていったら、上の方にイスラエル警察のパトカーが止まっていて、警官が何人かその周りにいたが、間もなく走り去った。

 

外国人の私が歩いているのを見て、小学生くらいの男の子が2,3人近寄ってきたので、さっきの警察は何をしていたのかと聞いてみたら、「この近くに住む男の人が逮捕されたんだよ」と教えてくれた。そして、坂の下の方を通る人々を指さして、「あの人は3年牢屋に入ってたよ」「あの人は5年」などと教えてくれた。おいおい、ほぼ全員かい…さすがヘブロン、刑務所に入れられたことがある人の割合が半端じゃなさそうだ。

 

まあそんな感じで、充実したヘブロン滞在だったのだが(大雑把なまとめ方)、帰る日にISMの何人かがバスで連れ立ってナビー・サーレハの金曜デモに参加しに行くというので、そちらに寄って夜エルサレムに戻ることにした。デモの様子については、すでに記事にしているが(これ)、後半部分を誤って消してしまったので(これ)、次回はその後半部分の再現を試みることにする。もうあんまり覚えてないけど、まあなんとかなるだろう、たぶん…

 

 

「まあがんばってにゃ」

(東エルサレムの下宿先の庭の常連ネコさん達)

 

 

(ヘブロン関連の参考記事)

「ガザの次は私たちの番なのか」 パレスチナ・ヨルダン川西岸で暴力が急増──恐怖と隣り合わせの日常で(2024年01月18日付)

https://www.msf.or.jp/news/detail/headline/pse20240118mi.html

 


イスラエルはパレスチナ人の日常生活の監視・統制を最先端の「ウルフ・パック」で自動化しているとの指摘(2023年11月24日 付)

https://gigazine.net/news/20231124-how-israel-automated-occupation-hebron/

 

【ルポ】 ヨルダン川西岸でも厳しい日常 イスラエル軍がロックダウンを強化(2023年11月22日付)

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-67471335

 

 

(続く)

 

 

 

 

 

 

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