外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

パレスチナぼんやり回想(9)~東エルサレムのシルワン地区(とシェイフ・ジャッラーハ地区)のこと~

2024-06-15 21:01:08 | パレスチナ

 

 

6月に入ってから、日本は真夏日が続くようになってきたが、皆様はいかがお過ごしだろうか。うちは昼間の室温が32度に達し、身の危険を感じ始めた今日この頃だ(しばらく我慢してから、こりゃヤバいと思ってエアコン付けた)。でも、窓から見える公園では、子供たちが元気に遊び、お母さんたちがベンチに座っておしゃべりしている。ベンチは日陰だとしても、けっこうな温度だと思うんだが。なんという勇者たちであろうか。

 

32度でも厳しいのに、エジプトでは日が沈んでも40度あったりするそうだし(そして1日2時間、計画停電がある)、トルコもヨルダンも猛暑だというし(きっとシリア、レバノン、パレスチナあたりも同様)、みんな、どうやって生き延びてるの?脳みそ煮えない??私はだいぶ脳が煮詰まってる気がする・・・

 

ガザの人達なんて、暑くてもエアコンどころか家すらないし、食料不足で栄養失調だし、飲み水だって全然足りないというのに・・・(イスラエルによる破壊と封鎖のため)

 

 

さて、今回は2010年10月~12月のパレスチナ滞在記の続き。エルサレム旧市街に南東で接するシルワン地区に行った時の話だ。

 

シルワン地区はパレスチナ自治区の東エルサレムにあるのだが、ここがその昔ユダヤ民族のダビデ王がエルサレムを建設した地だとみなされ、遺跡なども発見されたことが、パレスチナ人住民にとって災厄だった。イスラエル当局はこの地区の広範囲のパレスチナ人の家屋を破壊し、土地を取り上げて、「ダビデの町」という名の国立公園として観光開発に力を入れると共に、周辺地域へのユダヤ人の入植を進めているのだ。私の大家さんの奥さんの実家がシルワンに持っていた土地も、この国立公園計画のために強制収用されてしまったという。もちろん無償で。

 

なお、大家さんの妹さんは、シルワンと同様にユダヤ人の入植とパレスチナ人の強制立ち退きが進められている東エルサレムのシェイフ・ジャッラーハ地区に住んでいたが、入植者に家をのっとられてしまったので、今は別の場所にアパートを借りて住んでいるそうだ。シェイフ・ジャッラーハ地区には、イスラエル当局に自宅から追い出され、路上で暮らしているパレスチナ人の家族がいて、彼らを支援する団体等が座り込みをやっていたので、見学しに行った。

 

 

入植者が占領したパレスチナ人の住宅

 

 

 

自宅から追い出されて、路上で生活しているパレスチナ人の家族

 

シェイフ・ジャッラーハ地区では、強制退去に応じないパレスチナ人の住民へのイスラエル当局の圧力が近年強まり、封鎖されて報道陣や支援者が入れなかったり、入ろうとすると攻撃されたりする等、状況が激化していたが、今はどうなっているんだろう…

 

 

さて、シルワン地区に話を戻そう。

 

シルワン地区には2回行った。初めて行った時は、なんとなく様子を見に行っただけで、2回目は金曜のデモを見学しに行ったのだ。

 

シルワン地区は、街中に警備の厳重な入植者の住宅があり、不穏な空気が流れていた。歩いていたら、観光客が列をなして入って行くところがあったので、無料だというので入ってみたら、階段の下の石壁に囲まれた細長い水場に出た。「シロアムの池」といって、新約聖書に載っている池らしい。シロアムは、シルワンのことを指す。

 

こういうとこ(ネットで拾った写真)

 

 

この辺りも、パレスチナ人の土地を没収して発掘・観光地化したのかな…

 

 

辺りを歩いていたら、土地の強制収用・家屋破壊に抗議する座り込みのテントがあったり、絶対出て行かないと表明する垂れ幕があったりして、ああ、ここはシルワンなんだなあと思わせた。

 

 

 

「名誉を志す者は残り 卑屈な者は去るが良い 我が愛しのシルワンよ」

 

 

シルワンでは、心なしか猫の顔つきも引き締まっているように見えた。パレスチナの猫だ。

 

 

そろそろ帰ろうかなと思った頃、下校途中の小学生の一団に遭遇した。みんな楽しそうで、引率の先生も笑顔だったので、なんだかホッとした。

 

 

 

みんなかわいい~

 

 

アラブの学校は普通、小学校から男女別々の学校なんだが、ここは珍しく共学だった。

 

 

この日はその後、家に帰ったが、後日もう一度シルワンを訪れた。イスラエルの家屋破壊・土地強制収用に抗議するデモを見学するためだった。デモは毎週金曜日に行われていたが、この日は通常より規模が大きいということだった。

 

私が到着した時は、既に大勢の人が集まっていた。

 

 

テルアビブから大型バス数台でやってきたイスラエル人の団体が、パレスチナ人に連帯して参加していた。そのため、規模が大きくなっていたのだ。リベラル派のイスラエル人が、パレスチナのデモに参加することはよくある(主にテルアビブから)。ビリン村でも見かけたし、ナビー・サーレハ村にも来ていた。

 

地元のパレスチナ人の子供たち

 

 

デモ行進は平和的に行われたが、完全武装したイスラエル兵らが行く手を阻み、やがて石を投げるパレスチナ人の若者たちと、催涙ガス弾を発射する兵士らの追いかけっこになって、周り一帯に不吉な臭いの白いガスが充満し、視界が効かなくなった。ああ、やっぱり…

 

その頃にはもう夕方近くなっていたので、イスラエル人の団体は、テルアビブに帰るべく、バスに乗り込み始めていた。その中の一人の親切な男性が、催涙ガスの嵐にビビっている私を見て一緒にバスに乗せてくれ、ダマスカス門辺りで私を下ろすように運転手に頼んでくれた。やれやれ、助かった…

 

乗るべき人が全員揃うまで、バスはしばらくその場で待機し、それからゆっくりと動き出した。その間、私は助けてくれたイスラエル人男性の隣りに座り、彼に色々質問した。どうしてパレスチナ人のデモに参加しているか、イスラエル政府の占領政策についてどう思うかなどだ。

 

彼は、「僕達の政府(イスラエル政府)がパレスチナ人に対して酷いことをしているから、自分はイスラエル人としてこうやってデモに参加しているんだ」と言いつつ、「でも、パレスチナ人側にも問題あるよ。どっちもどっちなんだよね」といたずらっぽく微笑んだ。

 

それを聞いて私は、「ああ、『リベラルなイスラエル人』の問題意識は所詮この程度なんだな」と、少しがっかりしたような、でもなにか腑に落ちたような気がした。

 

もちろん、パレスチナ自治政府(PA)や、同胞のアラブ諸国の政権には問題がある。PAを率いるマフムード・アッバース大統領やその側近たちは、選挙も実施せず長年権力の座に居座って私腹を肥やし、彼らと敵対するハマスが支配するガザでイスラエル軍が虐殺を行っても、口で非難するだけで何もせず、イスラエルとの治安協力を続けている。大半のアラブ諸国の政権も同様だ。

 

しかし、長年不当にパレスチナを占領して住民を追い出し、残った人々を虐げている側であるイスラエル人には、それを批判しする権利はないと思う。対等の立場にない2者を「どっちもどっち」などと喧嘩両成敗的に評することはできないし、それが当事者の一方であれば、なおさらだ。

 

もちろん、中にはイスラエル政府による西岸や東エルサレムでの占領政策やガザでの虐殺に徹底的に反対しているイスラエル人・ユダヤ人たちも存在する。彼らは全体の中ではごく少数派なわけだが、だからこそ貴重な存在だといえるだろう。

 

ちなみに、この時私を助けてくれたイスラエル人男性は、後に日本にしばらく滞在していた(私は会ってないが)。今は別の国にいるらしい。そういえば、イスラエル人の旅行者は世界のどこにでもいると、ウルパンのヘブライ語の先生が言っていた。

 

私の友人は、「昔、東京の路上でアクセサリーを売ってるイスラエル人と仲良くなったけど、彼は自称モサドだったよ~」と言っていた。東京の路上でアクセサリーを売って、自ら正体をばらすモサドのエージェント、案外ありかな・・・(ないない)

 

 

(参考記事)

パレスチナで密かに進む「ユダヤ人入植」の手口(渡辺 丘 朝日新聞元エルサレム支局長)

https://president.jp/articles/-/31341?page=4

 

3月30日 パレスチナ・土地の日に寄せて【前編】(JVCパレスチナ)

https://note.com/jvcpalestine/n/n3a9015f9dea5

 

 

 

(おまけの室内園芸写真)

 

けなげに育ってきたミニトマトちゃん~

 

 

(続く)

 

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